Month: April 2023

田内学『お金のむこうに人がいる』

ダイヤモンド社、2021年。副題「元ゴールドマン・サックス金利トレーダーが書いた予備知識のいらない経済新入門」。

第1部 「社会」は、あなたの財布の外にある。
 1 なぜ、紙幣をコピーしてはいけないのか?
 2 なぜ、家の外ではお金を使うのか?
 3 価格があるのに、価格がないものは何か?
 4 お金が偉いのか、働く人が偉いのか?
第2部 「社会の財布」には外側がない。
 5 預金が多い国がお金持ちとは言えないのはなぜか?
 6 投資とギャンブルは何が違うのか?
 7 経済が成長しないと生活は苦しくなるのか?
第3部 社会全体の問題はお金で解決できない。
 8 貿易黒字でも、生活が豊かにならないのはなぜか?
 9 お金を印刷し過ぎるから、モノの価格が上がるのだろうか?
 10 なぜ、大量に借金しても潰れない国があるのか?
最終話 未来のために、お金を増やす意味はあるのか?
おわりに 「僕たちの輪」はどうすれば広がるのか?

なるほど良書、「予備知識のいらない経済新入門」という看板に偽りなし。ただ、田内さんの主張の本筋は明快かつ刺激的なのだが、経済学諸学説の体系からするとどんな位置づけになるのかが知りたいところ。以下、田内さんの主張をまとめつつ。

誰かの労働がモノを作るが、そうしてもたらされるモノの効用が、本当の価値である。お金自体には価値はなく、「社会の中でのお金の役割は、労働の分配とモノの分配を決めることだ」(174)だという。

社会の豊かさは、どれだけの効用が生みだされているかということであって、預金や借金の多寡ではない。そもそも「お金は増減せずに、移動する」だけである。お金の総量は借金でしか増えないが、誰かの借金は誰かの預金である。お金の流れによって、効用がどれだけ増加するか――それは未来における効用も含む――が重要なのである。

お金の多寡は、社会の豊かさを決めていない。お金だけで社会の問題を解決することはできない。「社会全体で労働やモノが不足しているときはお金ではどうすることもできない。・・・・・・社会全体の問題はお金では解決できないのだ」(175)。だから、人口や少子化の問題はほんとうに重大な問題なのだ。節約しなくてはならないとすれば、お金ではなく、労働である。

ただし、重要な前提として、国内市場での経済と、外国との貿易・経済とはちがった発想で臨む必要がある。外国とのあいだには「労働と資源の貸し借り」がある。国内市場での借金は、国内における誰かの預金であるわけだが、外国に対する借金は、将来、その国に労働を提供する必要があるということを意味する。

とくに新鮮だった点のひとつは、株式の説明だ。「株式の転売は、コンサートチケットの転売に似ている」(136)。「ほとんどのお金は応援したい会社には流れていないのだ。2020年の証券取引所での日本株の年間売買高は744兆円。一方で、証券取引所を通して、会社が株を発行して調達した資金は2兆円にも満たない」(137)。なるほど。だから逆に、株式が暴落したとしても、実体経済自体に体力があれば即カタストロフィに至るわけではないと考えられる(田内さんはそうは言っていないが)。もちろん、実体経済と投機が無関係なわけでもないので、もう少し整理はしておきたいが、原則としては正しそうだ。

まとめ的に言うと、家庭の経済と、自国の経済と、国際的な経済とは、原理において区別される。家庭の経済の発想法を、自国の経済に適応するからまちがえる。つまり、「お金を節約して貯め込めばよい」「借金はしない」という発想を、自国の経済や国際的な経済に適用すべきではない。国内における労働およびそれがもたらす効用の増大こそが、国内経済で目指すべき目標である。田内さんはこのことを、「僕たち」の範囲を、自分や家族と設定するか、自分の国と設定するか、世界全体(彼の用語法では社会全体)と設定するかという問題として表現している。

[J0358/230429]

友川カズキ『一人盆踊り』

ちくま文庫、2019年。

目次
向って来る人には向って行く
恩師 加藤廣志先生のこと
兎の天敵
春の信号

ボーンと鳴る
たこ八郎さんのこと
たこ八郎が居た
たこ八郎と中原中也

寂滅

「覚」オメデトウ

朝の骨
おとうと
借金
他人の確立
故郷に参加しない者

デッサンを始めました
洲之内徹さんの事
フトンの中のダッシュ
間村さんとクレー
絵のこと腰のこと


にごり酒と四十男
夜の水
競輪が病気なら治らないでほしい
「それはもう、滝澤正光!」
気づいてみたればここはメッカ

中上健二さんのこと
ガキのタワゴト
死を教えてくれた作家
ガーベラ

私に私が殺される
一番下の空

神楽坂「きもち」
藤荘12号室
ユメの雪
空を遊ぶ――弟覚の七回忌に
花々の過失
天穴
武蔵野日赤病院四百五十号室
犬の帰り道

欧米七か国・一人盆踊り出たとこ勝負
マッコリ・老酒・高粱酒 お茶の子さいさいアジア紀行
病気ジマンもいいかげんにします

解説「まつろわぬ人」加藤正人

案の定ともいえるし、予想外のことでもあるが、あれこれ突き刺さるところの多い一冊。かといって、ベタッと同じノリの文章ではなく、友川さんが若い頃の文章から最近の文章まで、また軽めのエッセイから詩まで、バラエティに富んだ内容で印象も一様ではない。

裏表紙の説明には「徒党を組まず、何者にもおもねらず、孤絶と背中あわせの自由を生きる歌手・友川カズキ」とある。たしかに彼が「孤絶と背中あわせ」なのも事実かもしれないが、これという人にはとことん惚れぬく人でもあるのだ。友川さんが師と仰ぐ、能代工業バスケット部の伝説的指導者、加藤廣志。まさに「愛しの存在」として描かれている、たこ八郎。深沢七郎や中上健次とのエピソード。ちょっと意外だったのは、洲之内徹に夢中になったという話。仙台に住んでいた頃は、宮城県立美術館でときどき洲之内コレクションを眺めていたが、『気まぐれ美術館』を再読してみようかな。本棚のどこかにあったと思うが。

もちろん、一番強烈なのは友川カズキその人。お酒やギャンブルの話も含めて、エキセントリックに見える側面の方が目立ってしまうかもしれないが、彼の文章を読めば、その底にある冷静さを同時に強く感じる。狂気だけの人はどうということはないが、狂気と冷静さの両方を兼ね備えている人は恐ろしい。こちらの生き方をすっかりと見透かされてしまうからだ。その冷静さを、友川さん自身が望んでいるのかどうかは分からないけれども。

強烈に生と死の話をしているけれども、読んでいるあいだ、女性の話題があまり出てこないのが気になっていた。いま、過去に見たドキュメンタリー映画『どこへ出しても恥ずかしい人』の覚え書きを見直したら、飲み屋の美人に目が行くくだりがあったのを思い出した。なにか、友川さん一流の含羞みたいなもの。

[J0357/230419]

一條正雄『ハイネ』

清水書院センチュリーブック、「人と思想」シリーズ、1997年。

第1章 ドイツ時代のハイネ
 幼年時代と学校時代―デュッセルドルフ(1797-1815)
 徒弟時代―フランクフルト、ハンブルク(1815-1819)
 大学時代―ボン、ベルリン、ゲッティンゲン(1819-1825)
 自由な文筆家として―ハンブルク、ミュンヘン(1825-1828)
 『歌の本』(1827)
 ドイツ時代の終わり(1828-1831)
第2章 フランス時代のハイネ
  パリ生活の始まり(1831-1835)
 「若いドイツ」派の禁止
 『アッタ=トロル』
 『新詩集』
 ドイツへの旅と『冬物語』
 晩年のハイネ(1848-1856)

『流刑の神々/精霊物語』を読んでがぜん興味が湧き、こちらの伝記も読んではみたものの。詩人としての側面に集中した本で、そもそも読みたい話とちがっているということは割り引かなくてはいけないけど、読みにくい本だ。詩の紹介・解説と伝記とが入り交じっているし、焦点になるのがハイネの思想なのか性格なのか、当時の社会背景なのか、記述に一貫したものがない。

1821~1823年のベルリン大学在籍中に、ヘーゲルの講義を受講して生涯「偉大なる師」と見なしていたらしいこと、1824年にワイマールのゲーテを訪問して塩対応を受けたらしいこと、1827年にカッセルのグリム兄弟を訪問したこと、もっと後年1843年から若きマルクスと親しく交流を持つようになったことなど、個々の事実は勉強になる。でもまあ、これらのエピソードについても、それ以上のものは読み取れなかった。

[J0356/230419]