Month: October 2020

藤田庄市『宗教事件の内側』

岩波書店、2008年。

第1章 予兆―80年代後半宗教事件・考
第2章 遺体と暮らす
第3章 祈りの値段
第4章 違法伝道の果て
第5章 確信の宗教殺人―オウム真理教
第6章 宗教的理想と世俗

オウム真理教の問題は、いま考えることでまた違った見え方ができるような気がしている。この本自体は一昔前のもの。いろいろ考えさせられる情報や論点は多いが、ただ、この本の読者の多くは、果たして「宗教は怖いね」という淫祠邪教観以上の感想を持てるだろうか。

極端な事件を、極端な事象として描くか、あるいは身近な事柄と連続させて描くか、それは難しい選択だ。オウム事件のように陰惨な事件を扱えばしかたがない気もするが、この書は露悪的なトーンも強い。

本書における批判の対象のひとつは、宗教的な論理を理解しない司法の立場である。著者は、オウム真理教の理解には彼らの宗教的な論理を知ることが必要だとする。したがって、一連の事件は「宗教」であるがゆえに起きたことであることになる。ただこのことは、著者自身が統一教会のトラブル事例において紹介しているように、「これは宗教ではない」と繰り返して入信を説得する信者の論理と表裏一体でもある。

佐々木雄司医師が、中川智正について「巫病症候群」と診断し、また裁判所はその診断に基づいた精神鑑定請求を却下したやりとりは興味深い。

新実智光の場合でも、中川智正の場合でも、ひとつの「理屈」として理解(注:共にすることとは全然違う!)をまったく超絶しているとはいえないと思うが、この書も最終的には「そんな行動は私たちには信じられない」と繰り返しているだけに見える。世界中で(不幸なことに)日々数多く発生してる殺人や、戦争での殺人と比べてみるような視点もない。簡単に人を殺す人は(まことに残念ながら)オウム以外にもまったく存在しないわけではない。同じ事件を生み出さないためにも、「こんな考えは信じられない」「洗脳による主体性の喪失だ」で済ませていいものかどうか。

読みながら頭に繰りかえし浮かんだのは、オウム真理教がいかにも若者の集団であったということである。愛や真理を信じる純粋さ、他者に対する一種の酷薄さ、社会との関わりに感じる切迫感、など。社会には、多分に反社会性を含む「若さ」にどんな場所を与えるかという課題がある。オウム真理教や「新宗教ブーム」から30年以上が経ち、若者のあいだにオウム的なものは姿を消したと言っていいのだろうか。もしそうだとすれば、それはどのようにしてであろうか。

[J0099/201031]

山室寛之『プロ野球復興史』

中公新書、2012年。

1 飢餓の焦土
2 混沌と熱狂
3 分裂と不信
4 怨念・再編

昭和20年から33年までのプロ野球史。著者はジャイアンツの球団代表まで務めた方とのことで、それはプロ野球史を書くのに、材料に恵まれるというプラス面と、立場性が出るというマイナス面と、きっとあるだろう。まあこの時代だったら、今の価値観からすれば認めがたいことを巨人もしていたはずで、その辺は書けなくてもしようがない。

短い新聞記事をつなぎ合わせたような、さっぱり焦点が絞れていない記述が続いて読むのが辛いところもあるが、当時のプロ野球の混乱状態をうかがいことができる。これがたかだか60年~75年前のこと、ずいぶんとプロ野球をめぐる風景もかわったもの。もちろん日本社会もね。そうだな、だから本当に歴史書を書くには昔の当時を理解しているだけではなくて、今の社会を理解していないとだめだってことなんだな。

[J0098/201005]

トレルチ思想の入門書(2)

トレルチの理論を要領よくまとめた本はないものかと思うのだが、これがなかなか難しい。神学、社会学、歴史学などと分析視点も多いし、なんせ著作や論文が多い。トレルチ自体を十分に読み込んだ上でのことではないので、研究書を評価する軸もできていないのだけど、メモ代わりに。ちょっと探してみた一番の結論としては、日本語版のトレルチ著作集全10巻の存在は本当ありがたいということだったりする。

熊野義孝『トレルチ』(日本基督教団出版局、1973年)

第一章 系譜
第二章 宗教
第三章 歴史
第四章 倫理

入門書らしいといえば、これが一番入門書らしいかな。でも、ほんとに簡単に目を通しただけなので再読すると違って見えるかもしれないけど、「これだ」という感じは持てなかったなあ。トレルチは本質的に神学者だったのだろうからそれが正しいのだろうけど、最終的には神学の文脈が前提されているような。


小笠原真『二〇世紀の宗教社会学』(世界思想社、1986年)
第三章 エルンスト・トレルチの宗教社会学

宗教社会学の立場から40頁くらいの記述、意外とないのがこういう種類の説明。正直、著者の解釈や整理がどこまで妥当なのか、自分にはまだ判断できないのだが、思想形成を段階別に解説してあって手がかりとしては助かる。

竹本秀彦『エルンスト・トレルチと歴史的世界』(行路社、1989年)

第一章 神学の歴史化
第二章 啓蒙主義と歴史主義
第三章 歴史における絶対性と相対性
第四章 歴史的理性と歴史的理性批判
第五章 トレルチの宗教社会学とドイツ社会史
第六章 歴史理論と政治思想
第七章 トレルチと現代

論文集であってトレルチ思想の紹介ではないが、意識されている思想史的文脈には拡がりがある。自分には、トレルチの思想を「神学の歴史化」と特徴づけることの是非までは判断できないが、思想史的な関心からトレルチを読む場合にあれこれ参考になる部分があるのではないか。

佐藤真一『トレルチとその時代』(創文社、1997年)

第1部 トレルチの神学的課題
第2部 ヴィルヘルム二世時代の社会・学校・教会とトレルチ
第3部 トレルチと第一次世界大戦―トラウプとの対比
第4部 ヴァイマル共和国期のトレルチ―革命と反革命

当時の歴史的背景に照らしてトレルチの知的な歩みを辿ったたいへんな労作、たいへんな労作であることは分かるのだが、これを読めばトレルチ思想が分かるかと言われれば、それはちょっと難しい。本格的にトレルチ研究をする人が目を通すべき研究書。序章で、国内外のトレルチ研究のレビューをしているので、これもまた有益。

近藤勝彦『トレルチ研究』上・下(教文館、1996年)

第一部 トレルチにおける歴史形成の神学
第二部 トレルチの「信仰論」とその周辺
第三部 トレルチにおける「文化総合」とデモクラシーの問題
第四部 トレルチとウェーバー

学位論文にプラス、複数の論文からなっているのかな。大部だが、ある程度各章が独立しているし、また文章としても読みやすく書かれている。トレルチ思想を歴史形成の神学と特徴づける見方の是非までは自分に判断できないが、扱っている主題の幅や密度からしても、トレルチ研究の基礎になるような本に思える。

トレルチ思想の「入門書」として「コレ」というのは、ちょっと見あたらず。冒頭にも触れたが、やはり神学、歴史学、哲学といったジャンルを独特のしかたでまたがっているところに扱いの難しさがありそうだ。

[J0097/201004]