Month: February 2023

『病と障害と、傍らにあった本。』

里山社、2020年。

【本を知る】
齋藤陽道  母の絵日記 
頭木弘樹  本嫌いが病気をして本好きになるまで 
岩崎航   病をふくめた姿で 

【本が導く】
三角みづ紀 物語に導かれて 
田代一倫  写真と生活 
和島香太郎 てんかんと、ありきたりな日常 

【本が読めない】
坂口恭平  ごめん、ベケット 
鈴木大介  本が読めない。 

【本と病と暮らしと】
與那覇潤  リワークと私―ブックトークがあった日々 
森まゆみ  体の中で内戦が起こった。―原田病と足るを知る暮らし― 

【本と、傍らに】
丸山正樹  常にそこにあるもの 
川口有美子 それは、ただ生きて在ること

それぞれに、読書することの切実な意味や理由が語られていて、良書。また、ほんとうの読書には、本との相性やタイミングがあるということもよく分かる。齋藤陽道さん、頭木弘樹さん、坂口恭平さんのエッセイがとくにいい。いや、どれもいいですよ。 

この本で紹介されていて、そのうち読んでみたいと思った本のメモ。

 『定本川端茅舎句集』
 折笠美秋『君なら蝶に』
 栗田隆子『ぼそぼそ声のフェミニズム』
 J.シマンスキー『がんばりすぎるあなたへ』
 森まゆみ『自主独立農民という仕事』

とはいえ、この本はあれこれの本を紹介する本ではなく、あくまで、それぞれの「読書する理由」を語ったエッセイ集。読書が苦手だという人にも、お薦め。

[J0339/230220]

中嶋洋平『社会主義前夜』

副題「サン=シモン、オーウェン、フーリエ」、ちくま新書、2022年。

第1章 市民革命と産業革命―社会をめぐる動揺と混乱
第2章 ナポレオンのヨーロッパ―社会の安定を目指して
第3章 ウィーン体制としばしの安定―社会の理想を求めて
第4章 成長する資本主義の下で―出現した社会の問い直し

従来、「空想的社会主義者」とひとくくりにされてきた思想家・活動家3名の実像に迫る。たしかに、それぞれが興味深い人たち。3名ともまったくちがっていて、社会主義とはいっても、資本主義に批判的であったのはオーウェンくらい。ただし、既成のキリスト教に満足できなかったことは、ひとつの共通点として指摘できるようだ。

とくにオーウェンはいろんな文脈に顔を出す人で、心霊主義との関連では、吉村正和『心霊の文化史』などに記述がある。

本書は、典拠をいちいち記さない物語調の記述だが、個人的にはちょっと苦手。本としての価値もやはり下がってしまうと思う。

[J0338/230209]

豊田武『宗教制度史』

著作集第五巻、1982年、吉川弘文館。

豊田武(1910-1980)は、東京帝国大学国史学科卒業で、東北大学や法政大学の教授を歴任した歴史学者。平泉澄(1895-1984)や圭室諦成(1902-1966)よりは後の世代で、石母田正(1912 – 1986)とほぼ同世代にあたる。

第1編 日本宗教制度史の研究(1938 / 1973)
 一 宗教制度の変遷概要
 二 寺院本末関係の発生とその発展
 三 寺院議決機関の成長
 四 檀家制度の展開
 五 江戸時代の寺領制度
 六 明治初年の上知問題
 七 皇道宣布運動の進展とその意義
 八 信教自由思想の発達と政教分離の経過について
 附 仏教社会事業史の展望
 明治宗教制度年表
第2編 神祇信仰
 一 古代・中世の塩竈神社(1975)
 二 中世に於ける出雲大社の信仰(1940)
 三 神仏分離運動の一前提(1940)
 四 教派神道の発達(1943)
 五 仏徒の神社観について(1938)
第3編 中世の祭祀組織
 一 神社と村落結合(1938)
 二 宮座の発達とその変質(1936)
 三 中世の村落と神社(1939)
 四 中世に於ける神社の祭祀組織について(1942)
 五 武士団と神々の勧請(1976)
 六 武蔵武士と神々(1978)
 七 武蔵野の開拓と神社(1978)
 八 下野の武士と神(1978)
解説/黒田俊雄

本書は、『日本宗教制度史の研究』(1938 年)を第1編として収め、この主題に関連する諸論文を第2編・第3編として付したという構成になっている。

著者がのこした仕事全体の中心は、座の研究をはじめとする中世商業史らしいが、『日本宗教制度史の研究』は、文部省宗教局の嘱託となって実施した宗教制度調査の成果であり、著者20代の頃の処女作にあたる。解説の黒田俊雄は「模範的な〝近代日本〟的宗教史観」とかなり批判的に評しているが、僕自身は、なるほど通説というのはこうして築かれてきたのだと(揶揄の気持ちではなく)思いながら読んだ。著者の本当の専門ではないだけに、へんに野心を出すことなく、当時における通説を素直に総合した通史になっているという印象。黒田がほのめかしているように、とくに当時の政府や宗教政策におもねっているとは感じなかったし、むしろ、黒田がむりに噛みついている部分もありそうな。

後半の論文は、著者の専門である座の問題が集中的に扱われているが、しばしば、神社信仰における頭役にあたった人や家が、責任逃れをして罰せられている事例がおもしろかった。もちろん栄誉ではあったのだろうけど、やっぱり逃げたくなるようなきつい重荷でもあったのだなと。

[J0337/230208]