ちくまプリマー新書、2022年。実験にもとづく認知科学から、学習や上達の過程を探る。佐伯胖さんの弟子筋の方で、生田久美子さんの本なども引用。雑にまとめてみて、学習や上達は複合的な過程の総合からなる、と言ってみる。

第1章 能力という虚構
第2章 知識は構築される
第3章 上達する―練習による認知的変化
第4章 育つ―発達による認知的変化
第5章 ひらめく―洞察による認知的変化
第6章 教育をどう考えるか

メモ。

言語隠蔽効果。「コトバは、全体性を持つような場面や対象、また直感的な理解を表現するには適していない。そうしたものをコトバで表現すると、認識が阻害されることもある。たとえば人の顔や声はコトバで表すことは難しい。これを無理にさせるとどのようなことが起きるかといえば、それらの認識の低下なのである。」(60-61)

スキルの上達過程で一時的な後退や停滞が起きるのは、すぐれた技法を取り入れたときに、その技法を、操作過程の全体と調整させる過程が必要だから、らしい。「スキルの実行のある特定の時点で、同じ結果を生み出す操作が複数存在している。操作方法には、それが実行される環境の要素が含まれている。また自分の身体、禅との操作も環境となる。操作方法と環境との間の相性が揺らぎを生み出す。その揺らぎをバネにして新しいスキルが創発する」(106)。

スモールステップ式教育への批判。「遠隔項の存在を知らずに近接項に特化した学習が行われる場合には、結果として形だけの結果の模倣が生み出される。これは融通の利かない、転移の可能性がないものになる」(200)。「チェックリストなどの「きちんと教える」教育は、やっている方も受けている方もなんとなく満足する。「ここまでやった」、「ここをクリア」、「次の課題はなんだ」などという雰囲気に浸れる。しかし、これは「教育ごっこ」に陥る危険性は高いと思う」(201)。マイケル・ポランニーへの言及、徒弟制の意義への着目。

模倣の意味。「佐伯胖によれば区別すべき2つの模倣がある。一つは「結果マネ」というものである。これはとにかく同じようにやること自体が目的となる模倣であり、「最初はこれ」、「次はこれ」・・・・・・のように、近接項レベルの模倣を生み出す。もう一つは「原因マネ」である。これはその技が生み出される原因つまり遠隔項を真似ることで、結果として演技自体を真似ることになる。これは近接項を生み出す遠隔項へ焦点を当てた模倣と言えるだろう。生田は前者を「形(かたち)」、後者を「型(かた)」と読んで区別している」(204-205)。「こうした二つの異なるマネを生み出すのは、共有経験の有無である」(205)。

[J0582/250430]