Month: July 2022

家永三郎『日本文化史 第二版』

岩波新書、1982年。初版は1959年。

はじめに
I 原始社会の文化
II 古代社会初期の文化
III 律令社会の文化
IV 貴族社会の文化
V 封建社会成長期の文化
VI 封建社会確立期の文化
VII 封建社会解体期の文化

ちょっと理由があって手に取る。なるほど、今ではこういう、著者自身の「価値判断」が色濃く出た通史を書くのは、難しいだろうな。家永のその「価値判断」が、記述に精彩を与えている。宗教思想に対する造詣が深いのも、彼の特徴。もうひとつの特徴は、江戸時代や封建社会の文化に対する評価の低さで、「民主主義的な」立場からの批判意識が感じられる。宗教思想へのある種の共感と民主主義とは必ずしも当たり前に結びつくものではないが、安丸良夫がその後継者として思い浮かぶ。また、相対的に中世文化への評価が高いが、こちらは網野善彦史観との共通点を持つ。

しかし、「文化」という括りは難しいものだ。政治と対置できるという意味では「生活」や「民俗」と並べうるが、とくに高尚な文化をも含む点で、庶民に焦点のある両者ともまたちがっている。

[J0280/220729]

雨宮処凛編著『ロスジェネのすべて』

副題「格差、貧困、「戦争論」。2020年、あけび書房。

序章 ロスジェネをめぐるこの十数年(雨宮処凛)
第1章 ロスジェネと『戦争論』、そして歴史修正主義(対談:倉橋耕平×雨宮処凛)
第2章 ロスジェネ女性、私たちの身に起きたこと(対談:貴戸理恵×雨宮処凛)
第3章 「自己責任」と江戸時代(対談:木下光生×雨宮処凛)
第4章 貧乏だけど世界中に友達がいるロスジェネ(対談:松本哉×雨宮処凛)

奈良の元総理暗殺事件でもまた注目を浴びている「氷河期世代」の加齢、高年齢化。本書、あくまで雨宮さんが体験したかぎりのロスジェネ論ではあるが、それはそれで興味ぶかい。がっつりロスジェネ当事者のひとりとしては、私たちが自己形成をしたころの1990年代の空気感を改めて思い出した。

とくに興味深いのは、ときどき顔を出すジェンダー問題やフェミニズムとの関連性。雨宮さん貴戸さんは、ロスジェネ女性は(あるいは男性もだが)、「主人と妻と子どもという家庭」という理想像を実現することができない境遇に置かれたゆえに、そうした「男らしさ」「女らしさ」の理想を批判するフェミニズムは贅沢にしかみえず、共感が持てなかったのではという。

最後の松本哉さんの話はだいぶ雰囲気がちがっていて。

松本:まあね、20代後半とか30代に差し掛かる頃に、将来について悩むのはいいんですけどね。30過ぎて将来を悩んでも、もう手遅れなんですよ。
雨宮:あ、そうか、もう手遅れなのに何とかしようとしているから、悩みが深くなるのか。
松本:皆さん手遅れですというのを、ちゃんと皆で再確認して、後はやけくそに勝手に生きる。それで、最後にざまあみろと言って死んでいく。これがやっぱりうちらの世代の一番理想の生き方なんじゃないかなと。(237-238)

最後の「理想の生き方」が本当に理想かどうかは別にして、「手遅れ」という認識を出発点にすることは、たしかに大事な気がする。思い返せば、どこまでロスジェネ一般の話か分からないけども、1990年代頃は、世俗の富や出世ばかりガツガツ追いかけても意味がない、というような理念がしばしば将来のヴィジョンとして語られていて、自分を含め、なんとなくそれがそのとおりになったという人も多いのではないか。そのときは、日本社会全体の貧困化までは想定していなかったわけだが。そう考えれば、今になって不遇を大騒ぎするのもどうかという見方もある(他人からそう言われたくはないが)。

「私たちは、一億総中流が崩れた社会を走るトップランナーとも言える」(4)というのは、良くも悪くも、きっと本当。今話題の、独身孤独中年の問題などは、おそらく後の世代が中年になればまた同じ状況になる。いやむしろ、今、団塊世代が逃げ切り世代として冷ややかに語られるときのように、「親が団塊世代だった世代」と、まだ特権が残っていた世代、まだまだ牧歌的だった世代として見られるのかもしれない。現在のヤングケアラー問題なども思い出される。

[J0279/220728]

土橋章宏『いも殿さま』

めずらしく、小説。地元ものだったので・・・・・・。
主人公は井戸平左衛門。
陳腐&野暮な感想だが、どこまでが史実なんだろうか。
著者は『超高速!参勤交代』の人らしく、とても読みやすいね。
以上。

[J0278/220723]