副題「「世界の任天堂」を築いた発想力」、ちくま文庫、2015年、原著1997年。任天堂の快進撃を牽引した稀代のゲームクリエイター、横井軍平の仕事と人を盛り込んだ一冊、そのクリエイティビティにあてられる。横井さんの仕事がすごいのは、アナログ玩具とデジタル玩具、ハードとソフトの両方で画期的な商品を開発していることだ。
 玩具史としておもしろい、横井さんの人となりがおもしろい、それから横井さんの「反・職人」の仕事哲学がまた抜群におもしろいというので、少なくとも三種類の読み方ができる本。

第1章 アイデア玩具の時代 1966-1980
第2章 光線銃とそのファミリー 1970-1985
第3章 ゲーム&ウオッチの発明 1980-1983
第4章 ゲームボーイ以降 1989-1996
第5章 横井軍平の哲学 1997-20XX

話のはじまりは、横井が仕事中にさぼりながら作った「ウルトラハンド」について、山内溥社長が商品化を命じたこと。ずっと後のことになるが、アーケードゲーム「ドンキーコング」を開発するときに横井が「引っ張り込んだ」のが、宮本茂で、このときにポパイの翻意としてマリオが誕生することになる。

ファミコン世代としては、「ワイルドガンマン」や「ダックハント」は、ファミコンが売れて新たに開発したソフトだとおもっていたが、むしろそれらの方が先で、そこにある種の本質があったという話。ファミコンロボットも「流行のあだ花」のように受け止められていたとおもうが、すでにテレビゲームに食傷気味だったアメリカ市場にNintendoのファミコンが受け入れられる、その導火線になった存在であるらしい。

それから、ファミコンに先立つ「ゲーム&ウオッチ」が偶然から、電卓技術をもつシャープと連携することになり、実現した話。

任天堂がもともと花札やトランプのメーカーであったこととも結びつけたくなるが、横井軍平はゲームの本質をアイディアに求めていて、「だから、テレビゲームが何万色とかそういうことを追いかけだしたとき、これはゲーム本来の世界とは違う方向に動いているな、感じたんですね」と述べている(157)。「ゲームの本質はアイデアなんで、「アイデアが出てこない」というのは単なるアイデアの不足なんですね。ところが、テレビゲームにはそのアイデア不足の逃げ道があった。それがCPU戦争であり、色競争なんです」(158-159)。

いや、たしかにファミコン、とくに任天堂のソフトは、余計なものを削ぎ落とした感覚があったし、その哲学はこの会社に受け継がれている気がする。「ファミコンが一番おもしろい」という印象は、たんに世代的なノスタルジーだけでもないのかもしれない。

[J0520/241005]