Category: Japanese Articles

林竹二『田中正造の生涯』

講談社現代新書、1976年。

序章 田中正造の遺跡を訪ねて
第1章 政治家田中正造の形成過程
第2章 田中正造の議会の戦い
第3章 谷中村問題
第4章 田中正造の谷中の戦い
第5章 砕けたる天地の間に

戦いに身をなげうっていても、「谷中のことがまるで見えていなかった」田中正造が、しだいに谷中村の人たちの勇気に気づくというビルディングスロマンな筋書き。かなり著者の思い入れの強い評伝ということになるんだろう。

田中正造はキリスト者ではなかったようだが、キリスト教に共感をもっていたようだ。また、「田中正造は、決定的に「日本精神」を否定した。やまとだましいは専制国家の手でつくりあげられた偽道徳で、来るべき政治にとっては「大疵物で一文の値うちもない」」(220)と考えていたらしい。

[J0607/251007]

石黒圭『文系研究者になる』

研究社、2021年。
アマゾンレビューで絶賛されていたので、目を通してみた。で、ちょっとだけメモ。

ここが一番熱かった。
「Q:研究テーマは指導教員に近いものを選んだほうがよいですか」。「A:可能であれば遠いテーマを選んだ方が安全です」。その弊害①指導教員の目が厳しくなる。②指導教員の先行研究を批判しにくい。③指導教員の研究との棲み分けに苦労する。④指導教員の枠内で似た研究を再生産することになる。⑤指導教員の枠外のアプローチが取りにくくなる。・・・・・・理路整然!

なるほどメモ。「コメントを増やす方法」。そのひとつ、発表者は参加者のコメントをもらうために複数のグループをわたりあるくという方法。あるいは、事前に参加者が発表資料に目を通しておくという方法。

ゼミ発表における「価値の低いコメント」の類型。
①不勉強にもとづくコメント:常識的感覚や想像力不足。
②誤解にもとづくコメント:思いこみや読み落とし。
③思慮不足のコメント:その場の思いつきや一面的な見方。
④評論家然としたコメント:代案のない原理的なコメント。

[J0606/250930]

宮本常一著作集6 「あとがき」から

『宮本常一著作集 第6巻』は、『家郷の訓』と『愛情は子供と共に』を収める。1967年、未来社刊。以下、「あとがき」からメモ。

『家郷の訓』は、三国書房の経営者花本英夫が、柳田國男に民俗学関係の図書の出版について相談したところ、宮本を紹介されたのがきっかけだったという。「ちょうどその頃私はデュルケムの「教育と社会学」をよんでひどく感心していたので、その書物を下敷にして、もっと具体的なものをかいて見たいと思っていた。そこで先生[柳田]にはそのことを言わないで花本さんに話すと、それでいいだろうというので、いそいでかいたのが「家郷の訓」であった」(288)。

「花本さんは広島県三原へ疎開しておられた。是非寄るようにとのことで三原のお宅をたずねたことがあるのだが、私はすっかりそのことを忘れていた。・・・・・・花本さんはそれから間もなく病気になって三原でなくなられた。そのことはどこかできいたのだが住所もおぼえておらず、おくやみも出さなかったように思う。それから二〇年がすぎて、最近私はまた時折三原をおとずれるようになった。そこに鮓本刀良意さんという実に熱心な民俗学者がいて、三原を中心にいろいろの調査をしており、おなじ町の能地という漁村の調査には特に力をそそいでいる。・・・・・・その情熱にひかされて私もまた三原をおとずれるようになったわけである。この町にはまたみどり屋という書店があって、そこの主人平田さんが私の著書を愛読して下さることから、町にはまた何人かの愛読者がおり、そういう人たちがあつまって歓談することになったが、その家が花本さんの家であり、二〇年あまりでお元気な未亡人にあうことができたし、戦後花本さんに逢ったのがこの家であったことも来て見て思い出せたのである。そして二〇年という年月がどんなに記憶を消してゆくものであるかもしみじみ考えさせられたのであった」(289-290)。

[J0605/250930]