佐賀県立佐賀城本丸歴史館、2011年。

第1章 島義勇の生涯
第2章 幕末の蝦夷地探検
第3章 開拓使設置の経緯と人事
第4章 島判官の石狩赴任
第5章 島判官による札幌本府建設

未開の地であった札幌を、将来「世界中之大名都」になる土地だと、石狩本府に選んだ島義勇。その功を称えて、北海道神宮と札幌市役所に銅像が建っている開拓判官、島義勇。

島の先見の明を証するように、札幌の人口は大正9年に小樽を、昭和15年に函館を抜いて北海道第一となり、現在では北海道の人口の三分の一を擁するようになっている。小樽も函館も平地の少ない手狭な街であって、今考えると、都市域拡大には限界があった。当初島は、札幌に対する手宮(小樽)を東京に対する横浜に見立てていたようだが、日本海海運はその後衰退し、石炭産業の斜陽もあって、千歳が北海道の入り口の役割を担うにいたっている。昨年、北広島にエスコンフィールドができたが、札幌都市圏の拡張は、南の方向へと向かっているようだ。

札幌開拓の功のほかに、島義勇の話題で気になるのは、江藤新平と合流しての佐賀の乱と、梟首という最期。この冊子ではこの出来事にはあまり触れていないが、また関連書も読んでみたい。

[J0453/240225]