佐伯
ホーランエンヤ体験記/2009年5月16日、渡御祭


 
 ホーランエンヤとは360年の歴史のある松江城山稲荷神社式年神幸祭の通称で、日本三大船神事の一つである。12年に一度行われ、全国各地から人々が駆けつけて賑わっていた。9日にわたって「渡御祭」と「中日祭」と「還御祭」が執り行われる。今年は天候が悪く、ホーランエンヤ初日の渡御祭は曇りで、時折小雨が振っていた。できれば、晴れた空の下で渡御祭が行われたらよかったと感じた。
 
松江城山稲荷神社
 
 私が9日間で参加できた祭りは「渡御祭」だけであった。渡御祭は松江城山稲荷神社から始まる。御神霊が城山稲荷神社から宍道湖と中海をつなぐ大橋川を通り阿太加夜神社へと運ばれる。そのときに櫂伝馬船に乗って女装をした青年が踊る櫂伝馬踊りや50人の漕ぎ手が力強い声で歌うのがメインである。
 
 松江城山稲荷神社に行く途中の駐車場には、バスがたくさん止めてあった。そのナンバーを見ると広島や鳥取など県外ナンバーが多かった。また松江城山稲荷神社では中国語を話す人たちがいた。全国からだけではなく、海外からも見物客が来るほど、ホーランエンヤは珍しいものだと実感した。
 
 松江城山稲荷では神事の服を着た人々が列を成して、神社に上がっていった。上では見物客や報道陣が多かったために、何が行われているか断片的にしか見ることができなかったが、人々の衣装を観察してみた。やはり歴史ある祭りの衣装は、年季が入っていて、所々ほつれていたりした。また少し色あせていたが、逆にそれがいい味を出していた。
 
松江城山稲荷神社に上がる列松江城山稲荷神社にて
 
お面を被った人たち
 
 松江城山稲荷神社での祭事が終わった後、参列者は歩いて大橋川まで移動した。その際に、先回りして列を眺めたが様々な年代の人が参列していたことがわかった。小学生から年配者まで様々な年代の人がいた。また、特徴として、女性の参列者が少なかったことが挙げられる。私が確認したのは、小学生くらいの女の子2人と年配の女性が1人だけである。私と同じような生産年齢人口に属する女性は誰一人いなかった。他は見渡す限り男性であった。やはりこういった神事は女性の産穢や血穢といった穢れを敬遠しているのかと思った。なんとなくだが、そこには昔の男女の格差が伺えた気もする。
 
松江城周辺を歩く列
 
県民会館付近を歩く列
 
 この列を見届けた後、大橋川に移動した。松江城山稲荷神社にいた人の何百倍の人がいた。松江大橋や新大橋、大橋川の両側に今まで見たことのないくらい人がたくさんいた。また見物客の年齢層は様々であったが、年配者が多かった。櫂伝馬船が近くに見えてくると、両手を合わせ頭を下げたり、拍手をしたりしていた。その姿を見ると、12年に一度行われる、このホーランエンヤの有難みというものを感じとれたと思った。
   
見物客櫂伝馬船
大小の船が往来する大橋川
 
 やはり櫂伝馬船での「ホーオオエンヤ ホーランエーエ ヨヤサノサ エーララノランラ」という漕ぎ手が力強く歌う唄はなんとも言えない心地よさがあった。また五大地によって独自の唄を持つらしいが、今回はそれを聞き分けることができなかった。また、船のへさきで舞を披露する青年は「剣櫂」、櫓に置かれた四斗樽の上で華麗な身のこなしを披露する青年は「采振り」と呼ばれ、豪華な衣装を着て踊る櫂伝馬踊りは見る人を圧倒させた。どちらの踊りも独特で、その動きには人を惹きつけるものがあった。
 
 12年に一度のホーランエンヤは見物客を惹きつけた。ホーランエンヤ終了後のテレビのドキュメンタリーで舞を教わる姿、何年も受け継がれた穴の開いた衣装から昔と変わらぬ伝統を感じることができた。また12年後のホーランエンヤも行って、変化したことや新たな発見をしてみたいと思った。
 
[*佐伯さんは、16日午前中のみの参加でした。]
 
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