Month: July 2021

アーロン・L・ミラー『日本の体罰』

石井昌幸、坂元正樹、志村真幸、中田浩司、中村哲也訳、共和国、2021年、原著は2013年。

序章 第1章 人類学と体罰
第2章 日本の体罰史―その重層性
第3章 体罰とコンテクスト
第4章 倫理
第5章 体罰の原因と文化の複数性
第6章 権力の言説、言説の権力
終章 「暴力的文化」の神話
補論 アメリカ合衆国における体罰

著者はアメリカ人で、オックスフォードで社会人類学の学位を取得した人とのこと。いかにもあちらの社会人類学の手法で書いた研究という一冊。(別にネガティヴな意味でそう言うわけではない。)人類学的研究と言えば厚いエスノグラフィーを期待してしまうところ、フィールドワークから直接得た材料はあまり多くはないが、この主題ではやむをえないところ。

R.ベネディクトの日本論を相対化し、体罰に関する「文化主義」的な見解から距離を取る。代わって、より歴史化した解釈を提示するとともに、日本文化を一枚岩ではなく多様な立場や解釈の絡み合いという見地から理解しようとする。フーコーの規律権力論を背景のひとつとしているのも「いかにも」だが、このフーコー的解釈が成功しているかは微妙なところ。

個別の指摘でおもしろいと思ったのは、体育教師は体罰教師の役割を演じるように強いられているという指摘で、それは森川貞夫や菊幸一による指摘もすでにあるらしい。また、体罰を含むヒエラルキー的構造が「チームらしさ」の感覚に結びついているという指摘。

事象のレベルで手薄なのは、軍隊教育とその影響に関する記述と考察。目も覚めるような分析とはいかなくとも、社会人類学のアカデミックなフォーマットで日本の体罰についてまとめたという点で価値のある本。

[J0180/210731]

細谷昂『日本の農村』

ちくま新書、2021年。

Ⅰ 日本農村を見る視座
第一章 「同族団」とは何か
第二章 「自然村」とは何か
第三章 歴史を遡って──農村はどのようにつくられたか

Ⅱ 日本農村の東西南北
第四章 日本農村の二類型──東北型と西南型
第五章 まず西へ
第六章 南と北
第七章 「大家族」(家)制と末子相続

Ⅲ 「家」と「村」の歴史──再び東北へ
第八章 「家」と「村」の成立──近代以前
第九章 「家」と「村」の近代──明治・大正・昭和

終章 「家」と「村」の戦後、そして今

 とくに前半は日本の農村社会学のレビューとなっていて、これが有益。日本の農村社会学といえば、ヨーロッパ直系の社会学とも、あるいは民俗学とも一定の距離のある、独自の領域を形づくっていて取りつきにくい印象がある。農村社会学のトピックを易しく紹介した入門書としては鳥越皓之『家と村の社会学』(世界思想社、1985年)あたりがあるが、学説史の紹介となると硬い記述のものしか見あたらない。

 その原因のひとつは、学者ごとの見解のまとめと、事象やその地域差に関するまとめが別々に記述されがちなことにあるが、著者はモノグラフごと・研究ごとに紹介をしてくれており、しかも古いモノグラフにありがちな難解さ、曖昧さを「難解であるが無理にまとめれば」と、原著書の記述を尊重しながらうまく処理してくれている。ありがたい。

 具体的には、有賀喜左衛門の岩手県石神調査、福武直の秋田県大館と岡山県川入村の研究、松本通晴の近畿農村研究、北原淳・安和守茂の沖縄農村研究、田畑保の北海道農村研究、柿崎京一の岐阜県白川村研究、内藤完爾の鹿児島農家研究などであり、後半部分は主に著者自身の山形県庄内研究から成っている。

 これらの研究蓄積のレビューから分かることは、簡単な類型化を許さない、日本における家や村のあり方の多様性および柔軟性であり、著者は結論として「ただ一つだけ、雇傭労働力による大農場はない、ということは確認できただろう」と述べている(306)。いかにも弱い結論のようだが、別の言い方をすれば、雇い入れ型の形態を採ってきていないということは、日本津々浦々、何からのかたちにおける地縁・血縁組織のもとに農業が営まれてきたという意味で、驚くべき多様性と柔軟性を備えた――明治民法下の「家」はそのあり得る形態のひとつでしかない――「家」の存在感を証しているということになるだろう。

 なんなら、逆方向の仮説を立てることもできそうだ。つまり、日本社会、少なくとも日本の農村社会は、たんなる契約雇傭関係を生じさせないがために、家や同族といった理念を巧みに運用し作り変えながら村落共同体を成立させてきたのだと。

[J0179/210728]

古木俊雄『日本人の知らないスイス』

山手書房、1979年。著者名は「こぎ」さんと読むそう。文脈は忘れてしまったが、小熊英二さんがどっかで引いていて、おもしろそうだと買っておいた本。なるほど、おもしろい。古い本だが、スイスの社会と歴史、それに質実剛健なその国民性を知ることできる良書。著者はすでに亡くなられてしまったようだが、現在の状況に関する補足を付けて復刊したらいいのでは。

1 アルプスに隠された秘密
2 民間防衛の要・各防空壕
3 血の輸出の悲惨な歴史
4 永世中立を守りぬく闘い
5 世界で一番古い共和国
6 あなたもスイス国民になれる

 フランス語、イタリア語、ドイツ語、ロマンシュ語と四つの公用語があり、ゲマインデ(地域共同体)やカントン(25の州)の独立性や自治意識が高く、経済のチューリヒ、政治のベルン、国際関係のジュネーヴとばらばらのように見えて、外国に対しては強固な連邦国家意識をもってあたるスイス。国連の本部がありながら、ごく最近まで国連に加盟せず、いまだEUとも袂を分かつスイス。連邦としても自治体としても、直接民主制を重要な社会の柱として世界に誇りつつ、各建築に付設が義務づけられて国民全員を収容可能な核シェルターを備えた、民間防衛の国スイス。

 いまでは世界最高水準の豊かさにあるスイスは、かつてはむしろ資源に乏しく貧しい国であったが、古くからアルプスに育まれた勇猛な兵士で高名であり、自国においては常勝軍であった。ヨーロッパ各国は競ってスイスの傭兵を雇い入れたが、それはスイス人同士が戦いあう悲惨な状況も生み出した。フランス革命時にバスチーユやルイ16世を守っていたのもスイス傭兵で、とくにチュイルリー宮殿では国王からの武装解除の命を遵守して殺戮される悲劇に遭っている。スイスこそ――当時まだ、ジュネーヴはスイス誓約者同盟に加入していなかったが――ルソーの母国であることを考えると、いっそう複雑な事態だ。ロシア出兵を含む、ナポレオンの遠征に従事したのもスイス傭兵であった。

 こうした「血の輸出」の歴史のすえ、スイスが選んだ生存戦略が永世中立であった。ヨーロッパ各地に送られた傭兵は情報や技術を母国にもたらしてきたが、永世中立の立場は戦争当事国に対する商機に利益があり、たとえば第二次世界大戦のときには、ドイツの工場に代わって化学薬品工業が世界的なものとなったし、今でも兵器産業はスイスの基幹産業のひとつである。外国での戦争の際には、その戦争に対する兵器の輸出の諾否について国民投票が行われるのもスイスらしいというわけだ。

[J0178/210727]