新曜社、「よりみちパン!セ」シリーズ、2018年。


1 できなくてなんだ
2 ならどうならよいか・1
3 しかしこの世のしくみ――私たちの社会は変だ
4 でも社会はそうじゃないかという話
5 人は違うものを信じている
6 差は仕方がない、必要だというお話について
7 「機会の平等」というお話がいけてない話
8 むしろ差は大きくなる
9 文句の言い方
10 世界の分け方
11 違いへの応じ方
12 材料も仕事も分ける
補・1 教科書に書いたこと
補・2 三人の人と話してみた
補・3 健康で文化的な最低限度?
本の紹介
終わりに

補足の中に「つよくなくてもやっていける」という、筆者が書いた新聞への寄稿記事があるが、それを読めば思想の骨子はじゅうぶんつかめる。

他、メモ。

「それで考えるに、「搾取」という話はあまりうまくいかないようだ。それは生産に対する「貢献」を基準にしている。私たち労働者はこんなに貢献しているのに、というのである」(216)。

ニーズに関して、「医療はあればあるだけよいというものではない」(268)。介護や介助も同様であると。「まず、一日は二十四時間でそれ以上長くなることはない。そして多くの場合、その仕事は一人について一人で足りる。すると上限が決まっているということだ」(269)。「私たちはすぐ、「最低限度」とか、「基準」を決めたがる。決めないとやっていけないと思っている。しかしいつもそうか。そのことを考えておいた方がよい」(273)。

「政治が決めることがそれ以外で決まることと違う一番大きなことは、政治には強制があるということだろう。税金は払いたくなくても払うものだ。払わなければ脱税で罰せられる。だから、私たちは政府になにをさせるかを考えるなら、人を強制してでもすべきことはなにかと考えた方がよい」(310)。

山田真さんとの対談の中で、学校における能力主義を問題にしている文脈で。「もうひとつは、「学校は生活の場だ」と言ってしまうこと。一日のうち、起きている時間の半分以上を子どもたちは学校で過ごすわけですから、生活の場だというのは、主義主張じゃなくて事実なんですね。となると、いわゆる勉強のことだけを言っているのはおかしいということになる。暮らしを大切にするというところから〔障害のある子も〕普通学校へ行くというのはもっともな話になります」(363)。

岡崎勝さんとの対談でも同趣旨の発言。「まず言えるのは、僕たちの住む社会では、学校に行ってる時間が妙に長いということです。子どもが起きている時間の半分以上は学校にいるわけですから、いやおうなく学校は生活の場だと僕は考えています。だから、雑多な人がいっしょにいるのがほんとうだと思う。能力によって隔てられてしまう生活の場はいろいろな意味でおかしい、気持ちがわるい。そういう意味で、「障害児を普通学級へ」という主張は、誰がなんと言おうと正しいと思います」(374)

[J0537/241121]