Month: June 2021

高橋進『生物多様性を問いなおす』

ちくま新書、2021年。

第1章 現代に連なる略奪・独占と抵抗
第2章 地域社会における軋轢と協調
第3章 便益と倫理を問いなおす
第4章 未来との共生は可能か
終章 ボーダーを超えた三つの共生

生物多様性という側面から、環境問題のポイントやその対策について考える。もちろん、SDGs とも関連が深い。

生物多様性は、実は実用面でも貴重な資源であるという。この観点からすると、きわめて多様な種を擁する熱帯雨林とは、たんに「緑が多い場所」ということではなくて、鉱物でいえば数多くのレアアースが眠っている大鉱床としても人類の財産であるというわけだろう。

さまざまな具体的事例に触れられているが、環境保護や生態系のコントロールは一筋縄ではいかないことがよく分かる。オオカミの絶滅や温暖化がシカ害の遠因となっているとか、アイルランドの飢饉が同一組成の遺伝子のジャガイモを栽培してたからだとか、いろいろ。

ひとつ、編集に苦情を言いたいのは、多くの文献が引いてあって書名は巻末に並んでいるのだが、どの記述がどの文献に依拠しているのか分からないつくりになっている。せっかくおもしろく豊富な話題に触れているのに、これではとても人や学生には薦められない。本としての価値は半減激減ですよ。

[J0170/210626]

藤原聖子『宗教と過激思想』

中公新書、2021年。

はじめに 「イスラム過激思想」という造語への疑問
序章 宗教・過激に関わるいくつかの言葉
第1章 「アンチ西洋」ではくくれない―イスラム系過激思想
第2章 「弱き者のため」のエネルギーはどこから―キリスト教系過激思想
第3章 善悪二元論ではないのに―仏教系過激思想
第4章 ナショナリズムと鶏卵関係か―ユダヤ教・ヒンドゥー教・神道系過激思想
第5章 過激派と異端はどう違うか
終章 宗教的過激思想とは何か
おわりに 「宗教的過激思想」が照らし出すもの

幅ひろく「過激とされた宗教思想」を取り上げて、宗教、とりわけ特定の宗教を暴力性と結びつける解釈を相対化しようとする。たとえば、平和なイメージのある仏教にも過激思想はあるし、「多神教」であるヒンドゥー教にも、「寛容な宗教」を自称しながら他者を差別しようとする動きはあり、それは「寛容」を誇る日本の宗教にもみられる論理である。もともとは講義録とのことで、歯切れのよい口調。

奴隷制を廃止するために殺人を厭わなかった「テロリストの父」、ジョン・ブラウン。不勉強で知らなかったな、興味深い人物だ。マルコムXも「非常にまれな白人」と称賛していたらしい。ブラウンは、クロムウェルにも範をとった信仰者であったらしい。

著者は、近代以前の「異端」は、教義などをめぐる宗教内部の対立に発し、しばしば暴力をふるわれる側であったのに対し、現代の過激思想はむしろ社会問題を意識し「世直し」を目指した運動として、ときに暴力をふるう側に立っているとする。「近代を転換点に、ある宗教の教義のや儀礼・戒律に関する異議申し立てとしての異端運動よりも、社会的不正への異議申し立てとしての宗教的過激思想・派が増えていったのである」(195)。かなり大胆な特徴づけで、そもそも異端と過激思想をどこまで横並びに比較できるかという問題も残る。

「世俗的な過激思想との違いに目を向ければ、20世紀の政治的な過激派は、赤軍を代表とするように多くは左翼勢力であった。それに対して、現在の宗教的過激派・過激思想は、その多くが宗教的には「保守」、つまり右側に属するのである。この変化は、21世紀に入って多くの先進国において指摘されて右傾化の文脈もあるが、宗教においては「昔は良かった」的な意識は、宗教を軽視する現代社会に対する信仰復興の呼びかけとして現れる」(223-224)。うーん。左翼=進歩派から、宗教=保守派という整理? どうだろうか。

宗教は過激になりやすいというイメージがあるけれど、国家だって同じなわけだよね。日本人は国家秩序大好きだから、相対的に宗教への当たりが厳しくなる。本書著者は、短絡的に宗教と暴力を結びつける解釈を警戒しているけれども、結局「宗教怖い」という感想に落ちついてしまう読者も多いだろうなと予想する。

[J0169/210618]

武田尚子『チョコレートの世界史』

中公新書、2010年。

序章 スイーツ・ロード旅支度
1章 カカオ・ロードの拡大
2章 すてきな飲み物ココア
3章 チョコレートの誕生
4章 イギリスのココア・ネットワーク
5章 理想のチョコレート工場
6章 戦争とチョコレート
7章 チョコレートのグローバル・マーケット
終章 スイーツと社会

定期購読している『たくさんのふしぎ』の2021年4月号のトピックがチョコレートで、チョコを作るのにたくさんの発明や技術革新が必要だったことをみて、流れでこの本も読んでみた。この手の歴史記述は、まずだいたい、おもしろくないことはないよね。

  • カトリック修道会の教団運営の資金源として、カカオは不可欠であった。
  • 断食に際して、ココアが薬品か食品か、液体か固体かが宗教的論争になった。
  • イギリスのクエーカーが、ココア・ビジネスを育てた。それはその労働倫理のほか、彼らが自然治癒力やホメオパシーに関心があったらだった。
  • キットカットを生んだヨークのロウントリー社の社長だったベンジャミン・ロウントリーは、チャールズ・ブースの『ロンドン市民の生活と労働』とともに有名な、貧困の社会調査を実施するともに、彼はイギリス社会福祉政策の源流を作りだした人物であった。
  • チョコレートは戦地でも重要な食品で、二次大戦では熱帯地方でも溶けないチョコレートが開発・製造された。

植民地主義と宗教的良心の不思議な絡み合い。クエーカーの質実剛健・社会奉仕的な傾向を考えれば、受験アイテムとしてキットカットを食べるのもまちがっていない?・・・・・・ってこともないか。

[J0168/210617]