このページでは、私(もろおか)や学生が毎年参加させていただいているお祭り、島根県は江津市黒松町の「大島神社例大祭」についてご紹介を。
 
 このお祭りは、毎年7月に開催されている船神事です。石見といえば石見神楽が有名ですが、江津市を代表する漁港であるここ黒松では、美しい海と砂浜を舞台としたこのお祭りこそが地域の誇りです。
 

 
 
 黒松の町からみた海岸。左手奥に大島が見えます。
 
 
 黒松の町並み。石見地方の名産、赤茶色の石州瓦がいいですね。
 
 
 黒松の町並を砂浜の方面に抜けると、すっきりとしたお宮がひとつ建っています。鳥居には「大島大明神」とありますし、地図などには大島神社と記されていますが、実はここは大島神社の本殿ではなく、「仮殿」なんです。本殿の神さまをここから遙拝したり、お祭りの時に神さまをお迎えするためのお宮です。
 「本殿」の神社は、海上3キロのところにある島、大島にあります。この大島まで神さまを船でお迎えし、また送りかえすのがこの夏の例大祭だというわけです。
 
 神社(仮殿)へ抜ける路地、お祭り用の飾り付けがされています。
 
 
 町の側にある神社(仮殿)。島にある本殿の神社から、こちらの神社まで神さまをお迎えします。
 よく、神社を立て替えるあいだに一時的に設ける建物を「仮殿」と呼びますが、このようにひとつの立派なお社に「仮殿」という言葉を使っている例はめずらしいとおもいます。大島にある本来のお宮を大切にする気持ちの表現だと感じます。
 
 
 島の方にある大島神社は弘仁年間(810〜824年)に勧請されたという話で、主祭神は海の女神、市杵嶋姫命です。灘勝晴さんによれば、1026年の万寿大津波に流されて、現在の位置になったという伝承があるそうです。『石見国神社記』には、元文5年(1740)と記された棟札と、文政2年(1819)の立替の記録があり、最近では昭和34年(1959)に本殿を建て替えています。また「大島明神」の扁額は、江戸時代に神道の一大流派、吉田家から賜ったものなのだそうです。
 
 それでは、お祭りの様子を追ってみましょう。
 
 神輿を乗せるために準備された船。漁船でこの船を曳きます。今よりも規模が大きかった時代は、2艘の船をつないでその間に神輿を乗せるやり方だったそうです。
 
 
 町では、道沿いにずっと竹を立てて注連がわたされるほか、写真のような「花」があちこちに飾られています。
 
 
 浜には、やはり注連で囲った場所の中に、こうした鳥居が2つ、向かいあうかたちで据えられます。ちょうどラグビーのグラウンドのような体裁ですね。ここが、夜の部のお祭りの舞台となります。
 
 
 これも、夜の部で使うことになる山車。
 ほかにも、島の神社のほうの整備や、食事、衣装等々、地域の方がさまざまな準備作業をすすめるなかで毎年の祭りが開催されます。
 
 
 いよいよ本格的なスタート。神輿の担ぎ手が集まり、拝殿で神事が行われます。
 
 
 このお祭りは、日が傾きはじめた夕方にはじまります。西日を浴びながら、神輿を船に乗せるべく、浜まで担ぎます。
 
 
 2011年の先の写真では、浜から直接船を出していましたが、この年(2012)は海がやや荒れていたので港から船を出しました。
 
 
 神輿船から、曳き船と先導する船を撮ったところですね。夏の夕方に出る海上は、最高に気持ちがよいです。
 
 
 海上に出ている間、笛、鉦、太鼓でお囃子を続けます。太鼓を鳴らすバチは木の枝を伐ったもの。ときどき海に飛んでいったりしてもだいじょうぶ。太鼓は4人で鳴らすので上手い人がいればなんとかなりますが、笛や鉦の演奏は相当な熟練が要りそうです。
 
 
 大島が近づいてきました。
 
 
 島へ上陸後、神社へ向かいます。ほんとうはこれ、神社へ行った帰りの写真なんですが、行き帰り、同じこの岩場を担いでいきます。対岸には発電用の風車が並んでいて、ちょっと不思議な風景です。
 
 
 浜から上陸して、神社まで登ります。
 
 
 お社までの階段の途中、拝殿というのか御旅所というのか、踊り場のようなスペースがあります。ここでいったん神輿を持ちなおして・・・・・・。
 
 
 揉みます!
 神輿が小さめな分、揉みかたはだいぶ激しいです!
 
 
 本殿です。先の拝殿の少し上にあります。ここでお神輿のなかにまで、神さまに移動をしてもらいます。
 
 
 神さまを乗せた神輿を担いで山を下り、また船に乗って町まで戻ります。
 
 
 
 
 
 夕暮れ時、空と海の色も一刻一刻変わり、港に着くころには真っ暗になっています。
 
 
 
 
 
 港に着き、神さまを陸に迎えたらいったん休憩。夜の部に備えて腹ごしらえです。
 
 
 夜の部は、浜での神輿担ぎ。闇に浮かぶ提灯がなんともいえない良い風情です。地域の人も集まってきました。
 
 黒松の昔を知っている福間さんによると、昔はこのお祭り、満月の夜に行われていたそうです。満月だと明るいですし、また魚が獲れない日なので、漁師町の黒松ではちょうどお休みの日にあたりました。
 
 
 夜の部がはじまりました。神輿の担ぎ手は、浜に立てた鳥居のあいだを通り抜けるべく、突撃します。(笹木さん撮影)
 
 
 一方で、止め方は神輿を押さえて、鳥居への突入を阻止します。ひとしきり攻防が続くと、仕切りなおします。これを何セットも続けます。
 仕切りなおしの間、子どもが神輿の下をくぐります。周囲では、山車でお囃子を演奏しています。(笹木さん撮影)
 
 
 神輿が鳥居の間をくぐってしまったら、祭りは終了になります。写真は、神輿の方向を逸らしているところですね。
 今はだいたい日付が変わる前に「ゴール」が決まるようですが、若い漁師がたくさん参加していたかつては、延々、夜を徹してやっていたそうです。神輿もこの写真のものより一回り大きいタイプだったとのことです。(笹木さん撮影)
 
 
 どういうわけか、海にも突入します!祭りですから!
 海に入ると、足が取られるのと服が濡れるのとで、一層しわいことになります。「しわい」、つまり石見弁でキツイということですね。写真をみると、しわいと言いつつ、皆さん笑ってますね。(笹木さん撮影)
 
 
 カメラの腕の確かな笹木さんの写真なのでちゃんと写っていますが、暗やみのなか砂浜で暴れているので、だんだんと何がなんだか分からなくなります。(笹木さん撮影)
 

 
 写真はこの日の分までですが、祭りは次の日も続きます。神さまをお迎えした仮殿で神事を行ったあと、今度は黒松の町なかを子ども神輿が回ります。このときは押し合いへし合いをするのではなく、巡回ですね。
 
 
 最後にこちらは、福間さんに見せていただいた、昔の大島神社大祭の写真です。やはり人が多いですね。当時は担ぎ手が白いハチマキ、止める人は赤いハチマキだったというお話で、そのようすも伺えます。
 
 
↓ こちらYouTubeに、祭りの映像もあります。
> 江津の祭レポート・大島神社例大祭(江津青年会議所)
 
 
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