副題「植物状態の患者と対話する」、柴田裕之訳、みすず書房、2018年。
もちろん、意識の科学の話としておもしろい本だが、推理小説的な読み物としてのおもしろさもたっぷりなので、読む予定の人は、「ネタバレあり」の以下感想はご覧にならない方が吉。
プロローグ
第一章 私につきまとう亡霊
第二章 ファーストコンタクト
第三章 ユニット
第四章 最小意識状態
第五章 意識の土台
第六章 言語と意識
第七章 意志と意識
第八章 テニスをしませんか?
第九章 イエスですか、ノーですか?
第一〇章 痛みがありますか?
第一一章 生命維持装置をめぐる煩悶
第一二章 ヒッチコック劇場
第一三章 死からの生還
第一四章 故郷に連れてかえって
第一五章 心を読む
エピローグ
日本語版のための追記――原著執筆後の進展
脳科学研究者の著者は、脳の活動のスキャン技術の向上を背景に、これまで植物状態とされてきた人の多くに、実は意識があったという事実を明らかにしていく。それは、生と死のはざまにある「グレイゾーン」の探究でもある。
「患者たちは植物状態のたぐいのカテゴリーに一まとめに分類されるので、みな何かとてもよく似ているという誤解を生むが、現実には、患者は一人ひとり完全に異なる」(63)。
興味深い事実のひとつとして、植物状態にあるとされている人でも、家族だけにはその人が意識を有していることが分かるケースがあることだ。それは、長年その患者を詳細に観察している医師でも分からないケースでも起こっている。そして、そうした家族がどうして意識の存在を感得できているのかは、本書の最後まで謎とされている。
それから、生活の質の問題。
「〔スティーヴン・〕ローリーズのチームは、閉じ込め症候群の患者(意識はあるものの、瞬きすること、あるいは目を縦に動かすことでしか意思を疎通できない人々)91人を調査した。彼らは患者に病歴や現在の状態、人生の終え方に対する態度についての質問表に答えてもらった。・・・・・・・ほとんどの人が立てるだろう予想とは裏腹に、患者のかなりの割合(回答した人の72パーセント)が、幸せだと答えた。そのうえ、閉じ込め症候群になってからの時間が長いほど、報告される幸福度も高かった!」(204)。安楽死を望んでいると表明した人は、7%だという。論文名は、”A Survey on Self-Assessed Well-Being in a Cohort of Chronic Locked-In Syndrome Patients,” British Medical Journal Open, 2011.
推理小説的なおもしろさといったのは、身体的反応のない患者の意識を探る具体的な手段を編み出すところだ。たとえば、患者のYes/No の意思を確かめるのに、それを直接には感じとることはできないので、「Yes であればテニスをしているところを想像してください」と指示する方法をつくっている。そのときには、脳の特定の一部が活性化することが確かめられるからだ。それもテニスであることに意味があり、想像上で動かす身体の箇所がだいたい同じだからだという。
さらに別の方法として編み出されたのが、ヒッチコックの映画『バアン!もう死んだ』を見せるという方法。この映画は観客に同一の強い感情反応をよびおこすシナリオや演出になっており、これを見せたときの脳の反応で、健常な人の思考と同じ思考をもっていることが確かめられるのだと。また、高度な推測や推論をもとに特定の感情が喚起される場面も含まれている。
これらの実験結果から、これまで植物状態とされてきた人の少なくとも15~20%は、実は完全なる意識をもっていると推測されるという。しかし、奇跡的に回復した人が、完全な植物状態でMRIを受けたときのはっきりした記憶を持っていた事例も紹介されており、残りの80~85%のなかにもなお意識のある人がいることが示唆されている。
著者は「意識は、互いに向かって発火するニューロン間の結合に還元できると私は確信している」と述べているが、ここで紹介されている実験結果から分かることは、少なくとも現時点の技術で追跡しうる脳神経の活動の有無と、意識の有無とは完全には一致していないということである。
こちら、イギリスBBCのドキュメンタリー「マインド・リーダー」(2012年)。アップしているのは本書著者のようだから、著作権もだいじょうぶそう。
こちらは、エイドリアン・オーウェンのウィキペディア・ページ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Adrian_Owen
[J0568/250227]