Author: Ryosuke

島薗進『痛みとケアのスピリチュアリティ』

朝日新聞出版、2026年。「スピリチュアリティ」というキーワードで、さまざまな現代的動向を繋いでいこうという、著者自身による試みとして読める。

第一章 目に見えないものにふれる
第二章 死と孤独に向き合う
第三章 新たな教養と痛みとユーモア
第四章 集合的な悲嘆とグリーフケアの集い
第五章 水俣病運動のスピリチュアリティ
第六章 深い悲嘆とそこからの歩み
第七章 自助グループとスピリチュアリティ
第八章 居場所のない自己からの歩み
第九章 機能不全家族とアダルト・チルドレン
第十章 孤独な魂の癒しと旅立ち
第十一章 疎遠な世界と無垢な少年の心の痛み
第十二章 閉ざされた世界への抗いと脱出
第十三章 子ども・若者の自殺の背後にあるもの
第十四章 新たなケアの形とスピリチュアリティ
第十五章 当事者と支援者の心の居場所探求

1980年代以降の「自己変容のスピリチュアリティ」から、「痛みとケアのスピリチュアリティ」へという、著者の見方。その上で。

「見えてきたことは、「自己変容のスピリチュアリティ」と「痛みとケアのスピリチュアリティ」は新しいスピリチュアリティの異なる側面と捉えることができるが、重なり合う部分も大きいということだ。これは「救い」の信仰と併存する新たな精神文化のあり方であり、広い意味での苦難の分かち合いや祈りや修行の様態というように捉えることもできる。宗教と結びついて経験されることが多かった象徴的な「死と再生」の新しい形でもある。それはまた、専門職と生活者やボランティア、当事者と支援者の双方の痛みとケアの活動であり、癒しや自己変容を求める精神文化の動向だと言えるだろう」(234)。

[J0693/260918]

吹田隆道『ブッダとは誰か』

春秋社、2013年。ゴータマ・ブッダすなわち釈迦牟尼について、文献学や考古学など現在までの諸研究をもとにその足跡をたどる。伝説をそのまま紹介するのではなく、学説や解釈の揺れまで説明してくれているところがありがたい。彼が実在した人物であるということを改めて実感できる。

序説:ブッダの研究
第一章 釈迦牟尼の時代:釈迦牟尼は実在の人物か/インド哲学の曙
第二章 釈迦牟尼の誕生:伝説の特殊性/菩薩の誕生/菩薩の幼児期
第三章 菩薩の悲しみ:出家までの出来事
第四章 出家:王舎城にて/ウルヴェーラーの森
第五章 樹下成道:菩提樹の下で
第六章 ネーランジャラー河の畔にて:律蔵が説く釈迦牟尼伝の特殊性/慈悲の心
第七章 伝道のはじまり:律蔵が説く釈迦牟尼伝の特殊性(二):はじめての説法第八章 二人にして一つの道を行くなかれ:群れない修行者
第九章 教団の成立:ウルヴェーラーにもどる/舎利弗と目連/王舎城大教団の成立
第十章 その後の伝説:祇園精舎/釈迦族の出家/長老
第十一章 完全なる涅槃:霊鷲山にて/最後の遊行
第十二章 涅槃後のブッダ:救済者としての釈迦牟尼

 釈迦牟尼の誕生年は、「仏滅218年目にアショーカ王が即位した」とするスリランカの歴史書と、「仏滅から116年目にアショーカ王が即位した」という北方伝承から推測されており、結果、紀元前560年代誕生・480年代入滅説と、紀元前463年誕生・383年入滅説が併存しているとのこと。

 釈迦牟尼がとった方法、「対機説法」。「この「対機説法」という手法は仏教が包容力のある宗教となる根幹をつくりました。決して固定化せずに人々に応じて教えが説かれるわけですから、ある人に説いた説法が伝わって、後に一つの教義を確立します。また、別の人に応じて説いたものが別の教義として伝わり、「ダルマ」を示唆するさまざまな教えを許容する宗教をつくり出したのです」(124)。

 「釈迦牟尼がこの一度目的を達成した世界から、あえて喜怒哀楽をともない、苦しみをともなう俗世間にもどろうとするために作用した力を「慈悲」といいます。・・・・・・「慈」は友情を表す「慈しみ」を意味します。「悲」は、それぞれがもつ自己存在の「悲しみ」です」(141)。

 それにしても、本書を読んでいると、手塚治虫『ブッダ』のあれこれの場面が思いだされ、自分がいかにそれに影響を受けているかを感じる。手塚の『ブッダ』は史実と創作が入りまじった内容だから、どなたかぜひ、手塚のマンガに「マジレス」して、細かな考証を注釈として入れたバージョン、『詳細注釈版ブッダ』をつくってほしい。書籍でなく、マンガで。

[J0692/260824]

橋本峰雄『「うき世」の思想』

副題「日本人の人生観」、法蔵館文庫、2026年、もとは講談社現代新書で1975年。著者といえば、高取正男と『宗教以前』を著した人。関心のある主題だけど、読後感は、今となっては二重の意味で古い、なんなら懐かしい。ひとつは、ときに付会も辞さずに、時代を通じた「日本人的思想」を語る語り口。もうひとつは、そういう語り口をしたくなる、当時の日本社会のあり方。今は昔、昭和は遠くなりにけり。

序論
1 「うき世」研究について
2 「うき世」の歴史(古代~中世)
 1 「うき世」意識の萌芽 
 2 仏教の影響 
 3 無常観の民衆化 
3 「うき世」の歴史(近世~現代)
 1 近世庶民の生活意識 
 2 近代知識人にみる「うき世」
 3 流行歌のなかの「うき世」 
4 「うき世」の思想
5 「うき世」の哲学
解説 半世紀後の「憂世」に読みなおす(畑中章宏)

筆者も「世俗化」の語を頻繁に使っているが、直接には唐木順三の影響ではないかと推測する。どちらかというと、世俗化をはさんでもなお連続性を強調するのが筆者の立場ではある。

「うき世」思想の歴史を確かめて。
「私がたしかめたかったことはおよそ二つのことであった。一面では、厭世的な「憂世」観が近世に現世肯定的ないし享楽的な「浮世」観へ移行したという歴史的推移があったこと(それは西洋近世の宗教改革に始まるキリスト教の世俗化に対応する日本仏教の世俗化を意味したこと)。他面では、そういう現象的な移行をこえて、そもそも古代・中世における憂世も同時に浮世だったし、近世以後の浮世もまた同時に憂世であるということ。つまり、私の仮説は、憂世と浮世がつねに表裏一体になっているのが日本人一般の「うき世」観である、ということであった」(144)。

著者は、The Twentieth Century (1955) に掲載されたエッセイを指示しているが、調べたところ、どうやら End and Beginning(1981)という遺稿集にあるらしい議論として、フランツ・ボルケナウの文化の類型論があり、死を否認する文化(death -denial)、死を受容する文化(death-acceptance)、死に挑戦する文化(death -defiance ないし transcendence)の三類型が挙げられていると。著者はこれに対して、日本を「死を包み込んでいる文化(death-embracing)」という四番目の類型に位置づける。「私はそれを「死から生へ」の文化と規定するのである」(149)。

[J0691/260821]