Month: January 2024

架神恭介『「バカダークファンタジー」としての聖書入門』

ひたすら聖書の記述の矛盾や非道にツッコミを入れていくという1冊で、これは逆にすごい情熱だ。別に嘲笑することが目的というわけではなく、聖書とは「徹頭徹尾、人間が書いた書物」であり、「人間の醜さがぎっちり詰まってる」として、「人間というものがリアルに現れた書」「時代を超えて読み継がれるだけの迫力を持った書物」と捉えている。イースト・プレス、2015年。

はじめに 
本書を読む上でのお約束 
イスラエルのおおまかな流れ 

Ⅰ 旧約聖書
1.律法
 創世記──天地創造からすでにツッコミ所満載
 出エジプト記──中間管理職モーセの苦悩 
 レビ記──ヤハウェに仕えるためのルール集 
 民数記──邪神覚醒! 民は虫ケラのように殺される 
 コラム ヤハウェの統治下が劣悪な7つの理由 
 申命記──ヤハウェに仕えるためのルール集・改訂版 
 コラム ノアの洪水はヤハウェのリセットボタン? 
2.歴史書
 ヨシュア記──魔将軍たちのカナン侵攻記 
 コラム 出エジプトからカナン征服の実際 
 士師記──荒れ行く世界と英雄たち、全ては神の茶番劇
 サムエル記(上・下)──神の居ぬ間に権力闘争 
 列王記(上・下)──グダグダ王国分裂記 
3.預言書
 イザヤ書──300年分の電波な預言つめあわせ 
 エレミヤ書──激流に流される木の葉の如き預言者の運命 
 エゼキエル書──気分屋ヤハウェの残酷物語 
 十二小預言書──夫婦漫才やショートコントなど色々と
4.諸書
 詩篇──YHVHクルーのイルでドープなリリック集 
 ヨブ記──徹底討論! 神の救いはホントにあるのか!? 
 箴言──格言集と淑女とビッチ
 ルツ記──旧約聖書きっての良識派テキスト
 雅歌──旧約聖書きっての桃色派テキスト
 コーヘレト書──生きるって……空しいよね…… 
 哀歌──滅亡せしユダ王国に捧げる追悼歌 
 エステル記──悪意と憎悪あふれる地獄の喜劇 
 ダニエル書──やっと出てきた「死者復活」の概念 
 エズラ記──悲劇! 民族浄化で引き裂かれる家族の絆!
 ネヘミヤ記──それはひょっとして、あなたの妄想なのでは? 
 歴代誌──サムエル記・列王記をまとめなおしてみたよ!

Ⅱ 新約聖書
5.福音書・使徒行伝
 マルコによる福音書──共観福音書の比較で見るイエスの生涯
 ヨハネによる福音書──悪霊に取り憑かれたイエス 
 使徒行伝──イエスが死んだ後のこと 
6.パウロ書簡
 テサロニケ人への第一の手紙──俺様パウロ! 死者は蘇るよ! 
 コリント人への第一の手紙──俺様パウロ! 俺がルールだ!
 コリント人への第二の手紙──俺様パウロ! 逆らう奴は許さない! 
 ガラテヤ人への手紙──俺様パウロ! ちんこは大切にな! 
 フィリピ人への手紙──俺様パウロ! 俺への支援は楽しいだろ? 
 フィレモンへの手紙──俺様パウロ! その奴隷、俺にくれ! 
 ローマ人への手紙──俺様パウロ! 人間皆平等! 神に感謝しろよ! 
 コラム ベスト・オブ・パウロ寝言10選 
 コロサイ人への手紙──キリストvs宇宙 
 エフェソ人への手紙──両極端に分かれる解釈の余地 
 テサロニケ人への第二の手紙──キリスト教的終末論の基本モデル 
 テモテへの第一の手紙──パウロ本人すらしのぐ唯我独尊文書 
 テモテへの第二の手紙──人妻たちのいけない課外授業 
 テトスへの手紙──おまえら、自分の身分をわきまえろし 
 コラム パウロの矛盾一覧 
7.公同書簡・黙示録
 ヘブル人への手紙──新説! イエスは「スーパー大祭司」だった! 
 ヤコブの手紙──慈愛の教典かパウロへの皮肉か 
 ヨハネの第一の手紙──見よ、これが背教者だ!(パート1) 
 ヨハネの第二の手紙──見よ、これが背教者だ!(パート2) 
 ヨハネの第三の手紙──ある意味、信仰のリトマス試験紙 
 ペトロの第一の手紙──迫害されるってキモチいい!? 
 ユダの手紙──悪口ボキャブラリーの展覧会 
 ペトロの第二の手紙──昔の人もパウロのことは良くわからない 
 ヨハネ黙示録──少年漫画のラストバトル
おわりに
付録 ダークファンタジーデータベース
参考文献 

とくに、パウロについては口をきわめてその言行のひどさをあげつらっているが、改めて「ベスト・オブ・パウロ寝言10選」とか「パウロの矛盾一覧」をまとめていて、かけている手間が凄いのよ。

もちろん、クリスチャンの人はいい気がしないだろうが、本書を副読本にすれば、聖書を読む際に、むりに整合性を求めて混乱したりせずにすむのではなかろうか。

[J0452/240126]

山口育子『賢い患者』

みずからのがん経験も元にしながら、「賢い患者」として医療に関わる方法を提案する。こういう積極的な方がいてくださるから、世の中が良くなるという気持ちと、病気になってなお「賢い患者」たらねばならないのは、なかなか辛いなという気持ちと、両方。岩波新書、2018年。

序章 私の患者体験
1章 患者、家族の声を聴く──電話相談
2章 患者や家族が直面したこと──comlに届いた相談から
3章 患者が医療を受けるとき──『新 医者にかかる10箇条』
4章 患者が医学教育にかかわる──模擬患者
5章 患者が病院を変えていく──病院探検隊
6章 患者が参加する──「医療をささえる市民養成講座」
7章 患者を“支え抜く”ということ──辻本好子のキーパーソンとして
あとがきにかえて

本筋からまったく離れてしまうのだけど、自分の関心である終末期体験のエピソードが出てきているのでメモ。

危機状態に陥ったとき、耳だけが鮮明に聞こえていたという話(26)。また、いわゆる幽体離脱の体験(27)。「この経験を通して、私は「死とは感情がなくなること」と考えるようになりました。…… 「死」とは恐れるものではなく、肉体を持つ人間に備わってしまっている自力ではどうしても制御できない〝感情〟を昇華できることなんだと感じたのです」(27-28)。

さらに、著者の先達である辻本好子さんの死の場面。著者自身がそのとき手術を受けていて、「手術が終わって二日目の朝七時ごろ、ぼーっとベッドに横になっていたときです。私の耳に明らかに辻本の私を呼ぶ声が聞こえました。名前を呼ばれただけですが、その声が「ごめんね、もうこれ以上がんばれない」という想いが込められたメッセージだと確信を持って伝わってきたのです」(227-228)。例によって、まさにそのときに本当に亡くなっていたのだと。

患者の権利を求めて、きわめて現実的でアクティブな人のお話だけに、印象的。[J0451/240125]

児玉真美『私たちはふつうに老いることができない』

副題「高齢化する障害者家族」。同じ著者の『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書、2023年)とはまったくちがったテイストの本で、障害者の子どもをもつ高齢の親たち(とくには母親)の生活や心理を、ご自分の経験も交えつつ、インタビューをもとに記述する。大月書店、2020年。

第1部 これまでのこと
 1 障害のある子どもの親になる
 2 重い障害のある子どもを育てる
 3 専門職・世間・家族
 4 「助けて」を封印する
 5 させられる;支えられ助けられて進む
第2部 今のこと
 1 母・父・本人それぞれに老いる
 2 多重介護を担う
 3 地域の資源不足にあえぐ
第3部 これからのこと
 1 我が子との別れを見つめる
 2 見通せない先にまどう
 3 親の言葉を持っていく場所がない
 4 この社会で「母親である」ということ)

夫や舅姑との関係の問題、介護をしている親自身の体の不調、医師からのちょっとした一言から受ける衝撃、子どもの将来の死に対する複雑な思い・・・・・・。経験を物語じたてにすること、人に特定の役割を収めて理解してしまうことを注意深く排しながら記述された日常の話は、どれもリアル、どこまでもリアル。

とくに印象に残ったのは、クマザワさんの話(148-150)。3ページほどの記述なのだけど、なにか凄味のある言葉、凄味のある人。(内容はここには書かない。)

少なくとも今の社会体制のもとでは、障害をもつ子どもが生まれてきたら、そこから「障害のある子どもの親」としての人生がはじまることになる。それが不幸一辺倒だというわけではない。また、だからといって苦難に満ちた現状を追認してすむわけではない。本書の記述は、この両極の振れをこそ辿っている。

読みながら、なんとはなく「津波に遭う前の生活は前世のことのようだ」という東日本大震災の被災者の言葉を思い出していたが、本書の終盤で、まさにその表現を本書著者も用いていた。「私自身にとっても海〔お子さんの名前〕が生まれるまでの人生の記憶は、その後と比べると「前世」と「現世」の違いほどに希薄に思える」(176)。もっとも、本書著者はその違いを「生きた時間の濃密さ」の違いとして述べていて、断絶としてだけ描いているわけではない。突然に生じた「それまでの生活やライフプランとの断絶」という面はたしかだとしても、誕生と喪失とでは天と地の違いであって、「現世」に「前世」以上のかけがえのない価値があることを著者らは確信している。

[J0450/240111]