上代 哲也
ホーランエンヤ体験記/2009年5月16日、渡御祭


 
 遅刻気味で焦りながら自転車をとばしていると、帽子をかぶり、リュックやポシェットを持った人々が学園でもちらほら見られた。集合場所は東本町にある林先生の奥さんの実家だった。周辺には人が沢山いて普段は静かな松江に何かがあることを知らせるようであった。
 
 神事が行われる城山稲荷神社の本殿前の広場は、見物客の観覧する場所と仕切られておらず、儀式が行われている最中でもがやがやして、儀式の妨害にもなりかねないような勢いで写真を撮っている人もみられた。12年前にはあまり普及していなかったであろう携帯電話の音もしばしば聞かれ、神聖な雰囲気を乱すようなそれらの行為が少し残念であった。
 
 しかしながら、流石に12年に一度の儀式であるだけはあり、祭壇の方に近づいてその様子を見ていると、やはり厳粛な雰囲気を醸し出していた。ただしここでも、12年に一度の弊害か、神事の流れを把握していない人もいて、いちいち指示を受けて動いている人がいたのは少し格好悪い気がして残念だった。  神社の階段を登った門のあたりに、神楽のお面のようなかぶり物を装備した2人組がいたが、彼らは神事をやっている間中、ずっと手持ちぶさたにしていて、ただただ被写体になっていたため、この人たちの役割は一体何なのだろうと思ってしまった。

 
 神事が終わり、行列になって神社から下りてくるときにどれが神様かと観察していたが、結局どこに神様がいるのか分からなかったのが無念だった。(後でわかったことだが、神様は御輿の中にいらっしゃったようだ。自分が撮った写真にも写っていた。)もっと護衛されたすごいのが来ると思っていたが、意外と質素な行列であった。
 
 行列は殿町などを通り、大橋川に向かっていった。途中みしまやによって食料を買っていったが、行列はとても遅かったため、みしまやで買い物をして食べながら歩いても置いて行かれることはなかった。とても助かった。通りには近隣の住民とみられる人々が出てきて、のんびりとした感じで通りを過ぎるのを見ていた。殿町の商店街では、特設のブースを出してホーランエンヤに関する小物を販売しているアクセサリー屋なども見られたが、客はほぼ入っていなかった。ホーランエンヤグッズを販売している店は他にあまり見られなかった。店の人も行列を見ていることが多かった。
 
 駐車場には多くの県外からの車が駐車してあった。「日本三大船神事」というのは松江市のはったりだと思っていたが、県外にもある程度知れ渡っていることがわかった。
 
 橋に着くと、とんでもない人だかりで、橋の端には見物客で層が形成されていた。橋の上では多くのテレビ局が来て取材していた。中には我々と同じように脚立を持った取材陣もいた。法文学部の友人がバイトで脚立を持たされていた。全国的にはどのように報道されているのか気になった。
 
 船や踊りは人が多かったためずっとは見ることができなかったが、林先生に脚立の権利を譲ってもらいちょくちょく見ることができた。踊り方や踊りの交代の仕方など、地区によって多少の違いがみられたが、歌舞伎のような動きをすることや剣櫂を天に向かって突き出すような振り付けがあるところは、どの地区も共通しているように感じた。自分が見た中では馬潟の剣櫂のキレがよく、とてもかっこいいと思ったが、それ以上に掛声を出す人の声がとても気持ちよく、清々しく感じた。掛声もそれぞれの地区で異なっていた。船は橋と橋の間を何周かしてから次の橋の間に移動していった。船が通り過ぎると人々はすぐさま散っていった。

 
 屋台は宍道湖大橋の南詰の辺りに少し出ていたくらいで、あまり繁盛しているようには見えなかった。通行規制がすぐに解かれていたので、出店させてもらえなかったのかもしれない。ちなみに自分が見た屋台はかき氷、トロピカルジュース、饅頭、たこ焼き、焼きそば、から揚げであった。後ろの四つはすべて食べた。饅頭がおいしかった。
 
 くにびき大橋から馬潟までの川端にはそこまで多くの人はおらず、落ち着いて船が行くのを見ることができた。雨の影響も多少は関係したのかもしれないが、とてもいい場所で俗にいう「穴場」だった。昼食を買って食べながら素晴らしい時間が過ごせた。しかし、自分が参加できたのはここまで。先生たちとさよならをしてバイトという日常に引き戻されたのだった。
 
 今回初めてホーランエンヤを体験したのだが、通常の祭りとは雰囲気が異なっているように感じた。私が考える通常の祭りのイメージは、夜屋台の光で照らされた通りなどを人々が練り歩き、その作り出された空間の雰囲気を楽しむというものである。しかし、ホーランエンヤでは、人々はその空間を楽しむためにきているのではなく、12年に一度の祭りという物珍しさからきているだけであって、空間を楽しんでいるという雰囲気は少し薄かったような気がした。それは船が通り過ぎるとすぐに人が減ったり、あまり屋台が人気でなかったりするのを見ても思った。昼に行われ、主役が船だからなのか。屋台の数が原因なのか。または12年に一度という間隔が影響しているのか。もしかすると、近づくことのできない船で行われるパフォーマンスの観覧中心の形態が不自然に感じただけなのかもしれない。
 
 踊りをする船が来ると近くの観客から拍手と歓声が沸いた。この拍手には、ねぎらいや敬意、感謝、嬉しさ、わくわく感、ただつられてなど、様々な想いがこめられていたのだろう。こんなにも沢山の人々が、同じ場所で、ひとつのことについて夢中になっている。そのときのことを考えると、なんだかんだいっても、やはりホーランエンヤは伝統のある素晴らしい祭りだと思うのであった。
 
 
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