天野 雅之
ホーランエンヤ体験記/2009年5月24日、還御祭


 
 
 今回は6:00起き↓↓眠たさMax!!その後、サティ近くのローソンで木村君と待ち合わせ。中日祭と同じルートで阿太加夜神社へ。今回が失敗の連続になることも知らずに...。
 
 神社に着くと、式典の開始まで待つことに。今回は祭殿の隣にある近くの兵庫介のお社は閉まっていました。神社では、式典を行うために神社の本殿内に入る時にくつを脱ぎますが、履く時はどれが自分のか分かるのかなと思いました。
 
 そろそろ始まるというときに、今思えば不思議ですが何を思ったのかソーセージを食べるために神社の外に。食べ終わって戻ろうとすると神輿が出発の準備をしており戻るに戻れず、外で見ることに。
 
 近くには外人と見たことのある島大生が!
 
 島大生が話しているのを外人が止めて神輿に集中しているのを後ろから見ていたら、何だか負けてられないと感じました。
 
 出雲郷橋にいく陸行列の人数を数えてみると108人だったと思います。この何百倍という人がその人たちを見ることにこの祭りの凄さを感じました。水上での踊りが始まる前に,大海崎の櫂伝馬船近くで派手な首飾りや指輪をつけたホーランエンヤの関係者の72歳のおば様がおられ、ここで諸岡先生のインタビューが始まりました。内容は、大海崎の采振の人たちの化粧をするために皆生から来られたとのこと。前回のホーランエンヤでも化粧をし、それが気に入られ今回も呼ばれたそうです。この方は、田舎オーラを出させない化粧を心がけるために自身も東京・大阪などに住まれていたそうで、こちらでは浮いているそうです。化粧をすると采振の人たちは4日間ほど☆スター☆気取りになるそうで、女の子よりかわいいと自画自賛するそうです。ホーランエンヤは3日間行われますが、ではおば様が言われたこの4日間っていつなんだろう?と思いつつも、踊りが始まるのでそちらのほうに!!この方に,諸岡先生は高校生と思われていました(笑)。
 
 踊りが終わると、林先生と渡御祭、還御祭と自転車を置かしてもらっている自転車置き場へ向け出発。と、その直後雨が嵐のように降り注ぎ、白のパンツが水を吸収し、下着が見える始末↓↓。服も乾かせずそのまま上に合羽を着て、橋の下で撮影。ここで、一隻の船が近づいてきてきました。何だろうと思っていると,二人の合羽を着た剣櫂が!!この二人は大海崎のスターだ!!何をするんだろうと見ていると、急ぎ足で民家へ。トイレに行くために降りてきたみたいで、出てきたとこをばっちり撮影。
 
 その後、林先生が下見した場所へ。そこは多賀神社の反対側で、雨の中びしょ濡れになりながらこぎ、やっと雨宿りできると思ったら雨が止んだので今止むのかよと思いながら撮影。櫂伝馬船が観客の人たちのために近くで披露するのでくねくね走行していました。船の船団を全て撮ろうとしたら、途中でバッテリーが切れる始末...。本当についていない。
 
 いつもの自転車置き場へ。諸岡先生と木村君を待っている間におにぎりを林先生から頂戴しもぐもぐ。今まであまり好きではなかった昆布がとてもおいしかったです。そして,食べ終わるとすぐ出発。二人を待たずにでて撮影場所を決め、このときから脚立が小→大へ。雨が激しくなりくもってしまい、傘をさす人が多くなり、人数が傘だけにかさまししている感じでした。隣の人はツアーで来られた観光客のようで広島について言われていたので広島から来られたのかなと思いました。
 
 宍道湖大橋へ移動していると今回は屋台の多さにびっくりし、屋台街ともいうべきものまでできていました。しかし、雨のためかなかなか売れ行きは芳しくなかったようです。
 
 水上踊りも終盤に差し掛かると風のせいで強くなり矢田船が流され、後続の馬潟船が追いつき両船が並ぶ形になったのが印象的でした。悪天候のなか、船を操ることの難しさをしりました。その頃、生中継の放送を聞いていると今回のホーランエンヤのことを、今回はどの地区も似たり寄ったりで個性が現れていませんね・・・とあまりいいようにいっていなかったので、それは違うのではとワンセグでテレビ中継を見ながら思いました。
 
 神輿と櫂伝馬船の剣櫂や采振が城山稲荷に移動するために町を通るのを見に行きましたが、このとき長椅子の上に立とうとした子どもがバランスを崩しその際、長椅子が倒れ近くの人が迷惑そうにしていました。その後ろでは林先生が脚立から落ちそうになっていました。そうこうしていると、大海崎の人たちが到着し神社に向け出発。しかし、警察官達が騒がしくなり、神輿を櫂伝馬船の人たちよりも先に行かすようにということで、先に行った人たちは戻されました。近くにはぜんざいの店があり、そこでぜんざいの歌が流れホーランエンヤの掛け声と混ざりごちゃごちゃに...。
 
 ホーランエンヤの踊りが始まる松江城二の丸で、櫂伝馬船の踊りを見にいき、脚立もスタンバイOK。はじまるまで30分待ち、スタート。今回が初めてということで、段取りでもめておられましたが、間近でみれてよかったです。大海崎,,采振は高校生。福富,,,せんにちかつらをした剣櫂。采振は高校生。大井,,,せんにちかつらを剣櫂がかぶり,采振はおさげがみで体の反りが大きいのが特徴。矢田,,,剣櫂はせんにちかつらをかぶり,きびすを少し開けており,采振はせちわれがつらで一人は高校生。馬潟,,,采振は中学生でかつらはなし。せんにち,はくにち,しろかみかつらをかぶり,剣櫂は一人は中学生で,二人は高校生。少したつと、どしゃぶりになり途中で退散。その前に、林先生が脚立のことでひと悶着。どのようなことがあったのかは言いにくいので書きません。
 
 式典を見に行こうとすると、危険防止のために通行禁止に!!結局、見れずじまいに。そのまま自転車置き場へ行き終了。還御祭を振り返ると朝から失敗の連続で、それが祭りの終わりまで続いてしまいました。今日は本当についていなかった。↓↓
 
(今日、自分の通った経路のまとめ)
まず木村君とサティ近くのコンビニで待ち合わせ、自転車で阿太加夜神社へ。そこで出雲郷橋での櫂伝馬踊りを撮影し、大船団を追跡。くにびき大橋、新大橋、松江大橋、宍道湖大橋と行き、松江城二の丸へ。
 
「3日間を振り返って」
 率直に思ったのは、自分の友達らはホーランエンヤは見ず家でごろごろしていましたが、本当にもったいないなと思いました。せっかく、島根にいるのだから見ないなんて損。
 ホーランエンヤについての下準備もすることが大事だと思ったし、櫂伝馬船に乗る人たちにインタビューすればよかったなと後悔。
 写真も多く撮れるようにバッテリーの予備も必要だったし、録画する際の技術を養っとくべきだったし、何より長時間録画するので腕の筋肉を鍛えるべきでした。祭りの次の日は筋肉痛だったので・・・。
 ホーランエンヤを12年後また見れるかどうかなんて分からない。だから、今回のホーランエンヤについてできるだけ細かく書いてみたし、写真もいっぱい撮りました。12年後に開催されるホーランエンヤの時、この体験記が少しでも資料になればいいなと思っています。
 
> 天野君体験記、渡御祭
> 天野君体験記、中日祭
 
> 体験記目次に戻る