Month: September 2022

山室真澄『魚はなぜ減った?見えない真犯人を追う』

つり人社、2021年。

Interview: 幼少期から現在まで水辺がライフワーク!山室真澄教授の信念に迫る
魚はなぜ減った?見えない犯人を追う
1. 宍道湖のシジミ研究とネオニコチノイド系殺虫剤
2. カギを握る「食物連鎖」と宍道湖の生態系
3. ミジンコのエサは減っていたのか?―水辺の有機物と物質循環の概念
4. 「動物プランクトン」「エビ類」「オオユスリカ」の同時期の激減
5. 容疑者をネオニコチノイド系殺虫剤に絞り込んだ根拠
6. 釣り人の視点が生態系全体の保全のヒントになる
7. ネオニコチノイドに頼らない農業に向けて)
まとめ/月刊『つり人』編集部 脱「ネオニコ」の可能性を探る。

1993年からウナギとワカサギの漁獲量が激減した宍道湖。その原因が、湖に流入したネオニコチノイド系殺虫剤ではないかという仮説を立てる。ネオニコチノイド系殺虫剤は直接に魚を殺すわけではないが、そのエサとなる昆虫類に毒性を発揮する。あれこれ、興味深い。

沿岸域や河川は、遠洋漁業とはちがって外国との競争にならない。だから大事なもののなのに、水辺への関心が薄いという指摘。(9)

過去の農薬と異なり、ネオニコチノイド系殺虫剤は魚を直接死に至らしめたわけではないため、異常が発覚するのが遅れた。(86-)

「ポイントは稀少種ではなく、普通種が急にいなくなることだ」(93)。「昆虫や植物の場合、稀少種についてはどこにいた、どれくらいいたと多く記録される一方で、普通種はいて当たり前だからと、記録されるのはまれだ」(93-94)。なるほど、生物学だけでなく、広く科学的観察にありがちなことのように思われる。海洋生物の場合、だからこそ、釣り人の視点が重要なのだという。

実は、中国並みに農薬を投下している日本。「国産農作物は世界一安全」という間違った神話が信じられている。

実は宍道湖はもともと生物種の数が少なく、たとえば底生動物の重量比ではヤマトシジミが97%を占めているのだという。そこで筆者は、卒業論文で「宍道湖の湖底にいるすべての底生動物の現存量を種類ごとに調べる」という「無謀な」研究を実施できたのだという。こういう、一見、方法論的にはプリミティブな研究こそ、重要な発見をもたらしたり、他の研究の基礎になるということはどんなに強調してもしすぎることはない。
[J0299/220925]

古川哲男編『村岡の慶応一揆』

古川哲男編、コピー製版、1998年。兵庫は但馬、鳥取県と接した香美町の城下町。9号線沿いに、旧美方郡役所の建物を活かした「村岡民俗資料館まほろば」という施設があり、そこで100円で購入。内容は、1866年に起きた一揆の様子を、郷土史家とおもわれる著者が、旧家の文書の記述を集めながら描き出したもの。

一般に、どの程度、各地の一揆の記録が細かく残っているのかはしらないが、この小冊子は、村人の様子や訴えの内容が詳細に記載されていて興味が尽きない。長州征伐などに動員がかかっていて、藩も苦労、人びとも苦労していた時期。

藩に対する要求には、人夫方の話、米価の話、役人の解任の話など、さまざま。おそらく、ひとつひとつの案件について交渉をするシステムがないから、不満が表に出るときは一挙に出るかたちになる。また、物価の値上がりが一番の問題らしく、経済学的な知識や情報がゆきわたっていないところでは、どうしても「大庄屋や商人の悪だくみによるのでは」という疑念が強くなる。「封建制下陰謀論」とでも呼んでみる? 市場経済・貨幣経済と、情報共有システムに欠けるこの種の封建的支配体制の相性には限界があるという気がするね。

[J0298/220925]

『マリノフスキー日記』

谷口佳子訳、平凡社、1987年。マリノフスキーの死後、1967年に、再婚の相手ヴァレッタによって刊行された日記。日記は、彼が人類学に革新をもたらすことになった、初期の調査に携わっていた時期のもの。

まえがき(ヴァレッタ・マリノフスカ)
序文(レーモンド・ファース)
第1部 1914-15年
第2部 1917-18年
訳者解説
現地語索引
地図

「現地人とのラポールのもとにフィールドワークを行ったBM」という、偉大なるフィールドワーカーとしてのマリノフスキー像を揺るがすことになり、人類学に衝撃を与えたこの日記。

だが、フラットに読んでみれば、学問への野心を抱きつつ、日々性的衝動に悩む、ごくごく人間的なマリノフスキーの姿だ。たしかに当時は当たり前であったろう非西洋社会に対する見下しがあるにせよ、現地人やその文化に抱く違和感も、むしろ濃密な住み込み調査に携わっていたからこそだろう。

当時の婚約者で、のちに最初の妻となったエルシー・マッソンに対する貞操を誓いながら、現地人に対して湧いてくる欲望に苦しむマリノフスキー。

1918年4月19日付日記、「5時にカウラカへ。愛らしく姿の良い少女が私の前を行く。彼女の背中や筋肉や体つき、足など、我々白人には想像もできない肉体の美しさに目を奪われた。今、この小さな生き物を目の前にして、その背中の筋肉の動きを長々と観察できるような、そんな幸運に恵まれることは、たとえ自分の妻に対してでさえ、まずあるまい。しばしば、自分が原住民でないため、こんな美しい少女を自分のものにできないのを残念に思う時がある。」(374)

この種の性的魅力とそれに対する欲望というものが、実は、西洋人/非西洋人という区分を乗り越えて働いていることに気づく。もちろん、それだからこそ、その欲望達成のために権力をふりかざすことは、人間社会にきわめてありふれたことだが、それは性的なものが有する区分超越的なベクトルに対してなのだなと。富者/貧者、高身分/低身分、主人/家来、雇用者/被雇用者、年長者/年少者など、おそらくはすべての権力関係において、こうしたファクターの介入が生じてきただろう。

[J0297/220917]

国立国会図書館デジタルライブラリー
https://dl.ndl.go.jp/pid/12141195/1/4

宗教に関する「純粋な合理主義との戦い」 98
「くたばれ野蛮人」発言 118
「著名なポーランド人学者になってみせる」 241
現地民の話への嫌悪感 247
「犬の生活も同然だ」 250
「下品な考え」 286、374、397
デュルケームの宗教論について 413
エルシー・マッソンと葛藤 431、440(解説)