副題「「社会の縮図」としての鉄道マナー史」、光文社新書、2024年。
身近な話題を取りあげて社会史的な記述を展開、学生にはこの種の調査研究の見本となるような一冊。新書で読めるのもラッキーでしょう。

第1章 「社会の縮図」としての鉄道
第2章 鉄道規範は劣化したのか?
第3章 20世紀前半の車内規範:交通道徳の時代からエチケットの時代へ
第4章 20世紀後半の車内規範:マナーの時代と規範感度の高度化
第5章 現代の車内規範:新しいモノの登場と再構築されるマナー

ひとことで「電車のマナー」というが、その話題の豊富さにあらためて驚く。たとえば・・・・・・満員電車/通勤地獄/国鉄ストライキ/ごみ問題/テロによるゴミ箱の撤去/化粧問題/痴漢/携帯電話・スマホ利用/晒し行為/コロナの影響・・・・・・などなど。
ええと、赤ん坊の話はどこかに出てきたっけか。

「現代社会では「車内は家ではないのだから、こういうことはやめましょう」というメッセージが規範を説得するための話法として用いられている。しかし、20世紀前半の日本社会においては「車内は家のようなものなのだから、こういうことはやめましょう」とまったく別の説得の仕方が定着していた」(110)。

「マナー」に先立つ「エチケット」。「エチケットには男性用と女性用が用意されている。「レディファースト」が何度も使われているように、ルール以上の美しさを積極的に表現するエチケットは、非対称的なジェンダー秩序を前提としている」(147)。

1970年代、国鉄の労働運動とそれに対する利用者の怒り。「〔労働運動における〕その対立の構図は「労働者 vs. 経営者」・「都市生活者 vs. 国家・自治体」ではなく、「鉄道員 vs. 乗客」すなわち「労働者 vs. 消費者」・「公務員 vs. 納税者」として報道され、理解されることになる。・・・・・・「労働者 vs. 消費者」・「公務員 vs. 納税者」という対立構図のなかで鉄道暴動が理解されたことは、いまからみると1980年代以降の国鉄の分割民営化、および乗客の消費者化――公共交通の「プライバタイゼーション(民営化・私事化」――への分岐点であったということもできる」(185-186)。

「対話が通じない存在がいることを想定していれば、「社会の劣化」を「規範の劣化」として語るのではなく、「そもそも社会は規範が通用しない他者が含まれる」という語りがもっとあってもいいはずだ。たとえば西洋ではトマス・ホッブズに遡って語られる自然状態や秩序状態とよばれるものの一部がそうだろう。しかし戦後日本においては、「規範の劣化」として語られ続け、それがエチケットやマナーとで解決できるかのように語られてきたのである」(285)。

[J0545/201205]