副題「健康社会のパラドックス」、世界思想社、2000年。
全体としてはコツコツとした、地味な社会学的研究の成果。四半世紀まえの本だが、次の箇所だけでも価値がある。
「健康社会はこれまで「早期発見の幸せ」を目指して健康水準を高めてきたが、それは一方で手遅れの状態を不幸と位置づけることでもあった。手遅れになる前に早期に発見し治療することが幸せと考えられ、「早期発見の幸せ」を拡大することが「手遅れの不幸」をなくすことにつながると考えられてきたのである。そして医学の進歩によって、人々はますます大きな「早期発見の幸せ」を手に入れられるようになってきた。しかしそれはまた、「手遅れの不幸」を大きくすることでもなった。病気の予防・発見・治療技術が進歩し、早期発見・早期治療の可能な分野が拡大すればするほど、それでもなお手遅れの状態で病気が発見されることは大きな不幸となってくる。「早期発見の幸せ」と「手遅れの不幸」が背中合わせになっている時、幸せが大きくなるほど、幸せが壊れた時の不幸も大きくなる。しかし、健康が病気や死と同一次元の問題でないのと同様に、早期発見か手遅れかという問題と、幸せか不幸かという問題も同一次元の問題ではない。早期発見の状態の中には幸せも不幸もある。それと同じく、手遅れな状態の中にも幸せと不幸がある。そして、すべての人間に死がいつか訪れ、誰もがいつかは手遅れの状態になることを考えると、手遅れの状態をこそ幸せな状態にすることが求められなければならない。いつか訪れる手遅れの状態を不幸と考えるなら、誰もがいつかは「手遅れの不幸」に陥ることになり、この不幸から逃れることができない。したがって、健康社会は「早期発見の幸せ」のみではなく、その陰で忘れられてきた「手遅れの幸せ」をも目指さなければならない。黒澤が〔『生きる』で〕描いた世界は「手遅れの幸せ」の世界といえる」(227-228)。
言葉として、「早期発見の不幸」とまでは述べてはいないが。
1 健康不安の時代
2 健康不安の意識構造
3 健康不安からの脱出
[J0593/250721]
Leave a Reply