高埜利彦・安田次郎編『新体系日本史15 宗教社会史』、山川出版社、2012年、pp.28-56。中世宗教の概説であるが、顕密仏教と鎌倉新仏教の意義を改めて捉え直して、小篇ながら含意に富む。

 1 古代宗教の中世化
 2 顕密仏教と中世国家
 3 鎌倉仏教の展開
 4 中世宗教と社会

平安浄土教の「現世主義的来世観」。「かつて井上光貞氏は、平安浄土教を前世否定の宗教ととらえたが、それは妥当ではない。「現世安穏、現世善処」の語が流布したように、人びとは現世と来世の安楽を求めていた。「厭離穢土・欣求浄土」は建前にすぎない。現世を祈る密教と、来世を祈る浄土教は同じ軌跡をたどりながら発展しており、①鎮護国家の祈り、②自己の現世の祈り、③自己の来世の祈り、④死後の冥福の祈りの四要素は矛盾なく併存していた。中世は基本的に宗教の力によって現世の安楽を獲得しようという宗教的現世主義の時代であり、浄土教とてこの世の安楽が来世にも続くよう望んだものである。いわば現世主義的来世観とでもいうべきものが、平安浄土教の基本的性格であった」(30)。

「出家には、寿命延長と極楽往生の両機能が備わっていた。事実、『平家物語』には平清盛が「存命のために忽に出家入道」したおかげで、病が治って天寿をまっとうしたと、と述べている。・・・・・・現世と来世にわたる両義的機能をもっていたゆえに、出家も、浄土教も、中世社会に広汎に定着することができたのである」(32)。

また著者は、鎌倉新仏教中心史観批判の一環として、旧仏教の鎮護国家や五穀豊穣の祈りが、民衆の生活にとっても重要な意義を有していたことを強調する。「顕密仏教は中世の支配イデオロギーであったが、こうした民衆的基盤があったればこそ、それは支配イデオロギーとして機能しえたのである」(36)。

さらに著者は、悪人往生や悪人正機、易行としての口承念仏の観念が、法然・親鸞以前にあったことを『中右記』や『梁塵秘抄』などを参照しながら示している。「仏教の民衆開放は法然・親鸞たち鎌倉新仏教がはじめて行ったのではない。すでにそれは顕密仏教の手によって達成されていた」(37)。

改めて、「異端」としての鎌倉新仏教の意味について。「顕密仏教はたしかに民衆の世界にまで仏教を広めた。しかしそれは、民衆の内面を呪縛することでもあった。・・・・・・その原因は領主による神仏の独占にある」(41)。「顕密仏教や改革派が仏法を王権に奉仕するものととらえたのに対し、異端派は仏法至上主義の立場から社会の矛盾を厳しく批判した。その点で彼らの思想には、中世の支配秩序を崩壊させかねない危険性があった」(43)。

「宗教的暴力」という視点。中世における暴力と宗教の未分離、さらには戦争と宗教の未分離(45)。「顕密仏教の真の強さは、その文化的影響力の巨大さにあった。良きにつけ、悪しきにつけ、顕密仏教は中世社会のあらゆる領域に大きな影響をあたえている。彼らの強靱さをその軍事力や経済力に求めるのでは、事の本質を見失うことになるだろう」(46)。

[J0519/241004]