ホーランエンヤ体験記/武林諒
還御祭(2019年 5月26日土曜日)

 
 祭の最終日である5月26日は、13時に城山稲荷神社の社務所に集合した。なぜ社務所にいるかというと、渡利さんから行列の際に必要な白鳥の役(袴を着て神具を運ぶ役目)を依頼されたからだ。人手が足りないとのことで、去年の授業でインタビューさせて頂いた縁もあり、こんなに重要な役目を務めることとなった。祭りを調べる側から祭りに参加する側になり、とても興奮した。白鳥に着替えるとなお興奮してしまった(写真1)。
 

 
写真1 白鳥を着て興奮する武林

 
 13時30分頃に、白鳥の格好のまま城山稲荷神社から松江大橋北詰の船着き場まで移動した。その際に、服装は白鳥を着るだけではなく、わらじを履かなければならなかった。そのわらじは手作りわらじで、サイズが合っておらず、足がチクチクして痛痒かった。
 
 14時30分頃から、傘持ちとして行列に参加し、宮司さんの後ろを歩いた。一時間ほど行列をして無事に城山稲荷神社に到着し、傘持ちとしての仕事が終了した。本来ならここで役目は終了なのだが、今年から一般参加が禁止となった最後の踊り奉納を、スタッフとして特別に見せてもらえることになった。
 


 
武林君の勇姿 2枚(撮影諸岡)

 
 役目を終えた後に、五大地の休憩場所に行ってみると、化粧をしているが見覚えのある人と出会った。その人は、自分がよく遊びに行っている卓球サークルの部長で、矢田の踊り手として祭りに参加していた。いつもはひ弱な感じの印象を持っていたが、今日は化粧もあってか凛々しく見えた(写真2)。
 

 
写真2 卓球サークルの部長

 
 16時頃から城山稲荷神社で、五大地の踊りの奉納が始まった。五大地の中で最初に舞を奉納したのが、馬潟であった。馬潟地区は「いの一馬潟」と呼ばれるリーダー的な存在で、奉納の舞でも先頭を切って踊る。馬潟は人数も多く、男踊りも他の地域が2人なのに対して馬潟だけは3人もいる。その踊りは圧巻だった(写真3)。
 

 
写真3 馬潟・舞の奉納

 
 次に舞を奉納したのは、二番船の矢田である。人数は一番少なかったが、伝統のある力強い舞と唄を披露してくれた。馬潟とは唄や舞に違いがあり、とても興味深かった(写真4)。矢田の女踊りは2人いるのだが、特に女役のひとりがとても可愛く、男に見えないと巷で少し話題となっていた。
 

 
写真4 二番船矢田・奉納の舞

 
 3番目に登場したのは、大井だった。大井は、踊りの様式で他の地域と一線を画していた。男役も女役が最初から一緒に踊るのではなく、男役ひとり、女役ひとりずつが踊りを披露したあとに、一斉に踊っていた。さらに、男踊りは大きく反り返る振付があり、ダイナミックだった。個人的には、五大地の舞の中で一番好きだ(写真5)。
 
 
 
写真5 大井・奉納の舞

 
 4番目に登場したのは、福富であった。福富は、男踊り2人、女踊りがひとりと踊り手の数は少なかったが、小太鼓を叩く子どもたちの振付や叩き方に、他にはない個性があった。小太鼓を叩く振付が各地域でこんなに違っていることが面白いと思った(写真6)。
 

 
写真6 福富・奉納の舞

 
 最後5番目に登場したのは、大海崎であった。今回の祭で評判になったのは、大海崎の歌い手の唄(音頭)が水上でよく響いたことである。間近でその音頭を聞くことができたが、とても上手だった。他の地域も上手だったが、これほど響く歌声は大海崎だけだったと思う。唄に圧倒されただけではなく、大海崎は比較的若い人が多く、勢いがあった(写真7)。以上、五大地の舞にはどれも個性があり、その地域にしかない唄や舞を楽しむことができた。
 

 
写真7 大海崎・奉納の舞

 
 最後に、一般の人は見ることができない奉納の舞を、スタッフ扱いにしてみせてくださった渡利さんと城山稲荷神社関係者の方々に感謝を申し上げたい(写真8)。
 

 
写真8 スタッフとなった武林

 
〜感想〜
 昨年の後期からホーランエンヤについて勉強していたため、とても楽しみにしていた祭りでもあった。実際に一週間祭りを追いかけて自分の目で見てみると、調べたりインタビュー等で聞いていた話から自分がイメージしていたものと、大きく違っていた。祭の規模や華やかさも、普段の松江にはない光景を見ることができた。また、祭りに参加できるとは自分でも思っていなかったが、とてもいい経験だった。つくづく、ホーランエンヤが開催される年に学生生活が当たっていてよかったと思う。島根県という少子高齢化が進んでいる県で、全国でも類を見ないほど大きなこの船神事が行えることはとても素晴らしい。それは、島根県の方々の支えがあってこそだと、参加してみて気付かされた。しかし周りをみると、自分たち若い人世代は、この祭りにあまり興味がないようだった。今後、もっと自分たちの世代がこの祭りを盛り上げられたらと思った。
 
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