Month: July 2023

小林千草『女ことばはどこへ消えたか?』

光文社新書、2007年。

はじめに 「ちげーよ」と「おひや」「おかか」:共存の不思議、それこそ現代日本語!
第1章 100年前、漱石『三四郎』の女ことばから
第2章 200年前の『浮世風呂』の女ことば:『三四郎』および現代との距離を計りつつ
第3章 「おことば」「もじことば」のルーツを遡る
第4章 『三四郎』より100年後、現代女子学生の言語実態と言語感覚
第5章 女ことばの100年 “まとめ”
おわりに 未来へ向けて:女であり、人間であることの表現史

人文書でもとうぜん、感覚的に合う本・合わない本というものはあるもので。女ことばの歴史を追った本だが、テンポがあわない。僕の感覚からすると、記述が冗長散漫すぎる。まあ、こういうテンポだからこそ、できる研究上の発見というのもあるのかもしれないが。ことばの変化に価値判断は入れないという旨の発言もあったようにおもうが、はしばしに「最近の女ことばの乱れ」を批判するような語り口がにじみ出ているのも気になる。気になりはじめるともういかんのだが、自分の論文をずらりと並べつつ、どうも公平に全体を網羅しているようにもみえない「主要文献一覧」も品がいいとは言えないね。

『ことばの歴史学』(丸善ライブラリー 、1998年)がこの主題では著者の代表作のようだから、そちらを読んでから判断すべきかもしれない。

[J0384/230721]

「鴬を飼わぬ」の話

松江を含む出雲地方の歴史の深さを示すひとつの例。島根県教育会編『島根県口碑伝説集』(島根県教育会、1937年)から、本ではたった三行ほどの「鴬を飼はぬ」というお話。

―― 八束郡法吉村春日の鶯谷は太古宇武賀比売命が下つて鴬となられたと所と伝へられて居る。この故事に依つて法吉村では鴬を飼養しない。又、捕獲しない。現今鶯谷には大きな古墳がある。命の塚なりと伝へられて居る。又字春日では胡瓜の切口が祇園神社の神紋に似て居るとて憚りて之を食はず、又栽培しない。

地元の口碑を集めた『島根県口碑伝説集』、松江城下などは幽霊話など近世風の説話が多いのだが、神が鴬になるという古代的神話がごくさりげなく、生きた口碑として現れるのが出雲風。宇武賀比売は『古事記』にも現れ、貝の神格化と解釈されているらしい。宇武賀比売が法吉の地でウグイスになったという話は『出雲国風土記』に出てくる。上記説話にも言及されているように、その神を祀った旧法吉神社社地(現在は公園として整備)には古墳があり、6世紀前半の方墳と推定されている(発掘調査書、松江市教育委員会『伝宇牟賀比売命御陵古墳』1993年)。小さな神社の境内に古墳があるのも、「島根・出雲あるある」。

今はこのあたり、松江市中心部にほど近い住宅地として「うぐいす台団地」を名のっているけど、その由来をたどれば、「ちょっと素敵だからうぐいす」程度の話じゃないのですよ。

[J0383/230717]

阪口祐介「現代日本における性役割意識の長期的変動」

『社会学評論』74巻1号、2023年、86-103。

1985、1995、2005、2015年実施のSSM調査を用いて、性役割意識の変動の実際と、その変動をもたらした要因を探る。

「女性全体と有配偶者女性では、本人の高学歴化や専門・管理職の増加が性役割意識の平等化に寄与したという説が支持された。一方、男性全体では、未婚化と母親の正規雇用増加が平等化に寄与したという説が支持された。有配偶男性では、母親の正規雇用増加に加えて、妻の高学歴化と専門・管理職増加の説が支持された」(99)

「……そこから浮かび上るのは、高学歴化や女性労働力率の上昇が性役割意識の平等化を単純に帰結するというよりも、学歴・仕事・家族に関するさまざまな社会的地位の構成変化が、ジェンダー差をともないつつ、時には本人以外の重要な他者の影響も反映しながら性役割意識を変化させていくという複線的な経路を通じた価値変容の姿である」(99-100)

「全体としては戦後生まれ以降、世代間で性役割意識に差はみられなかったが(総合効果)、「社会的地位の構成変化による平等化」(間接効果)を統制すると、女性では新たな世代で性役割分業を肯定する直接効果があらわれた」(100)。より具体的には「社会的地位を統制すると、1945-54年出生世代に比べて1965年以降出生世代で性役割分業を肯定する傾向があらわれる……」(98)という。ただし、こうした傾向は、女性全体の値としては、社会的地位の構成変化と相殺されるという。一方、男性には「ゆりもどし」の効果はみられないらしい。

[J0382/230713]