Category: Japanese Articles

平岡聡『浄土思想史講義』

副題「聖典解釈の歴史をひもとく」、春秋社、2018年。インドから中国を経て、法然・親鸞にいたる浄土教思想の流れを、要点を押さえた記述で紹介している。ちょっときれいすぎるくらい。とくに曇鸞・道綽・善導の解説がありがたい。

序章 変容の背景
第1章 浄土教前史
第2章 インドの浄土教
第3章 中国の浄土教
第4章 日本の浄土教
終章 変容する浄土教

例によってメモ。

藤田宏達『浄土三部経の研究』に依拠しつつ、「「極楽浄土」という用語自体はそう古くはなく、インドや中国ではその用例が確認されず、日本の平安時代以降に「極楽浄土」の用例が確認できる。しかし、この四文字熟語を「極楽」と「浄土」に分解すれば、それぞれ古い時代から用いられていた」(27)。

臨終正念の問題。「ブラーフマナやウパニシャッド文献には、臨終の心のあり方が死後の世界に影響力を持つという考え方がインド思想一般に認められる。このような土壌に発生した仏教も、同様の見解を示す」(36)。

『無量寿経』のインド原典。「上輩/中輩/下輩」の機根に応じた往生法を説く。「上輩者は「阿弥陀仏を姿形という点から何度も思念し、多くの無量の善根を植え、覚りに心をさし向け、極楽に往生したいと誓願すること」が往生の条件となる。そうすれば、上輩者の臨終に際し、阿弥陀仏は多くの取り巻きを連れて彼の前に立ち、それを見た上輩者は心を清浄にして極楽に往生するという」(62)。「上輩/中輩/下輩」いずれの場合も、「念仏」や「称名念仏」ではない。

『観無量寿経』、こちらはインド原典がないため、漢訳になる。「下品上生では、十二部経の経典名を聞いて重罪を除去し、南無阿弥陀仏と称えること、下品中生では、善知識が阿弥陀仏の諸徳を聞き、それを称えるのを聞くことで、八十億劫の罪を除去すること、そして最後の下品下生では、十悪五逆を犯した者でも、臨終に際して、真実の心を発こし、声を絶やさず南無阿弥陀仏と十回称えるならば一瞬一瞬に八十億劫の罪を除去し、極楽に往生すると説かれる」(76)。

「浄土宗や浄土真宗で重要視される三経一論とは浄土三部経と『往生論』であり、その『往生論』の著者・世親は絶対他力を説く浄土真宗の七高僧の一人にも数えられる。このような日本の鎌倉浄土教的フィルターを通してみれば、世親の『往生論』は「阿弥陀仏の他力を力説した論書」と無自覚に判断してしまうが、ここには大きな間違いがある。確かに阿弥陀の他力で極楽往生は実現するが、易行は否定されていた」(97)。

善導と念仏。「指方立相もさることながら、善導浄土教の最大の特徴は「称名を念仏」と解釈したことにあり、これが後代、法然浄土教の誕生に大きく貢献した。称名思想は善導以前にも説かれてきたし、それは仏教の本国インドでさえ確認できる行であった。そして中国浄土教になると、称名と念仏は次第に接近し、称名は念仏の加行として、あるいは念仏の導入的な行として機能したが、善導はこの距離を一気に縮め、というか同一視し、「称名=念仏」という大胆な解釈を行ったのである。つまり、それまでは「称名と念仏」という関係であったのが、「称名が念仏」になったのである」(129-130)。「インドに起源を有する浄土教の流れも、時の経過とともに「行」としての側面は後退し、中国の善導にいたって「称名念仏」の一行にまで純化されていくが、それに代わって「信」の要素がかなり強まってくる。まさに〝行の仏教〟から〝信の仏教〟への脱皮である」(133)。

善導と懺悔。「善導浄土教の特徴は「懺悔」にある。中国に仏教が伝来し、500年ほどが経過すると、中国仏教は末法史観の影響を受け、浄土教を発展させた。曇鸞も道綽も末法という時代的危機意識を肌身に感じながら、浄土教にその救いの道を見出したのは確かだが、その末法に生きる劣悪な人間、その人間の中に自分も含まれているという自己省察(自分が凡夫である)の意識は希薄だったように思われる。しかし、善導は九品すべての人間を「凡夫」と見なす」(136)。「〔善導は〕懺悔という厳しい自己批判(機の深信)を通して、阿弥陀仏の本願力に全面帰依(法の深信)していったのではないか」(138)。

法然と「選択」思想。「末法の世に凡夫が救われる教え、つまり時機相応の実践は念仏しかないという主張は、説得力を持って日本中世の人々に影響を与えた。この選択の思想は「専修念仏」に結実し、また浄土宗を超えて、只管打坐や題目という、鎌倉仏教を特徴づける「専修」の先駆けとなった。これが法然の功績の第一である。偏依善導を標榜した法然だが、この選択の思想は、善導をはじめ、中国の浄土教家にはまったくない発想であった」(159)。

「善導の本願念仏説は「念仏は阿弥陀仏の本願であるから、念仏すれば誰でも往生できる」という考え方であるが、これは念仏以外の行でも往生できる可能性を残している。しかし、法然の選択本願念仏説は、「本願念仏は阿弥陀仏が選択した唯一の往生行であるから、念仏以外では往生できない」ことを意味するので(平[2001: 179-181])、念仏以外における行による往生の可能性は〝事実上〟否定され、結果として念仏が特別視されることになる。ここにも、偏依善導を標榜しながら、その善導を超える法然独自の思想を確認することができよう」(163)。

親鸞。「法然が此土から彼土への往相の道を開拓したのに対し、親鸞は彼土から此土への還相の道を開拓したといえる」(182)。

終章では次のように言う。
「結論を言えば、仏教は原理主義者ではない。そのような仏教の本質を明快に提示したのが並川孝儀の『ブッダたちの仏教』だ。普通、仏教と言えば「仏の教え」、そしてその仏とは「歴史的ブッダ」を意味するが、本書はそれに異を唱える。すでにブッダの時代、「仏」と呼ばれる仏弟子は存在したのであり、仏をブッダには限定しなかった。本来、仏教とはそういう宗教だったのであり、その経典も「初期経典」に限定する必要はない」(208)。

筆者は浄土教系の人なのだろうか、南方系の初期経典を絶対視する風潮に反対しているようだ。並川孝儀氏の弟子筋らしい。下記の新書でも、法然の信仰の革新性を述べている。
平岡聡『禅と念仏』(角川新書、2024年)

[J0679/260719]

垂水雄二『科学はなぜ誤解されるのか』

副題「わかりにくさの理由を探る」、平凡社新書、2014年。前半と後半とでかなり内容がちがっており、前半は科学リテラシーの話、後半は進化論をめぐる誤解の話で、それぞれで有益。著者は進化論関係の本を多く訳している翻訳家で、きちんと読んでおられる感じが伝わってくる。

◆第Ⅰ部
第一章 科学的コミュニケーションを損なう要因
 一 科学者の側の誤った情報発信
 二 受け手の問題
第二章 騙されやすさは人間の本質──知覚の落とし穴
 一 比喩的表現の功罪
 二 感じたことが事実とは限らない
第三章 複雑な現象の理解は簡単ではない
 一 条件反射的思考の弱点
 二 確率的事象の世界
 三 統計の嘘
◆第Ⅱ部
第四章 誤解されるダーウィン──進化論再入門
 一 ダーウィンの狙い
 二 いかにして進化するか──自然淘汰の発明
 三 進化論vs.社会進化論
 四 ダーウィン革命とは何だったのか
第五章 「利己的な遺伝子」をめぐる誤解
 一 なぜ批判されたのか
 二 「遺伝子」とは何か
 三 ミームの可能性

メモ。
「進化における突然変異の役割が強調されるようになるのは、1900年のメンデル遺伝学再評価以後であり、遺伝学的な観点からダーウィンの漸進的な進化に懐疑的だったユーゴー・ド・フリース[1848-1935]は、1901年に、遺伝子の突然変異による新種の形成こそが進化の要因だとする「突然変異説」を提唱し、ここではじめて、突然変異を表す用語としてmutationを使ったのである」(135)。「興味深いのは、『種の起原』でmutationという言葉が10回使われていることだ。しかし、すべて単純な変化や変動という意味でしかない」(126)。

「エルンスト・マイヤーはダーウィンの進化論が五つの異なる理論に分解できることを指摘している(Mayr,1985)。すなわち、①世界は不変ではなく、種は変化し、進化しているという理論 ②近縁種は「共通の由来」をもち、一つの祖先種から分岐したものである ③進化は跳躍によってではなく漸進的に進化する ④種数の増加(地理的種分化) ⑤自然淘汰 の五つである。この五つはダーウィンの進化論のなかでは一つに統合されていたが、『種の起原』刊行以後の数十年の進化論ブームで広く一般に受け入れられたのは①と②だけだった」(153)。

ダーウィンやドーキンスの思想の説明については、再読の価値がある。

[J0678/260713]

横井也有『鶉衣』

堀切実校注、岩波文庫、上・下巻、2011年。前編・後編・続編・拾遺と収録。

横井也有は名古屋の武家の出で、1702年生まれ、1782年没。大礒義雄は「学殖を底に秘めて才気縦横軽妙自在、滑稽洒脱の俳文ではほとんど完璧に近い」と評している(『国史大辞典』)。

半面では江戸文化の趣を楽しみつつ、実は半面、いらいらしながら読む。たしかに洒脱で、しかも過剰なところや露悪的なところがなくて穏健。しかしだ。芭蕉を慕っているが、「界隈」になった、いかにもそれ風という意味での蕉風でしかなく、そのなかでの粋人でしかない。洗練を極めているかもしれないが、本当の意味での自己省察を欠いている。旅に出ても、「めでたき御代に俳諧の行はるゝことや、西行に宿をしみし江口の君のつれなさもなく、宗祇に髭をこひし盗賊のおそれもなし。行く先々に同志の徒ありて・・・・・・」というような社会状況。苦悩を超えているのではなく、苦悩がない。

神仏に対する感覚は、けして冷笑的というのではないが、現代風と言えるような姿勢。現世的慣習のレベルでしかなく、なんなら俳諧の材料でしかない。

『鶉衣』は、也有が死後に編纂・出版された俳文集で、也有40歳代(もしかしたら30歳代?)から、82歳までのさまざまな時代の文章が収められている。とくに、前編と後編とで、だいぶ年齢のちがいを感じるが、40代の頃から「年とった、年とった」と言い続けて、82歳まで生きた人であることが分かる。也有自身病気をもっていてはやくに隠居したようだが、この種の感性は現代日本人にも生きていて、半ば現世から降りるポーズをとることでかえって目先の楽しみに満足することができるようになる。

それで辞世の句は「きのふけふ思ひつゝ経し身の程ぞ中々長き夜はかぞへぬる」、「短夜やわれにはながきゆめ覚めぬ」とのこと。これはこれで実感がこもった句ではあるが、その88年前、1694年に50歳で亡くなった芭蕉の「旅に病んで・・・」とはだいぶ距離がある。

[J0677/260711]