加藤 啓介
ホーランエンヤ見物/2009年5月16日、渡御祭


 
 朝の集合が8:00と早かった。集合場所の大吉から城山稲荷までの道で、橋のほうを見ると、すでに人々が橋の上で場所取りをしていて、見たいという意気込みがすごいなと感じた。
 
 城山稲荷でも人々が大勢いた。祭典が始まるのを待っているとき、退屈だったのか親に帰りたいという子供もいた。祭典が始まるときに周りを見てみると、階段の周りと階段下が人で埋まっていたが、祭典が行われている場所では、意外とスペースが空いていた。ただ、それでも脚立がなければよく見ることはできなかった。祭典が終わり、神輿が出発し、連続して行列のようになっていくと思っていたが、少しバラバラ気味に出発していたと感じた。さらに、階段は足場が悪く、運びにくそうに見えた。
 
 神輿が乗船し踊りが始まるときには、川岸や橋の最前列は人で埋まっており、脚立がなければ隙間からしか見ることができない状態だった。中には敷物を持ってきている人もいた。また、木の上やガードレールの上、親の肩の上、有料観覧席など様々なものの上に乗って観ている人がいて、感心するぐらいだった。中にはやはり、退屈している子供たちもいて、彼らは花一匁をするなど、暇を潰しているようだった。また、踊りをみている人たちの多くは、船が移動すると早々と橋から去っていくように見えた。そうすると最初見えなかった出店が現れるように見えた。
 
 松江での踊りが終了すると、ホーランエンヤの見物を終了して、家に帰ろうとしているためか、松江駅には多くの人すでに訪れていて、切符を買う人も多々いた。その際、混雑を解消するためなのか、駅員さんが場所を聞いて切符を選んでいて、スムーズに買うことができた。
 
 午後2時ぐらいの米子方面の電車は、次の電車が1時間半後で、その上、電車が2両編成のこともあり、混んでいた。しかし、出雲郷のホーランエンヤを観に行くのに一番近い、東松江駅で降りる人は少なかった。おそらく、松江でのホーランエンヤを見物したので、出雲郷では見なくてもよいと感じた人や、翌日も見物するから渡御祭では見なくてもよいと思う人、またはホーランエンヤを見物するということに関係がない人が多かったためであろう。 東松江駅周辺では、阿太加夜神社までの案内を見ることできず、駅から少し進むと道が3つに分かれていて、どの道が阿太加夜神社に近いのか分からなかった。ホーランエンヤを観に来たと思われる人も迷っている様子だった。そこで自分は、真中の道を選んで、ナフコとヤマダ電気の看板を目印に歩いた。神社までは大体30分近くかかったと思う。
 
 出雲郷での踊りの場所にも川の周りを埋め尽くすぐらい人がいた。さすがに松江よりは人が少なかったが、コンテナの上や屋根の上、家の窓を外してみる人もいた。ただ、船がどこまで来るかわからなかったのか、船が来ない下流のほうで待っている人も見かけることができた。
 
 初日の最後にあたる阿太加夜神社での神事の際には、すでに人が少なくなっていて、最後のほうは城山稲荷と人数が全く違っていた。
 
 帰りは、祭典の終りのほうから電車に間に合うように急いで東松江駅に向かった。時間がなかったので、来た道とは違う1番近そうな道を選択した。ちょうど同じタイミングで駅に向かっている人がいたので、抜いたり抜かれたりしながら、急いで駅に向かった。そうすると、かろうじて電車に間に合った。一緒に向かっていた人も無事間に合っていた。東松江駅には、自分を含め5人程度しかおらず、ホーランエンヤを観に来た人は、急いで電車を使って松江に帰ることはしないようであった。とにかく体力を使った1日だった。
 
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