Month: April 2021

ブレイディみかこ『ワイルドサイドをほっつき歩け』

筑摩書房、2020年。

第1章 This Is England 2018-2019
第2章 解説編―現代英国の世代、階級、そしてやっぱり酒事情

副題は「ハマータウンのおっさんたち」、ブレグジットに揺れるイギリス、労働者階級のおじさんたちの悲喜こもごも。エッセイとしておもしろいし、イギリス社会事情の活写でもある。個人的には、ちょうど自分がイギリスに滞在していた時期だったので、そういうおもしろみもある。やっぱりこれだけ政治の話がふつうに日常生活に絡んでくるっていうのが、日本とはちがう。

お気に入りは「木枯らしにふかれて」。まさに中年男性の哀愁。解説編も勉強になる。緊縮の話になると前のめりだなと思うけど、それはそれでブレイディさんらしいかな。

[J0150/210428]

菊地夏野『日本のポストフェミニズム』

大月書店、2019年。

第1章 ネオリベラリズムとジェンダーの理論的視座
第2章 日本におけるネオリベラル・ジェンダー秩序
第3章 ポストフェミニズムと日本社会
第4章 「女子力」とポストフェミニズム
第5章 脱原発女子デモから見る日本社会の(ポスト)フェミニズム
第6章 「慰安婦」問題を覆うネオリベラル・ジェンダー秩序

1~4章を読んだけど、なるほど、フェミニズム言説をめぐるいまいまの雰囲気がよく分かる。

第1章は、ナンシー・フレイザーによる従来のフェミニズム批判を要領よく紹介している。フレイザーによれば、新自由主義の拡大に対して第二波フェミニズムがむしろ親和的な働きをしたのだという。

第2章は、1985年男女雇用機会均等法、1999年男女共同参画社会基本法、2015年女性活躍推進法が有した意義を辿る。これらの法によって、見えやすい差別の時代から見えにくい差別の時代に移行し、新自由主義経済に与する「ネオリベラル・ジェンダー秩序」が形成されたという。この診断は、体感ともよく一致するね。

第3章と第4章は、若い世代の(従来のフェミニズムから見て)バックラッシュ的傾向を、「女子力」ブームから読み解く。

「フェミニズムは女性の集合体としての社会的地位の向上を目指したが、ポストフェミニズムにおいてはあくまで個人的な成功に価値が置かれる。そして女性の成功を称揚する際に用いられるのが、「女性を弱者としてひとからげにすることで女性のエンパワメントを阻害する」というフェミニズムに対する否定的なイメージである。そのような「犠牲者フェミニズム」のイメージを否定することによって、女性の成功や成功を求める野心は正当化される。」(75)

英米と日本のポストフェミニズムのちがい。「まず、日本のポストフェミニズムにおいては性的含意が前面に出ていないことである。英米では、女性自身が性的主体となっていくありようが特徴的だが、日本ではそうではない。その代わりに強調されるのが「家事」の能力である。家事というフェミニズム理論でいえば再生産労働がいまだに、日本においては女性性の特権的な位置を占めている。次に、前述したようにフェミニズムが昇任されないままに、女性差別の終了が宣言されていることである。女性差別は社会運動としてのフェミニズムによってではなく、法律や政策、経済発展によって解消されたと思われており、そのような把握には、これも日本社会に特徴的な、国家の存在の大きさが現れている。」(88-89)

「女子力とは結果を得られなくても、努力すること自体に価値があるものなのである。たとえば女子力の高さと「生まれながらの美人、美貌」はイコールではない。美や家事能力の向上を目指して日常的に自発的に管理されようとする心身のあり方、内面性が「女子力」なのだ。これは、あらゆる社会構成員に、トップを目指して競争に邁進することを要請するネオリベラリズムの思想を体現した語彙だといえないだろうか。」(123)

上の抜き書き、前半の指摘について、たしかに努力面での評価はおもしろい現象だと思っていたところ。後半の指摘も、当然、正しい。正しいけど、なんかつらい。

いずれにせよ、本としては良書。深さはわからないが、今のリアルをうまく掬いとっている。

[J0149/210424]

小泉八雲『日本』

平井呈一訳、1976年、原著1904年。原著の表紙には「神国日本」と漢字で大書してある。

わかりにくさ/珍しさと魅力/上代の祭/家庭の宗教/日本の家族/地域社会の祭/神道の発達/礼拝と清め/死者の支配/仏教の渡来/大乗仏教/武力の興隆/忠義の宗教/キリシタン渦/封建制の完成/神道の復活/前代の遺物/現代の抑圧/官制教育/産業の危機/反省

やはり読むなら、日本の歴史解釈としてではなく、八雲の思想として。終盤の方、当時の日本社会の描写はおもしろい箇所もある。

八雲は心血を注いでこの本を書き上げてすぐ、亡くなった。なぜ彼は、自らエッセイストに徹するのではなく、日本語も読めず不得手である学問に足を突っ込んでこういう書を書こうと思ったのだろうか。チェンバレンらとの対抗意識なのか、日本史へのスペンサー哲学の応用・発展が念願だったのか。独自の審美眼のもとに仕事をして、でも審美だけに甘んじようともしなかった、八雲という人の複雑さがありそうだ。

進化論との関係で言うと、一神教を多神教の上に置く見方を批判して、「どんな社会にしろ、その社会に対する宗教の価値というものは、その社会の道徳経験にその宗教がおのずから適応する力、それによって左右されるものであるはずだ」と、文化相対主義的な見方を示して、日本の多神教を擁護しているところなど、おもしろい(「キリシタン禍」)。

「じっさい、日本の国は妖怪の国だった。――不思議で、美しくて、怪奇で、しかも非常に神秘的で――どこの国にも見られない、まったく似てもつかない、珍奇な、魅力的な妖怪の国だった」(「前代の遺物」)。原文では “Here indeed was Elf-land”とある。

[J0148/210421]