阿波研造 遺稿紹介
 
 
 阿波研造(1880〜1939年)とは、大正〜昭和初期に活躍した、伝説的な弓の名人です。なんといっても、『日本の弓術』や『弓と禅』を書いたオイゲン・ヘリゲル(1884〜1955)の弓の師匠として名の高い人物です。今でも岩波文庫で簡単に手に入る『日本の弓術』は、読み物としてもとてもおもしろく、おすすめの一冊です。
 
 ヘリゲルについては、山田奨治氏が2005年、「伝説」の裏に隠されたその「正体」に迫るべく『禅という名の日本丸』という労作を著しています。ヘリゲルを聖人のように思う人には嬉しくないかもしれませんが、この本がまたおもしろい。他方で、阿波研造の実像についてはほとんどまだ知られていないようです。出版された資料としては、弟子の櫻井保之助という方による二冊の大著がほとんどすべてですが、現在では入手困難です。馬見塚明久氏による伝記風の小説『霊箭』(2006年)も、だいたいこの櫻井本に基づいて書かれています。
[追記:2013年、池沢幹彦氏による『弓聖阿波研造』という本が出版されました。とくに弟子筋の方の証言など、新しい情報も含まれています]
 
 研造は、一本気で妥協を許さない性格の人だったようで、生前から敵も少なくなく、そのせいで世間からはあることないこと、いろいろと言われてきたようです。甲野善紀氏なども、阿波研造が弓を握らずに矢を放つ練習までしていたとして、「宗教的思い込みの世界」に行ってしまっていると否定的に評しています(養老孟司・甲野善紀『古武術の発見』、光文社、106〜108頁)。ネタもとが定かではありませんが、これは単純に誤った流説にのっかった話だと思います。個人的に、甲野氏自身の考えや姿勢にはとても関心があるんですけれども。
 
 いろいろ調べてみて、研造に対して私が持つ印象は、弓一筋の無骨な人、性格的にはまっすぐすぎるくらいまっすぐな感激屋、というものです。あまり神秘的な志向は感じられませんし、儒学その他の素養はあっても理屈をこねることを好む人でもなかったようです。W.ジェームズ的に言えば、二回生まれではなくて、一回生まれの人ではないでしょうか。
 
 
  △ こちらの写真データベースでは、阿波研造の写真18点を見ることができます。
  > 東北大学史料館
 
  △ こちら、私の書いた論文です・・・
  >「時代の中の弓と宗教−阿波研造と大射道教」(2008年)[PDF file]
 
 
 さて、私自身が感じた印象はまあ別にいいんですが、実は研造関係のまとまった資料として、『阿波研造遺文』というものが東北大学史料館に所蔵されています。山田奨治氏は、こうした研造関係の資料について「それをみることができる研究者は、ごく限られている」として、なんだかそれを関係者が隠しているかのように書いています(『禅という名の日本丸』、347頁)。確かに一般に日本の研究者が資料を隠したがるのは本当だと思いますが、『阿波研造遺文』に関しては隠されているわけではなくって、誰でも閲覧可能です。ただ、問題と言えば問題なのは、図書館蔵ではなくて史料館蔵になっているので所在が分かりにくいんですね。
 
 そういうわけで、『遺文』ぜんぶというのはちょっと無理かも知れませんが、私の方で活字化した分についてはぼちぼちとウェブ上にアップし、関心のある方々の目にふれるようにしておきたいと思っております。なお、『遺文』の公開については、東北大学史料館からご快諾いただいております。
 
> 『阿波研造遺文』目次へ
 
> サイト扉までもどる

 
何気なく検索してみたら、こんな凄い映像をアップしている方がおりました。
昭和11年函館だそうです。これは凄い映像。
阿波研造に加えて、安沢平次郎や後に「二代教主」になる神永政吉といった阿波門高弟の射を動画で見ることができます。安沢は弓を飛ばしていますね。いや、迫力です。