渡邉雅子『論理的思考とは何か』

岩波新書、2024年。なるほど、ロジックの多様性を整理した本だが、これは一種の日本人論としても読まれるだろうね。非論理的と叩かれがちな「感想文」の実践であるが、これを実質合理性を志向した「社会領域型」のロジックに基づくものとして、日本社会の社会秩序の形成・維持に貢献していると再評価する。

序章 西洋の思考のパターン:四つの論理
第1章 論理的思考の文化的側面
第2章 「作文の型」と「論理の型」を決める暗黙の規範:四つの領域と四つの論理
第3章 なぜ他者の思考を非論理的だと感じるのか
終章 多元的思考―価値を選び取り豊かに生きる思考法

アメリカで優越する経済領域の論理、フランスで優越する政治領域の論理、日本で優越する社会領域の論理に加えて、イランで優越する法領域の論理というものが考察に入っているところもポイント。
「演繹的な推論は、多くの場合、帰納による裏づけを持っており、私たちを納得させるには経験に基づく帰納が必要であるが、演繹のみで成り立つ推論である。それが法律と神学である。法律と神学は「成文法規」や「聖典」を真である第一原理として持ち、それをもとに様々な事象についての演繹的な推論を行う。三段論法の大前提となる第一原理(真理)を示す書物の存在が、法技術原理の思考とその表現法を特徴づける」(98)。

イスラーム法を重視する社会のあり方を理解する上でも、示唆がある。さまざまに考えるヒントを与えてくれる一冊。

[J0572/250305]

有吉佐和子『恍惚の人』

1972年の作品、新潮文庫、1982年。
「日本老人表象史」に名高い有名作をようやく読みとおす。まず、リアルな時代背景・社会背景がよく描かれていて、興味深い。そして驚いたのは、小説作品としての完成度の高さ。僕はふだん小説やドラマを読まないし、そちら方面の分析はとくにするつもりもないのだが、相当綿密に組みたてられた小説だろうことはわかる。単純に読み物としておもしろいのだ。茂造の「病状」や介護する昭子の心理にも展開/転回がある。

茂造ゆうても、辻本茂雄のとは関係ないだろうね、きっと。新潮文庫カバー絵は猪熊弦一郎。

[J0571/250304]

宮本常一『中世社会の残存』

宮本常一著作集第11巻、未来社、1972年。

一 五島列島の産業と社会の歴史的展開
二 松浦文化・経済史
三 対馬豆酘の村落構造
四 岡山県御津郡加茂川町円城の祭祀組織:名の残存について
五 能登村落における中世的なもの
六 時国家の近世初期の経営

あれこれおもしろいのだが、御津郡加茂川町(現・吉備中央町)の記述から少しばかりメモ。昭和28年の調査から。

岡山県下に広くみられる、ミサキ神について。「これは不慮の死をとげたものか、または火の神をまつったものもある」(266)。これは種類があり、行きだおれをまつったシ二ミサキ、首をつった人のクビツリミサキ、火事のあった家が、次の火事があるまでまつる火の神のヤケミサキなど。

出雲講について。「出雲講は伊勢講についで、重要なものであり、ここへは杵築太夫が毎年出雲からやって来た。そして出雲からは信仰のあつい者に対しては苗字を与えた。こうして出雲からもらった苗字の家を杵築株と称した。・・・・・・講としてのやり方や代参をたてることは伊勢講とかわりないが、家を建てる時には必ず出雲のお札をまつらねばならなかった」(270)。

[J0570/250304]