Month: October 2021

『菅谷たたら山内総合文化調査報告書』1・2

公益財団法人鉄の歴史村地域振興事業団『菅谷たたら山内総合文化調査報告書』2020年。
角田徳幸「菅谷鈩山内の施設」
木本泰二郎「菅谷たたら山内の建物の特徴について」
小池浩一郎「菅谷たたらに於いて水力送風の意味するところ」
大津裕貴「菅谷たたら山内を支えた牧野」
武藤美穂子「職能集落としての「菅谷たたら山内」とその居住空間」
小原清「昭和における菅谷たたら山内に対する認識」
鈴木昴太「菅谷たたら山内の生活誌」
鳥谷智文「五人組規約・矯風規約にみえる人々の暮らし」

公益財団法人鉄の歴史村地域振興事業団『菅谷たたら山内総合文化調査報告書2』2021年。
鳥谷智文「八重滝鈩における水力送風技術の導入」
武藤美穂子「「菅谷たたら山内」における長屋の考察」
峠理恵・鳥谷智文「聞き取り調査記録 菅谷たたら山内の女性たち(1)」
鈴木昴太「聞き取り調査記録 菅谷たたら山内における昭和期の操業と生活」
小原清「史料紹介 益田市指定文化財津島家文書「金屋子神秘禄傳 全」の解題と翻刻

菅谷たたら山内に関する報告書としては、1968年島根県教育委員会『菅谷鑪』以来のものと思われる。

個人的には、聞き取り調査がとくに興味深い。明治期の文書を材料にした報告書1の鳥谷論文では、結婚の際に石地蔵を運ぶ風のことが記されているが、報告書2の聞き取り調査ではそれが実体験として語られていて、びっくり。今でもまだ、こういう民俗調査が可能なんだな。どぶろくの検査が来たときには、「牛が出た」という暗号や回覧で伝えて酒を隠した話とか。

報告書1の鈴木論文から。たたら製鉄関係者が「タタラモン」として見下されてきたという話はよくあるが、逆に山内から周囲の百姓を「在」の「地下衆(じげしゅう)」と見下すようなこともあったとの話、なるほど、さもありなん。たんに固定的・一方的な差別ではなく、そうやって区別しあうような感じ、他にもよく見かけることだ。ここでも、もののけ姫の記述は誇張になる。「トンジンバナシ」といったホトケ下ろしもする拝み屋、民間宗教者との関わりもかなり詳しく書いてあって、興味深い。

菅谷山内の聞き取り調査としては、次のような論文も存在する模様。
濱井美和「たたら集落における女性の生活誌にむけて」『古事』5, 2001年.

また、下のYouTubeチャンネルでは、この報告書の研究発表を視聴できる。
「おうちでたたらミュージアム2020」
https://www.youtube.com/channel/UCl7ht4XCjfwbl6A_IJH1D0A

[J0211/211029]

河川行政に関するオーラルヒストリー実行委員会

公益社団法人日本河川協会で、河川事業および河川制度の歴史研究としてオーラル・ヒストリー事業を進めていて、これがなかなかおもしろそう。


 刊行済みの報告書。
『戦後の水害と治水事業(昭和20年代~昭和40年代)』渡邉隆二 
『利根川放水路建設計画』尾之内由紀夫
『戦後の治水長期計画と河川環境保全』西川喬
『戦後の河川の研究と技術』吉川秀夫
『私が歩んだ戦後の河川行政』川崎精一
『戦後の治水事業(昭和30年代~昭和50年代)と私がめぐり会った人々』小坂忠
『九頭竜川にかける男』 東郷重三
『河川総合開発 』松村賢吉 他
『わたくしの河川行政の歩み』 廣瀬利雄
『松原・下筌ダム事業オーラルヒストリー 』ダム技術センター
『斐伊川・神戸川流域治水事業 』定道成美 他
『公務と研究半世紀の中の河の経験・水の交流』三本木健治
『利根川総合開発と私、その10年~利根川河口堰と八ッ場ダム~』陣内孝雄
『逆境からの模索』近藤 徹
『河川水害訴訟』谷口光臣 他
『ダム等事業審議委員会によるダム事業評価システム
『八ッ場ダム建設事業における「中止」宣言から
 本体工事着手までの経緯に関する記録(中間報告)
http://www.japanriver.or.jp/kyoukai/shiori/shiori.htm

月刊誌『治水雑誌』『水利と土木』『河川』についても記事検索ができて、会員は本文閲覧もできる模様。

[N0001/211028]

松塚豊重『石見の善太郎』

永田文昌堂、1988年。

喜びの跡
善太郎文字とこの善太郎
ご意見――聴聞
地獄の仕事
石見の自然と生活
海の徳、天の徳
ご恩
御開山さまの御誕生日
ご恩知らず
生まれつ死つ
言葉と行為
草餅説法
散り葉ほどもええことがない
苦をのがれもうす
お育てのおかげ
にんげんなら、にんげんらしゅう、してくらせ
信仰の友、磯七
法友たちの踊り
泣柱
割り木
別れ路とまた会う国
妙好人と言葉

石見は下有福の妙好人、善太郎。記録に残っている年頃の問題もあるにせよ、いかにも好好爺然とした因幡の源左と比べると、なかなか気性の激しい人だったもよう。法悦で踊り出すようなエピソードもあったり。

上に節タイトルを並べたけど、妙好人とは相田みつを的なもののルーツなのかもしれないな、そういえば。ウィキでみると、相田みつをは曹洞宗を学んでいるのか。

この本自体は、著者のドイツ哲学の概念を駆使した解釈のあいまから善太郎の姿をうかがうという感じで、シンプルな言行録が読みたいな。菅真義『有福の善太郎』(百華苑)がそれのよう。

[J0210/211026]