副題「「昭和天皇拝謁記」を読む」、岩波新書、2024年。宮内庁長官を務めた田島道治による、1949から1953年ごろにおける昭和天皇の言行録を読みとる。
序章 『昭和天皇拝謁記』とは何か
第1章 天皇観
第2章 政治・軍事観
第3章 戦前・戦中観
第4章 国土観
第5章 外国観
第6章 人物観1―皇太后節子
第7章 人物観2―他の皇族や天皇
第8章 人物観3―政治家・学者など
第9章 神道・宗教観
第10章 空間認識
終章 『拝謁記』から浮かび上がる天皇と宮中
やはり第一に興味を惹かれるのは、戦争が始まり、拡大していった経緯のあれこれ。母親の皇太后節子(貞明皇后)の意向も影響したらしい。また、著者が強調している点だが、昭和天皇は反共の気持ちが非常に強かったと。キリスト教を侵略勢力とはみなかったかわりに、共産主義を敵視していたと。
昭和天皇は、皇国神話や万世一系説は「史実ではない」と認識していた一方で、アマテラスは「平和の神」であり、そこに戦勝を祈願したことで「敗戦という神罰を受けた」と反省していたとのこと。また、靖国神社は祭神からして明治神宮より格下であると捉えており、「反米思想に利用されたくない」という理由や、五・一五事件関係者の合祀に拒否感をもっていて、親拝には消極的であったという。
この本をみるかぎり、戦争責任の問題については「しかたがなかった」「私は望んでいなかった」という論調。あの戦争で苦しんだ人やその家族からすれば、腹立たしくもなるだろう。同時に、一読しての感想は、いかにもよくいる日本人のひとりだなあというもの。現実の立場は一般市民とは真逆なはずだが。あの時代の天皇だからといって、とんでもなく横暴だとか、突飛な思想、非現実的な思想の持ち主だというのではない。責任の引き受け方も含めて、その言行は、よくもわるくも典型的とさえ言えるような日本人であり、「あの時代の人」だという印象をもった。
[J0547/241212]
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