阿波研造 遺稿紹介
 
 
■ 『阿波研造遺文』の由来
 昭和14年に研造が死去した後、『阿波範士言行録』の出版を目ざし、仙台二高弓道会の弟子たちが研造の遺稿や語録を集めて筆写にあたった。ところが戦局の激化や資料の紛失などがあって出版計画は頓挫し、編集途中の稿本だけが残された。
 それから時を隔てて昭和61年、仙台二高百年記念祭の際、櫻井保之助を委員としてこの稿本を製本し、東北大学史料館に収めたのが『遺文』上・下巻である(以上、櫻井保之助『阿波研造 大いなる射の道の教』、阿波研造先生生誕百年祭実行委員会、1981年の記述による)。
 
■ 『阿波研造遺文』の内容
 上・下巻からなり、91の文書番号と、通しの頁番号が振ってある。
 上述の通り、当時の二高生を含めた弟子たちが筆写した手書き原稿であるため、読みにくい部分が少なくなく、もとの文書を引き写した際に生じた誤記も多く含まれると考えられる。こうした事情からテキスト解釈には注意が必要であるが、同趣旨の文章がいくつも含まれているので、それらをひき較べることでより正確を期すことができる。
 
■ このサイトでの『遺文』の取り扱いについて
 このサイトで紹介するのは、管理人(諸岡)が個人的に活字起こししたテキストです。誤写なども含まれるとおもいますが、その点をご了承していただき、あくまで参考資料としてご覧いただければ幸いです。研究などに用いる場合は、東北大学史料館蔵の原本に直接あたってください。このサイト内で紹介している阿波研造のテキストについても、転載をする場合は、史料館の許可が必要です
 
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『阿波研造遺文』(阿波範士言行録稿本)
 
文章番号1 阿波研造墓碑銘 [PDF]
 墓碑は石巻市称法寺に現存。揮毫は大日本武徳会会長でもあった林銑十郎。これを見ると、研造が参禅をしていたとか、大射道教の創設が昭和二年だとか書かれているが、どこまで鵜呑みにしていいものか。
[2003/1 撮影]   
 
文章番号2 「射道正法」
文章番号3 「修程行道一覧」
文章番号4 「十位」
文章番号5 「射錬五別」
文章番号6 「修射行射の別」[PDF]
 講習会のときに配布した文書らしいが、この文書番号2〜6は研造のものとするにはちょっと問題のあるテキスト。というのは、これらは梅路見鸞によるものだという説があり(魚住孝至「弓の道」『国際武道大学紀要』第5号、1989年)、これらと同じテキストを見鸞の手によるものとしてその弟子中西政次が紹介している(『弓と禅 増補』、春秋社、1977年)。言葉遣いをみるかぎりでは、ほかの研造のテキストとは異なっており、やはり見鸞の作とみるべきではないかと感じているが、果たして。
 文章6「修射行射の別」について、『弓と禅』掲載のテキストをみると、「自己を●を得る」の不明箇所は「尽す」とある。また、「死生交々超えて善行するも」は、「苦行するも」。たしかにそうでないと意味が通じないか。
 
文章番号7 「弓道論」[PDF]
 「弓を射れば心気さわやかになり明るさを増すことになると云ふことは当然なのである。少々な病気は弓を射れば全治することは当然過る位当然なのである」。研造の明るさ、屈託のなさ。「人間は修養を要することは勿論なるも、修養とはそんなに六ヶ敷いものとばかり思ってはならぬ」といった文章にも、多少時代がかってはいても、勿体をつけるわけではない研造の性格が伺える。
 
文章番号8 「教示要綱」[PDF]
 1923年のもの。大射道教の立場を語るものとして、代表的な文章といえる。「自分は多年弓を学んで何ら得る処が無かった」と、印象的な書き出し。しかし射の体験を語る場面から一転、他派や社会一般を語りはじめるととたんに激してしまうのだな。「将さに世相悪化の時に当り異端邪説を唱ひ悪事を激成し」云々。
 
文章番号9 「道を探求して人生の大義を悟れ」[PDF]
 例によって櫻井保之助氏の大著をひもとくと、研造が名乗っていた号は、1920年までは「無箭」「無弦」「無弓」、1920年頃から「凡鳳」、1924年頃から「見鳳」、1931年から「宏鴻」であったという。この教示を含め、遺文に含まれるテキストは見鳳時代以降のものがほとんどである。ところでこの文章9は、多分もともとのテキストを筆写する際のものだとおもうが、とくに誤字脱字の類が多い。
 
文章番号10 「教主阿波範士の講話」[PDF]
 「射とは単なる修養や体育ではありません。即ち人間頓悟の大法であり、天下国家を治むる天理常道であり、万世不易の常経なのであります。昔賢哲が射て自らの徳を省み、礼威の基となし、最高の人格をなさしめた、尤も精彩ある修練度脱の聖教であります」。
 
文章番号11
 
文章番号12
 
文章番号13
 
文章番号14
 
文章番号15
 
文章番号16 「高専大会挨拶」[PDF]
 「射は自然の合理を以て本となし自然とは人間の所有する最大生命力の発現でありまして其の賢明さ静さ軟かさと深さと強さと大きさと崇高さと其の温情強の統一的活躍する真善美は自己本然の表現であります」。
 
文章番号17
 
文章番号18
 
文章番号19
 
文章番号20
 
文章番号21
 
文章番号22
 
文章番号23
 
文章番号24
 
文章番号25 「阿波道場口演」[PDF]
 昭和11年8月。時代的にも国家主義的なテイストも強いが。「我等の射は的中本意の仮証的ではなく実証的であるから弓を手にして身体を練り弓を通して真実性を見詰め進退の動作を荘厳と沈着ならしめて静動の大妙に生き明白なる思想に及んで大衆に及ぼさんとするのである 故に精神は心の実行者であらねばならぬ 決して精神の奴隷であつてはならぬ」。
 
文章番号26 「射道口演」[PDF]
 昭和11年8月、盛岡における講演原稿もしくは記録らしい。
 
文章番号27
 
文章番号28
 
文章番号29
 
文章番号30
 
文章番号31
 
文章番号32
 
文章番号33
 
文章番号34
 
文章番号35
 
文章番号36
 
文章番号37
 
文章番号38
 
文章番号39
 
文章番号40
 
文章番号41
 
文章番号42
 
文章番号43
 
文章番号44
 
文章番号45
 
文章番号46
 
文章番号47
 
文章番号48
 
文章番号49
 
文章番号50
 
文章番号51
 
文章番号52
 
文章番号53
 
文章番号54
 
文章番号55
 
文章番号56
 
文章番号57
 
文章番号58
 
文章番号59
 
文章番号60
 
文章番号61
 
文章番号62
 
文章番号63
 
文章番号64
 
文章番号65
 
文章番号66
 
文章番号67
 
文章番号68
 
文章番号69
 
文章番号70
 
文章番号71
 
文章番号72
 
文章番号73
 
文章番号74
 
文章番号75
 
文章番号76
 
文章番号77
 
文章番号78
 
文章番号79
 
文章番号80
 
文章番号81
 
文章番号82
 
文章番号83
 
文章番号84
 
文章番号85
 
文章番号86
 
文章番号87
 
文章番号88
 
文章番号89
 
文章番号90
 
文章番号91
 
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