Month: April 2022

幸田露伴「易心後語」

幸田露伴に、恐山探訪記があるというので覗いてみる。1892年、明治25年に、東北旅行の一部として訪れたときのもので、恐山の記録としても貴重らしい。初出まではわからないが、ここで見たのは『露伴叢書 後編』(博文社、1909年)に所収のもので、下記リンク先から読める。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/888712/343

当時から、参詣者に満ちて賑わっていた恐山の様子が描かれる。「ちやるめらの如き」大声を上げて泣きながら地蔵菩薩を念ずる女性たちの姿を目の当たりにして、「面白さに堪へねばハアアッ、ヒーッと小音に其泣き方を我が喉に模して鍛錬しながら田名部に下りける」露伴。なかなかに悪趣味な。

[J0264/220429]

高野信治『神になった武士』

副題「平将門から西郷隆盛まで」、吉川弘文館、歴史文化ライブラリー、2022年。

「今以て生きてござる」―プロローグ
神になる武士
神格化という記憶のスタイル―記憶としての祭祀
アイデンティティの支え
武士を神に祀る民
武士身分の消滅と近代化のなかで―開放と収斂
生き続けてきた武士の記憶と祭祀―エピローグ

神格化された武士という切り口でもって、日本宗教史を横断するといった趣の書。『武士神格化の研究』という大著をもとにする。著者の関心がもともと、江戸時代の武士と民の関係にあり、佐賀藩神代鍋島領の研究を進めてきた方と「あとがき」に記してあってちょっと納得、そこから武士神格化一般に手を広げることで視点が拡散してしまっている印象もあるが、話題は豊富。

祭神として祀られている数の筆頭が623件の徳川家康であるのはいかにもであるが、2位は153件の加藤清正だそうで、清正はハンセン病の治癒と土木工事をめぐる信仰から祀られているらしい(42)。3位の平景清は128件、芝居や謡曲でよく知られ、眼病治癒の信仰対象となったとか(43)。また、1789年の松井寿鶴斎撰『東国旅行談』の記載が紹介されていて、義経が関所を通ることに成功した弁慶が安産祈願の対象になっていたという話など、はじめて聞いたな(77)。

武士による先祖の神格化は室町期にもあったそうで、大内正弘が、白川家や吉田家の力を借りながら、父教弘を神格化を図ったとの話(113-115)。ここから連想すること、明治期の招魂社成立に大きく与したのは津和野藩や長州藩だが、中世の武士神格化のはしりが周防大内家からというのも、山口近隣地域になにかそういう土壌があるのかなと思ってしまう。

自分が勉強不足だからなのだが、北海道の義経信仰が、オキクルミやサマユンクルに対する土着の信仰を、和人が都合よく読みかえた結果だという話、僕はこの書ではじめて知った(124-)。なるほど、前から謎だった義経信仰の存在だが、そういう事情ならよく分かる。よく分かるし、アイヌの英雄をかってに置き換えて、例のよくある酷い話だ。

まとめとして、神になる武士の傾向が5点、掲げられている(235)。(1)家康について、「それは国家神として勧請が強制されたからではなかった。先祖として、また地域や家に利益をもたらす神として、積極的に受容されたといえる」(235)。うーん。いまいち納得できないな。文献資料の記述をそのまま受け取ればそうなるのかもしれないけれども。次。(2)「祭神数の多い武士には、古代・中世期の武士が多く含まれることである」(236)。近世の武士も少なくないので、これもよく分からない。(3)「武士祭祀はローカルな性格を持つことである」(236)。まあ、そうかもしれないが。冒頭に触れたとおり、著者の念頭にあるのは、もう少し近世に特徴的な社会構造との関連なのではないか。たんにローカルという言い方でまとめてしまっては、その味が出ないのでは。(4)「武士祭祀はプライベートな性格を併有する」(237)。むむむ。最後、(5)近代になり「武士が歴史上いなくなるなか、祭祀の機会はむしろ増えていく」(237)。

[J0263/220422]

増子博子・長恒さくら『ツキノワ木彫り熊ノート』

発行・木彫熊通信の同人誌、2022年。汽水空港で購入。

木彫り熊写真
ツキノワ木彫り熊ノートについて
第一章 月の輪を持つ木彫り熊(増子)
第二章 上高山兼太郎の木彫り熊を探して(増子)
第三章 上高山作木彫り熊の行方(増子)
第四章 葛巻生まれの木彫り熊の行き先を尋ねて(是恒)
第五章 北岩手の木彫り熊たち(増子)
第六章 木彫り熊に触れて(是恒・増子)

北海道ではなく、岩手県葛巻で、山仕事のかたわらで木彫り熊を彫った上高山兼太郎(1926~1988)の人と作品を探る。「東北に棲むのはツキノワグマだから、俺はそれを彫るのだ」と、ヒグマではなくツキノワグマをモチーフにしたという。たしかに独特の風貌が印象に残る木彫で、かつて彼の作品を買った人のことば、「売るために作られたような木彫りは嫌いだけど、上高山さんの木彫り熊はそうじゃないように見えた」という言い方がしっくりくる。

それにしても、マッチ箱に刷られた木彫りの熊をみてから、生涯木彫りの熊作りを続けることになった上高山さんの熱意も凄いが、かその作品をここまで探しまわり調べまわる著者おふたりの熱意もふしぎなほどだ。おふたりとも、自ら制作活動をしている人の模様。文章はわりと淡々としている、そのギャップもおもしろい。46年前の古いローカル番組のビデオまでみつかるとか、なかなか奇跡的と思うが。ニッチな話だが、イタコの話題のところでは、石津照爾の「東北の巫俗採訪」が参考文献に挙げられている。葛巻では、異常にかわいい「くまどうさま」はじめ、たくさんの神社や祠に木彫りの神さまが祀られているそうで、上高山さんの仕事にはそういう土壌もあったのかもしれない。

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[J0262/220417]