玉田 大介
ホーランエンヤ体験記/2009年5月20日、中日祭


 
 僕は、5月20日に行われたホーランエンヤ中日祭に参加した。この日はとてもいい天気であり、少々日焼けをするくらいだった。ちなみに僕は、今回のホーランエンヤが初めての参加であった。
 
 9時前に大学に集まり、長谷川先生の車で出雲郷小学校まで行った。そこからシャトルバスが出ていたが、阿太加夜神社までそう離れてもなく、バスを待つのもなんだったので歩いて神社へ行くこととした。道路にも所々警備員が配置されており、車を止めて歩行者を横断させるなどしていた。橋には仮通路が作られるなど、事前の準備もしっかりしていた(昼頃には一方通行となっていた)。
 
 神社での祭典においては、気になることがあった。それは、神社の建物の中の撮影はダメであると思っていたのだが、その辺に関してはわりと撮影がフリーであったことに驚いた。中央新報やTSK、読売新聞など様々なところの取材班がいた。撮影しているところにグイグイ入ってこられ少しイラッとした。また、朝から打上花火があがり、高さも低くわりと近かったので少しうるさく感じた。
 
 次に、阿太加夜神社の正面から出て、国道9号線を横断して海上踊りが行われる出雲郷橋の所へ移動した。行く途中、特に国道9号線を横断する時にたくさんの出店を確認できた。出店としては、全体的にかき氷や栗まんじゅうの屋台が多く見受けられた。中には、クリームカステラといった普段見ないような屋台もあり、また、フランクフルトやたい焼きといったよく見かける屋台を見かけることがなかった。そして、午前10時ごろ橋の所はスカスカであったが、いざ海上踊りが始まるとなると、まっすぐ歩くことがままならないほど混み合っていた。大海崎、福富、大井、矢田、馬潟の順で櫂伝馬船が登場し、踊りを披露した。采振の踊りにおいて、采を、2本を1本にまとめて踊っているところや、2本にして踊っているところがあった。僕らが見学していた所の向かいには、たくさんの小学生くらいの子供たちが見学していた。陸行列の行くコースの所でこの子供たちを近くで見たのだが、全員がマスクを着用していることが分かった。これは新型インフルエンザを警戒していたのであろうか。
 
 昼休みに飲み物を得るため販売機を探すことになった。陸行列が行われる所にある販売機はお茶が売切れとなっており、出雲郷橋を渡った橋の東側の所で見つけて購入することができた。後で気づいたのだが、出雲郷橋から西へ少し行った所にも存在していた。陸行列が始まると道路も人でいっぱいになり、屋根に上って写真を撮ったりする人が見受けられた。また、この頃になると、制服を着た中学生の姿も確認できた。行列には、頭に冠のようなものを身につけ、オレンジ色の着物のような衣装を着た5歳くらいの女の子や、鎧を身につけた男の子も見受けられた。その他、大きな煙管を持った人や、山中鹿之助の格好をした人なども参列していた。馬潟の櫂伝馬船は他よりも少し大きかったため、なかなか曲がれずにいた。また、船の真ん中辺りに立てている、先に金色の丸いものが付いたシンボル的なものが長かったため、電線があるたびにひっかかり通る度に倒していた。直す動作が面倒だったのか、途中ずっと倒しているときがあった。
 
 最後の神社での踊りの際は、午前の神社での人の数以上に人が集まっていた。最前列で脚立を使って撮影している人がいて、正直、邪魔だと思った。その人が原因でちょっとした言い争いが生じたりもしていた。お年寄りの方の声を荒げて「見えんから座れ、メガネ!」と言ったのには驚いた。若者ではなくて、お年寄りの方同士での言い争い、ましてや「メガネ」発言、驚きもあったが実際には笑ってしまった。撮影に関して、神社境内に寄付者の名前を示したものがあるのだが、そこに存在するわずかな隙間から撮影している方がおられ、こういった人はなんだか賢いなぁと思った。神社での踊りも海上踊りの登場順と同じであった。この場においての見学者に若い人はあまりいなかったように思えた。午前もそうであったのだが、お神酒が欲しいなと思っており、お神酒の周りをうろちょろしていたのだが、声をかけられることはなかった。この原因は、カメラを持っていたからか、または未成年とみなされたのであろうか。素直に「ください。」というべきであった。
 
 周辺には、田んぼもあり、これといって人が集まるような場所もなく、人が集まることってそうないだろうと思っていたが、1日で集まった人の量はものすごいものであり、12年に一度の奇跡だと思った。また、この体験記を書いてみて、剣櫂や采振の踊りについての感想がほとんど出てないことに気づいた。私にとって今回のホーランエンヤは、踊り以上に祭りの雰囲気に注目がいっていたのだなと思った。
 
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