Month: July 2025

中村隆之『ブラック・カルチャー』

副題「大西洋を旅する声と音」、岩波新書、2025年。
うーん、自分的にはあんまり。とても博学な人なんだろうとおもうけど、どこが新しいのか分からなかった。入門書だから別にいいんだろうか。

第一章 アフリカの口頭伝承
第二章 奴隷船の経験
第三章 アメリカスに渡ったアフリカの声と音
第四章 自由を希求する共同体の歌
第五章 合衆国のブラック・ミュージック
第六章 アメリカスからアフリカへ
第七章 文字のなかの声
第八章 奴隷貿易・奴隷制の記憶の光と影
第九章 ブラック・ミュージックの魂
第一〇章 ブラック・スタディーズとは何か
第一一章 ブラック・カルチャーは誰のものか
第一二章 未来に向けて再構築されるルーツ

すこし厳しく言いたくなるのは、逆に、脱植民地の話とか文化盗用の話とか、「政治的な正しさ」の話題を「ちゃんと」取りあげているところ。だが、だからといって、奴隷制の歴史とともに、ルイ・アームストロングやら、ニーナ・シモンやら、サン・ラやら、エリカ・バドゥやら、いかにもなスターの話題を軽く散りばめて、こんな本を書くこと自体は文化盗用にはならないのだろうか。けっきょく安全地帯に身をおいて気持ちよく物わかりのいい文章を書いているけど、入門書だって、もっとこの問題に強い主張を抱えた立場からつくるべきではないのか。そうでなければ、むしろ、ファンの立場に徹して、ブラック・ミュージックやブラック・アーツの魅力を解説するなかで歴史のことに触れた方が、まだしも筋が通っている気もする。なんて、自分にできないことを人に指摘するなとは言うけれど、我ながらやたら厳しいことを書いてみる。

以下、本書で参照されている、黒人奴隷や過去・現在の黒人による自伝的記録をいくつかメモ。
・『数奇なる奴隷の半生:フレデリック・ダグラス自伝』
・奴隷体験の聞き書きプロジェクトに基づく『日没から夜明けまで』、『奴隷文化の誕生』
・シドニー・ミンツ『アフリカン・アメリカン文化の誕生』
・1789年に出版された、オラウダ・イクイアーノの自伝
・1845年に出版された、フレデリック・ダグラスの自伝
・ゾラ・ニール・ハーストン『バラクーン』(未邦訳)
・ガーナに対するアフリカン・アメリカンとしての違和感、サイディヤ・ハートマン『母を失うこと』

[J0596/250731]

浜忠雄『ハイチ革命の世界史』

副題「奴隷たちがきりひらいた近代」、岩波新書、2023年。
世界史上重要な、しかも植民地支配にかんする問題認識がさらに深められていくだろうこれからの時代、ますます評価されるであろう出来事、ハイチ革命。しかし、黒人奴隷の闇を映して、この革命もたんに輝かしい栄光の物語としてだけ理解することはできない、ということが本書から分かる。フランス革命やアメリカ革命があいてどった旧体制とは、黒人にとっての奴隷制ほど完全なる外的な侵略や強制の産物とはいえない。ハイチ革命という「革命」は、外から押しつけられたとんでもないマイナスを、多少はましなマイナスにしただけにすぎない。それがたしかに凄いことではあったとしても。

はじめに──ハイチ革命を見る眼
第一章 ハイチ革命を生んだ世界史──「カリブ海の真珠」の光と影──
 一 「繁栄」を支えた黒人奴隷
 二 「繁栄」に潜む危うさ
第二章 ハイチ革命とフランス革命──史上初の奴隷制廃止への道──
 一 ハイチ革命の発端
 二 フランス革命と植民地・奴隷制問題
 三 史上初の奴隷制廃止
第三章 先駆性ゆえの苦難──革命以後の大西洋世界──
 一 「世界初の黒人共和国」の動向
 二 ハイチ革命と大西洋世界
 三 国際的承認を求めて
第四章 帝国の裏庭で──ハイチとアメリカ合衆国──
 一 リンカーンによるハイチ承認
 二 アメリカ合衆国によるハイチ占領
第五章 ハイチ革命からみる世界史──疫病史から植民地責任まで──

遅塚忠躬門下生だった著者は、「イギリスに比べて、フランスの資本主義発展が遅れたのはなぜか」という問いから、それまで、砂糖やコーヒーの産出によってフランスの帝国支配を支えていた最重要の植民地サン=ドマングの離脱という問題につきあたったのだという。

サン=ドマングにおける黒人奴隷の一斉蜂起は、1791年8月22日の夜にはじまった。宗主国フランスでは、1789年に革命がはじまり、1791年9月3日に最初の憲法が制定された、そんなタイミングである。1794年2月にフランス議会は、世界史上最初となる植民地黒人奴隷制の廃止宣言を採択する。

著者いわく「廃止宣言は「人権宣言」からの必然的な帰結としてなされたのではない。・・・・・・もし黒人奴隷の蜂起がなかったなら廃止宣言はなかったと見てよい。廃止宣言は「ユマニテ」(人道)の精神に発したのではなく、フランスの対外貿易において死活的に重要な植民地だった「カリブ海の真珠」サン=ドマングを死守するという、経済的・軍事的動機による窮余の策だったのである」(70-71)。

しかしその後、1802年に廃止宣言を反故にして奴隷制を復活させたのが、ナポレオンである。奴隷蜂起に合流して指揮をとり、騒乱の機にサン=ドマングに侵入してきたスペイン軍を撃退した解放奴隷トゥサン・ルヴェルチュール(1743頃~1803)は将軍にまで登用されていたが、サン=ドマングの独立宣言といえるような「憲法」を制定したことでナポレオンの逆鱗に触れ、フランスに連行されて獄死する。

なぜかここの戦闘の記述は本書にはほとんどないが、1803年11月に、フランス軍に対するハイチ革命軍の勝利が決定的になり、11月29日には「サン=ドマング黒人の独立」を宣言。1804年1月1日には「自由を、しからずんば死」からはじまる、「ハイチ」としての独立宣言が発せられる。おもしろいのは、「ハイチ(アイチ)」という国名は、先住民の言葉で「山の多いところ」と意味だそうだが、どうしてこの言葉を選ばれたのは「今も謎」だとのこと。

近年では、マルセル・ドリニーのように、アメリカ独立革命・フランス革命とともに、ハイチ革命を「18世紀の三大革命」に位置づける論者もいる。「「18世紀の三大革命」のなかでも、反レイシズム・反黒人奴隷制・半植民地主義という三つの性格を併せ持ったハイチ革命は、特異であり先駆的である」(89)。

ただし、ハイチは「フランスへの「賠償金」支払いと借款の返済という「二重の債務」」を抱えることになり(127)、現在にいたるまで、世界の最貧国として歩まざるをえなくなる。「ハイチが「友好的隣国」とみたアメリカ合衆国から承認を得られず、また、ラテンアメリカ諸国との提携の可能性が失われたために、支払能力を超える巨額の「賠償金」を支払ってまでして、旧主国フランスから独立国家としての承認を取り付ける結果となったのである」(128)。著者いわく「先駆的な黒人奴隷解放と独立という輝かしい歴史を持つにもかかわらず、ハイチは極度の貧困に喘いでいる、という表現は不的確である。むしろ、そのような先駆的な国であるが故に貧困化へと向かわされた、と言わなければならないであろう。当時の周辺世界は「世界初の黒人共和国」を歓迎しなかった。ハイチは、その先駆性ゆえに、苦難を強いられることになったのである」(130)。

こうして本書の説明をたどってみると、ハイチ革命を評価しなおすことの大事さにはまったく異論はないが、「三大革命」などとフランス革命・アメリカ革命と並列におくことは、植民地支配や奴隷制の歴史の困難を見逃した言い方だという意味で、脳天気に過ぎるようである(なお、本書著者自身としては三大革命というような言い方はしていない)。

なお、思想史の文脈においてヘーゲルにおけるハイチ像とその変遷を扱っている書に、植村邦彦『隠された奴隷制』(集英社新書、2019年)があるが、本書でも頻繁に言及されている。

[J0595/250726]

伊藤真『考える訓練』

サンマーク出版、2015年。

「ロースクールに入った学生がよく失敗するのは、「考えること」と「探し出すこと」を勘違いしてしまうことである。・・・・・・他人が考えた答えを探すのは「考える」ではない。それはたんなる調査、リサーチである」(4-5)

「なぜ、そういうことが起きたのか。「なぜなんだ」「なぜなんだ」「なぜなんだ」と、三回くらい「なぜ」を問い続けてみよう。いやでも考えが深まってくる」(40)

「ふだんの生活の中でも、人を説得したり、自分の意見を主張したりするときは「理由を三つ考える習慣」をつけておくといい」(56)

[J0594/250725]