副題「モンゴル大草原の掟」、光文社新書、2024年。
調査をしてもやっぱり、モンゴル人は乱暴で自分勝手だ、というような告白からはじまる書だが、全体としてはちゃんとしたエスノグラフィー。やはり、背景には厳しい自然環境があるということもわかる。

第1章 遊牧民に出会う
第2章 草原世界を生き抜く知恵
第3章 遊牧民にとっての家畜
第4章 野生動物とヒトの理
第5章 ゴビ沙漠の暮らしを追う

アルタイでの暮らし、「冬の暮らしは、まるで嵐をやり過ごすように、静かにじっと耐え忍ぶように過ぎてゆく。そんな生活の娯楽はやはり世間話だ。なかでも、○○のやつが死んだとか、△△の息子が悪さをしたとか、隣人の生活事情や人間模様を、日がな一日ずっと聞かされ続けた。どんなご家庭を訪問しても、人間模様の話題は尽きず、本当にお互いがお互いをよく知っているものだなと、ある意味感心させられた。狭く変化の乏しいコミュニティ、いわばムラ社会にとって、何よりの楽しみは「話題」なのだと感じさせられる」(171)。

「コミュニティに溶け込むことは、それほど難しいことではない。強いていえば、①現地語の習得、②隣人・知人の名前を覚えること、③コミュニティの内部の人間関係に精通することの3つができれば、どんなコミュニティの壁も乗りこえられるはずである」(172)。

「最近の牧夫たちは、家畜を増やすことに必要以上の執着と熱意を注ぎ込んでいる。富めることと、金を得られることがすべてに優先するという、独自解釈の歪んだ資本主義観が遊牧民の金銭感覚や弱肉強食観と融合した結果、モンゴル人の拝金主義と権威主義、かつ他己犠牲の精神を加速度的に社会に浸透させるようになってしまったのだ」(177)。

家畜個体識別能力の高さ、家畜の分類体系(呼称)の精密さの話。ウマの毛色も、著者の調査によると142色を識別していたそうで、一説では400色の分類があるらしい。

特別な存在としてのラクダ。「ゴビ砂漠の遊牧民とラクダとの関係を表すのに、次の語りほどよく表したものはない。「かつてのラクダの騎乗には、”ウージン”と呼ばれる籠が用いられたよ。このウージンは、草原での燃料となる糞集めのカゴとしても利用されたんだ。ウージンを裏返して台にして、妊婦を横たえて、出産の分娩台にもしたしね。葬儀のときには、裏返したウージンをラクダの左右に載せ、故人をコブのあいだからウージンに横たえて葬送したものだ」」(313)。

[J0588/250705]