Month: October 2024

近藤絢子『就職氷河期世代』

副題「データで読み解く所得・家族形成・格差」、中公新書、2024年。

今の話題の本を、眺めてみる。データの読み方など、検証しながら読んではいないので、まずは結果を鵜呑みで。データに基づいた本なので、いずれにしても、今後氷河期世代を論じるときには参照されることになるはず。

序章 就職氷河期世代とは
第1章 労働市場における立ち位置
第2章 氷河期世代の家族形成
第3章 女性の働き方はどう変わったか
第4章 世代内格差や無業者は増加したのか
第5章 地域による影響の違いと地域間移動
終章 セーフティネット拡充と雇用政策の必要性

本書では、1993~1998年卒を「氷河期前期世代」、1999~2004年卒を「氷河期後期世代」と定義している。高卒・大卒の含むのかな。とすると、2024年現在、高卒なら1974~1985生まれで、50歳から39歳。大卒なら1970~1981年生まれで、54歳から43歳ということになるのかな。

本書によれば、就職状況がより悪かったのは「後期」で、しかもその後の世代でもあまり改善しなかったらしい。「氷河期前期世代はそれ以前の売り手市場との激しい落差を経験した世代、氷河期後期世代は雇用の水準そのものがどん底だった世代だ」(9)。ところが2005年卒でもさほど改善されておらず、「本当は06年卒くらいまで就職氷河期世代に含めるべきなのかもしれない」とのこと(10)。

また、たんに就職率だけでなく、その内容にも配慮する必要がある。それは、たんに就職先によって収入の差があるというだけでなく、不本意な就職が多ければ、その後の離職率もまた高くなるからだ。

氷河期世代の就職難が出生率の低下を生んだという見方については、本書はこれをしりぞけていて、氷河期後期世代はむしろ、団塊ジュニア世代よりも40歳までに産む子どもの数は多かったという。少子化の傾向については、就職氷河期の到来といった要因だけでなく、もっと広い視野から捉えなおさねばならないということ。

「就職氷河期世代、特に後期世代が、すぐ上のバブル世代に比べて、卒業後長期にわたって雇用が不安定で年収が低いことは、従来から繰り返し指摘されてきた。これに加えて、氷河期世代より下の世代も、景気回復期とされる2000年代後半に卒業した世代も含めて、雇用が不安定で年収が低いままであることもわかった。90年代からの不景気は、単なる景気循環を超えて、労働市場に構造的な変化をもたらした可能性が高い」(154)。

また、本書が最初に指摘したわけではないと著者もことわりを入れているが、年金制度の「逆進性」がこの世代にとってとくに問題だという話、「ほんそれ」というやつ。「雇用保険をはじめとする社会保険方式のセーフティネットは、過去に保険料を拠出していなければ給付を受けることができず、若年期からずっと雇用が不安定な者にとっての救済策にはなりえない」(162)。

国民年金に関しても、この世代にとってそれを納めることがどれだけたいへんだったか、たいへんか。だから気づくのが遅いのだが、冷静に考えるとやはり腹は立ってくる。この点、参照されているのは酒井正『日本のセーフティネット格差』という本。

あと、本筋とは関係ない話。最近は他の新書でも感じたことがあるが、紙面の上下のブランクが広く、一瞬あれっておもうほど、紙面がスカスカにみえる。屋外の自然光のしたで開くと、とくに。1ページ42字×15行みたいだけど。

[J0528/241030]

倉田剛『論証の教室 入門編』

新曜社、2022年。副題「インフォーマル・ロジックへの誘い」。

以下、本書について頭から通読したわけではなく、いくつか必要な項目を「使った」ところの感想。「はじめに」に、野矢茂樹氏の有名な『新版 論理トレーニング』が使いにくいので、そのバージョンアップとして本書を著したというような主旨のことが書いている。『論理トレーニング』が、評判に比していまいち使いにくいことはたしかだし、インフォーマル・ロジックの概観として、本書のほうが「使いやすく」できていて「はじめに」の意図もよく達成できていると思う。学生など一般の人が、そもそも論証の問題にどこまで・どのように関心があるかは、また別問題であるが。

はじめに

——第I部 論証の基本——————————————
第1章 論証とは何か
  1.1 論証を理解する
  1.2 論証の構造
第2章 論証を評価する
  2.1 演繹的な妥当性と帰納的な強さ
  2.2 評価基準の違い
  2.3 健全性と信頼性
  2.4 評価を実践する:「反論」の練習
第3章 代表的な論証形式
  3.1 妥当な論証の諸形式
  3.2 帰納的に強い論証の諸形式

——第II部 仮説と検証——————————————
第4章 アブダクションあるいは最良の説明への推論
  4.1 アブダクションとは何か
  4.2 アブダクションの解明と「良い仮説」の基準
  4.3 補足:パースと推論
第5章 仮説検証型論証
  5.1 仮説の検証
  5.2 科学における仮説検証型論証

——第III部 演繹と定義——————————————
第6章 論理語─演繹論理の基本的語彙
  6.1 論理結合子
  6.2 量化表現
  6.3 否定のいろいろ
第7章 定義と論理
  7.1 定義とは何か
  7.2 定義の論理形式
  7.3 定義と概念分析
補論I 定義概念について

——第IV部 帰納————————————————
第8章 帰納的一般化とその周辺
  8.1 帰納的一般化
  8.2 全体から部分を推論する
  8.3 類比による論証
補論II 権威に訴える論証と対人論証

——第V部 因果と相関—————————————–
第9章 ミルの方法─原因を推論する
  9.1 因果に関する知識
  9.2 ミルの方法
  9.3 消去テスト
第10章 記述統計学と論証─観測されたデータについて何事かを主張する
  10.1 データの整理
  10.2 データの要約
  10.3 標準化およびデータの線形変換
  10.4 相関分析

以下、ほんとにただのメモ。「補論I」について。

定義には、取り決めや約束事の宣言としての定義と、そうでない定義があり、前者は論証の構成部分にならないが、後者はなりうる(177-179)。

本書に示されている定義概念の分類(ただし、網羅的でも排他的でもない)。

(1)規約的定義
(2)辞書的定義
(3)明確化定義
(4)操作的定義
(5)理論的定義
(6)説得的定義

辞書的定義は、被定義項がすでにもっている意味を報告する定義のことである(181)。したがって、真偽を問うことのできない規約的定義と異なり、その真偽を問うことができる。辞書的定義の性格に関し、それが規範的なものなのか、たんに事実的なものなのかについては論争が続いている。

明確化定義は、被定義項の不明瞭さと曖昧さを取り除こうとする定義のことである(183)。たとえば、「資産家」を具体的な年収や資産で定義するようなもの。

操作的定義は、語の適用基準を決定する物理的操作を特定することによって語を定義することをいう(186)。たとえば、鉱物の「硬さ」は、一方の物質で他方の物質を擦ったときに、傷がつけることができるものが「より硬い」と定義される。

理論的定義は、その語が指す現象(対象・出来事)を説明する理論そのものを提案する、または要約することで、語に意味を与える定義のことである(188)。その輪郭を示すことはなかなか難しいとのこと。

説得的定義は、定義されるものに対する私たちの態度に影響を及ぼそうとする定義のこと(189)。その効果は、論理というよりもレトリックとしての側面から得られるものと、筆者も指摘している。このへんになると、定義の定義が気にかかってもくるが、本書のキモは「インフォーマル・ロジック」の概観を与えることにあり、あえてこの種の事柄に触れている点に独自性と利点がある。

[J0527/241030]

中本崇智『板垣退助』

副題「自由民権指導者の実像」、中公新書、2020年。

第1章 戊辰戦争の「軍事英雄」―土佐藩の「有為の才」
第2章 新政府の参議から民権運動へ
第3章 自由民権運動の指導者―一八八〇年代
第4章 帝国議会下の政党政治家―院外からの指揮
第5章 政治への尽きぬ熱意―自由党への思い
終章 英雄の実像―伝説化される自由民権運動

終章のまとめのところから。

「幕末の板垣は山内容堂や吉田東洋に抜擢され、その後土佐藩討幕派の中心人物として活躍した。戊辰戦争では英雄となり、軍事指揮官としての名声を確立する。明治初年、板垣は土佐藩の藩政改革を実施し、明治政治の参議となった。しかし、明治6年、明治7年の政変で権力闘争に敗北して下野、西南戦争が西郷隆盛の敗北に終わり、板垣も西郷に呼応しなかった結果、武力における政権獲得の可能性も消滅した。板垣は第三の道を選択、言論による自由民権運動へ邁進する。1870年末から80年代、板垣は自由民権運動の指導者として活躍した。特に、岐阜遭難事件と、その場での発言によって板垣は伝説的な名声を獲得する。しかし、板垣は外遊問題で挫折し、党の資金難と急進派への党勢を失ったために、自らが立ち上げた自由党を解党した。さらに、板垣は辞爵事件でも自らの意志に反して爵位を受けて多くの批判を浴び、雌伏の日々を余儀なくされる。1890年の帝国議会開会とともに、板垣は民権運動の指導者から政党政治家へと飛躍する。・・・・・・しかし、日清戦争後の伊藤内閣との提携失敗、民党を結集した初の政党内閣である隈板内閣の崩壊のなかで指導力を失い、星亨の台頭によって政界引退を余儀なくされた。政界引退後の板垣は社会政策を推進する一方、激化事件顕彰運動に関与し、『自由党史』の編纂に尽力した。また、台湾同化会の設立や大相撲の改革にも活躍の場を広げていった」(229-230)

本著著者は、こうした板垣を「一人五生」を歩んだ人物と評する。高知城の一番目立つところに板垣退助の銅像が建てられているが、江戸時代封建制の象徴である城の前に、戊辰戦争の殊勲者でありかつ「自由は死せず」の言葉で有名なこの人物の像が屹立しているのをみると、不思議な気もしてくる。

本書は、『自由党史』を一番の典拠とした民権運動の英雄としての板垣退助像を修正し、その実際に迫ろうとする。それはたしかに価値のあることで、近代史学の世界では評価の高い研究なのかもしれない。しかし、士族であり元勲であった板垣が思想面でいつからどうして民権運動に傾倒していったのだとか、板垣退助自身の思想の内実や行動原理がほとんど全く分からない点では大いに不満が残る。これを読んでも、板垣に関するそのときどきの事跡と状況が分かるだけで、結局は板垣という人物がどういう人であったかは分からず、人名をタイトルに掲げた中公新書の一冊としてはいかがなものかと感じる。新書ではなくて、吉川弘文館の歴史文化ライブラリーあたりであったら、もう少し納得できるかもしれないが。

禁欲的に、社会的文脈のなかで歴史的事実の実証を進めていくことが歴史学者としての正しいあり方という立場なのかもしれないが、僕のような素人が最初に手にとる新書本がこういう感じでは、歴史学に興味を持つ人が減って歴史学界自体が縮小していったり、逆に巷間で好き勝手な人物解釈が横行したとしても、それはアカデミックな歴史学者にも責任があることだと思う。

[J0526/241020]