Month: March 2024

桜井啓子編『イスラーム圏で働く』

副題は「暮らしとビジネスのヒント」となっているけど、イスラーム圏各国における現地体験の読み物集としてとてもおもしろい。いい企画、良書。岩波新書、2015年。

第1章 イスラームの懐に飛び込む―湾岸諸国
第2章 アラブとの付き合い方―アラブ諸国
第3章 誇り高きペルシアの人びと―イラン
第4章 西洋に最も近いイスラーム圏―トルコ
第5章 イスラーム?それとも地域の風習?―南アジア
第6章 イスラームとの新しい付き合い方―東南アジア、そして日本

イスラームとしての共通性も、お国ごとの事情のちがいも、それぞれの体験談からうかがうことができる。ほとんどが日常生活内の話だが、1990年湾岸危機のときにクウェートでイラク軍に拉致された竹内良知さんのお話は、歴史的な証言でもある。

いまは、YouTube などで海外諸国を紹介する動画も多く、そちらはそちらで楽しいが、この本の語り手の方のような、長い期間の体験にふれるのには活字という媒体が効果的であると改めて感じる。

[J0457/240329]

大隅典子『脳の誕生』

脳の発達・進化について、最新の知見(といっても2017年当時のであるが)にもとづきながら解説。副題「発生・発達・進化の謎を解く」、ちくま新書、2017年。

1 脳の「発生」―胎児期(30週)
第1章 脳を構成する細胞の世界
第2章 始まりは「管」
第3章 脳の区画の成立
第4章 ニューロンが生まれるとき
第5章 ニューロンの移動

2 脳の「発達」―出生から成人まで(20年)
第6章 脳の配線はどのようにつくられるか
第7章 ニューロンの生存競争
第8章 生後ののうの発達
第9章 脳は「いつも」成長している

3 脳の「進化」―地球スケール(10億年)
第10章 神経系の誕生
第11章 脳の進化を分子レベルで考える
第12章 脊椎動物の脳
第13章 霊長類の脳、ヒトの脳

遺伝子は、あらかじめ決められた設計図のようなものではなく、もっと柔軟にその働きを発揮するものであることを強調。「よく「遺伝子は体の設計図である」と言われますが、遺伝子は発生の過程でだけ使われるのではありません。重要なので繰り返しますが、私たちが日々の生活を営むときにも、黙々と遺伝子たちが働いているのです」(226)。

たとえば、その活動依存性について、次のように説明している。「おおまかに言えば、胎児期の神経発生は「遺伝的プログラム」にのっとって進みますが、シナプス形成が生じて神経回路が形成されてくると、その発生はニューロンの発火、すなわち神経活動自体の刺激によっても影響を受けることになります」(133)。

本書のタイトルは、パーカーの『眼の誕生』になぞらえたものだそうだが、「霊長類の場合にも、世界を認知する手段が嗅覚から視覚へシフトしたことにより、さらにその生活様式に変化が生じたと考えられます。それは、社会性の複雑化です」(221)と述べる。「霊長類の個体は自分の所属する集団の中での位置関係を認識し、自分の行動が他者からどのように見られているのかを意識し、そのことによって相手を騙すこともできるのです。このような社会性の発達は、先に述べた視覚の発達なしには難しかったであろうと想像できます」(222)として、ロビン・ダンパーの「社会脳」仮説に言及。

[J0456/240322]

武満徹「吃音宣言:どもりのマニフェスト」

初出は「SACジャーナル」連載、1964年。『現代誌論大系 第四』(思潮社、1965年)に所収のものを、国立国会図書館デジタルコレクションから読むことができる(要登録)。https://dl.ndl.go.jp/pid/1356353/1/96

  • ベートーヴェンの第五が感動的なのは、運命が扉をたたくあの主題が、素晴らしく吃っているからなのだ。
  • どもりはあともどりではない。前進だ。
  • 東洲斎写楽はどもりである。
  • どもりも鳥も、いつも同じことはくりかえさない。その繰りかえしには僅かのちがいがある。このちがいが重要なのだ。
  • どもることで、言葉はそれ自体の肉体をもち、どもれば、言葉の表現の意味は解体され、人は、確かな裸形の意味を摑むだろう。脆弱な論理にまどわされぬ、〈人間物〉としての言葉は、こうして真に響くのである。
  • 意味が言葉の容量を超える時におこる運動こそ、もはや物理学では律せられない、〈生〉の力学ではないか。ぼくが幾分寓意的に書いてきた吃音の原則は、そこに在る。
  • ぼくらの声は不完全さによって個性的であり、そのことによって肉体となるのである。
  • 吃音者はたえず言葉と意味のくいちがいを確かめようとしている。それを曖昧にやりすごさずに肉体的な行為にたかめている。それは現在を正確に行うものだ。芸術作品は地層のように過去から現在を進行する形のものでなければならない。どもりはあともどりではない。

視点としてのどもり。どもりの形而上学を意識したらなら、どもりの芸術を、あちこちに見出すことができるはずだ。

[J0455/240320]