木村 佳則
ホーランエンヤ体験記/2009年5月16日、渡御祭


 
 
 私たちは12年に一度の日本三大船神事である松江市と東出雲町を舞台としたホーランエンヤに参加することにした。5月16日(土)は、渡御祭である。天気は晴れでもなく、雨でもない曇りである。まずは神事の始まる松江城城山稲荷神社に行った。祭りの開始前から、人がたくさんいた。氏子さんが並び、境内に入り、ご神体をうつす儀式を執り行う。仮面の人(名称不明)が早々と出てきたため、カメラマンの標的になっていた。神社の階段には多くの人が並び、カメラで写真を撮る人ばかりである。キツネの石像がきれいにされていた(写真1)。神事が終わると、祭り関係者が神輿といろいろな道具を持ち、行列となって町中を進む。持つ人・持つ物も決まっていて、神主が逐一指示を出す。ゆったりとした感じである。陸行列は、鏡を持つ人、箱みたいなものを持つ人、カーテン付きのかごを持つ人、旗、神輿、その他いろいろである。氏子(初午講)の人々は正装をしており、その行列に加わる。神主・神社関係者、巫女も行列の中にいる。神事が終わると参拝する人もいた(写真2)。
 
写真1 城山稲荷神社のキツネ写真2 城山稲荷神社参拝客写真3 町中の人々、屋上の人々
 
 松江城周辺の町を川に向かいながら進む。観客もそれにともなって動く。川沿いというか、橋が見えるところに出ると、橋という橋にたくさんの人が押し寄せていた。高いところ(ホテルの上層階やビルの屋上など)には、すでに大勢の観客がいた(写真3)。私としては少しうらやましかったが、櫂伝馬踊りを見物するにはちょっと遠いような気もする。お待ちかねの櫂伝馬踊りが繰り広げられる。大海崎(赤色)を先頭に、福富(オレンジ色)、大井(緑色)、矢田(水色)、馬潟(青色)の順で踊りを披露した。*()内はそれぞれの服の色である。掛け声もそれぞれで音程や音の長さが違っており、面白さがあった。例えば、「ホーランエンヤ」の言葉一つをとっても、五大地でそれぞれ違い、「ホォーーラァーエー」のようにはっきり言わないなど、実際に聞かなければわかりにくいと思う。櫂伝馬踊りが始まってから人がやたらと増えたような気がする。しかし、私たちは脚立を持っていたおかげで、人の壁を気にすることなく、撮影に勤しむことができた。この日までに前回のホーランエンヤをビデオで見たが、生で見るとやはり剣櫂(けんがい)、采振り(ざいふり)の迫力が違う。踊りの内容としては、細かいところは違うものの、大まかな構成は共通するところがある。馬潟は三人交代、他の地区は二人交代と思われる。見たところ、女の格好をしているが、女性は乗っていないようである。川の周りには、これまで見たこともないような人だかりができていた。子ども連れの親子、お年寄り、若者など年齢層は幅広い。くにびき大橋を歩いて通ると、祭りを見物しに、くにびき大橋に集まっている人と、仕事や用事で祭りに関係なく走っている車が一緒にいて、祭りムードと日常が混在しているように感じられた。川周辺の二階建て以上の家やビルは絶好のポジションだと思う。そこに親戚や友達を呼んでいるようである。
 
 櫂伝馬踊りが終わると、神輿を乗せた船や神事関係の船、関係者の船、櫂伝馬船、地区ごとの船が大橋川を下り、意宇川を通り、東出雲町にある阿太加夜神社に向かう。その間、私たちは一時的に町のスーパーに寄って、食事を買うことにした。スーパーの中は相変わらずの様子であったが、トイレは混んでいて、櫂伝馬船の乗組員の方もトイレに駆け込んでいた。船行列を見る人は、移動するということもあって櫂伝馬踊りを見る人よりも少なく、ベストポジションらしきところをゲットすることができた。船に乗っている人は、こちらが手を振れば、ほぼ100%振り返してくれた。櫂伝馬船の人やそのほか関係者、神主、海上保安庁の方も。中には眠っている人もいた。最初の仮面のひとである。東出雲町への道中は車が多く、非常に混雑していた。これらのことを行政が規制していくべきだと感じる。見たいという気持ちはわかるのだが、規則を守ってほしいものである。祭りの時というのは、気持ちが超法規的になるのかもしれない。中海大橋にも人が並んでいた。松江の橋より数段高いため、遠く感じる。船団の行列は長く、一列には程遠い。櫂伝馬踊りを披露しながら、進んでいるようだ。
 
 阿太加夜神社周辺につくと、すでに橋の上には人がずらりと立っていた。狭い川幅の中、櫂伝馬踊りが繰り広げられる。最初に大海崎・福富、次に大井・矢田、最後に馬潟という具合に分けて櫂伝馬踊りが行われた。ここで大井には独特の振り付けというか、動作があることに気づいた。一連の掛け声が終わる時に、櫂掻きが寝そべるという振り付けがあったことである。踊りの内容自体は、松江の櫂伝馬踊りと変わった様子はない。小さな船が橋げたにぶつかるというハプニングがひそかにあったようだ。
 
 櫂伝馬踊りも終わり、陸行列が神輿を伴って朝の陸行列と同じ道具の順番で阿太加夜神社に向かう。そして、神社に入り、神事を執り行う。神事は思った以上に長かった。氏子というか、関係者の数が多くなっているように感じた。カメラマンも朝より少なく、静かで厳かな感じがした。阿太加夜神社を初めてみたが、非常にきれいであった。神社前の参道には無数の旗が並び(写真4)、境内の入り口に立っている門には、中に人形が飾られていた(写真5・6)。またその門に掘られていた「欄間」も美しかった(写真7)。境内には荒神を祀ったとされる蛇があった(写真8)。法文学部の山崎教授もその場にいらっしゃったおかげで、解説を受けることができた。さらに、拝殿の横には、奇妙な絵が飾られていた(写真9)。ほとんどの人は神事ではなく、櫂伝馬踊りに興味があるらしい。
 
写真4 阿太加夜神社参道写真5 阿太加夜神社人形(右)写真6 阿太加夜神社人形(左)
写真7 阿太加夜神社 龍の欄間写真8 阿太加夜神社境内 荒神写真9 阿太加夜神社拝殿横 謎の絵

●渡御祭のまとめ > 木村君体験記、中日祭へ続く
 
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