平凡社新書、2024年。帝国主義批判・植民地主義批判をまともにくらって、一時期は本当に危機に陥っていた人類学。その後、新しい思潮が出てきて、なにか盛り上がっているなとは横目に感じていたが、そこをいきいきとした筆致で紹介してくれている一冊。

本としてはすばらしいのだが、ただ、別の感想も。ご本人はなにも知らずにフィールドにとびこんだとおっしゃるのだが、もしフィールドワークもして、これだけの抽象度のある理論にも知悉して、それで研究をまとめなくてはならないとなると、人類学をするというのもなかなかにハードルが高いなと。実際にはいろんなフィールドワークがあるんだろうけども。

1日目 人類学はどのように変化しつつあるか?
2日目 フィールドワークとはどのような営みなのか?
3日目 「文化」の概念はどこまで使えるのか?
4日目 人類学では文章などによる表現がなぜ大切なのか?
5日目 人類学にとって歴史とは何か?
6日目 現代の人類学はなぜ「人間以外の存在」に注目するのか?
7日目 現代の人類学はなぜ「自然」を考えるべきなのか?

「4日目」から。「私が言いたいのは、長期のフィールドワークを通して現地の生活に没入する人類学的な研究の本質は、今言った「いったいどうなるんだろう?」という視点にあるということです。フィールドワークの過程で、思いもかけない出来事にたびたび遭遇し、動揺しながらその都度そうした出来事について考えることを通して、自分の人類学的な理解や思考が形作られていく。そのことを人類学的思考の「出来事性」と呼びたいと思います」(160)。「なお、私はよく、卒業研究を書いている学生を指導するときに、人類学では「不安定な記述」を心がけるように、と指導します」(162)。

本書で取りあげられている本から。
エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ『インディオの気まぐれな魂』。
ヨハンネス・フェビアン『時間と他者』(1983年、未邦訳)。
アルフレッド・ジル『芸術とエージェンシー』(1998年、未邦訳)および、その関連として『現実批判の人類学』所収の久保明教論文。
ティム・インゴルド「文化、自然、環境」(未邦訳?)
ブルーノ・ラトゥール『虚構の「近代」』・・・・・・など。

[J0591/250713]