副題「中世神仏交渉史の視座」、法蔵館文庫、2020年、原本は2000年。

プロローグ 神仏交渉論への視座
第1章 祟る神から罰する神へ
第2章 “日本の仏”の誕生
第3章 コスモロジーの変容
第4章 変貌するアマテラス
第5章 日本を棄て去る神
エピローグ ある個人的な回想
文庫版解説

古代から中世へ、「祟りをなす〈命ずる神〉から賞罰を下す〈応える神〉へ」。ただし、古代における祟りとは、必ずしも邪悪なものだったわけではなく、神意の表現一般であったが、意思の不可測性を特徴としていた。それが、仏教的世界観への日本の神祇の組み入れによって、神々の性質が変容していったのである(104 ff.)。

中村生雄の説を紹介して、「神を二つに分類し、賞罰の権限を行使することによって仏法を守護する由緒正しき神を「権社」、死霊・悪霊といった祟り神を「実社」とすることは、中世では仏教者を中心に一般化していたのである」(70、『日本の神と王権』)。

起請文に登場「しない」仏に注目するところが、著者一流の着眼。「起請文に勧請される神仏のなかで、圧倒的に数が多いのは日本の神である。そうしたなかに、少数ではあるものの、仏の名前を見出すことができる。もっとも頻繁に登場するのが、東大寺の大仏である。石山寺や長谷寺の観音なども起請文の常連だった。起請文の罰文では、誓約を破ったときに罰を与える存在として、これらの神と仏がまったく同列に勧請されているのである。それだけであれば、あまりにも常識的なことで、だれもあえて口にしないだけだ、といわれるかもしれない。しかし、わたしが不思議に思ったのは、起請文に決して名をみせることのない一軍の仏たちがいたことである。極楽浄土の阿弥陀仏は絶対に登場することはなかった。密厳浄土の大日如来もそうだった」(300-301、自著解説部分)

往生伝における阿弥陀仏の登場のしかたについて、「それは同時代の説話集について、現世利益の霊験譚が常に特定の寺の具体的な「仏」と不可分の現象として説かれていたことと、際立った対照をなしている」と指摘する(96)。「すなわちそこには、現世のさまざまな問題解決を担当するのがこの世界の形而下の仏であったのに対し、極楽へ導いてくれる主体は他界浄土の仏である、という当時の通年が存在していたのである」(96)。「この世界の形而下の仏」とは、〈日本の仏〉のことである。

中世の神仏のコスモロジー、「彼岸の仏と此岸の神仏という二重構造」。「本地垂迹とは、狭義の神と仏の関係のみに留まらず、此土の神仏を、他界の仏がこの世の衆生を救いとるために具体的な姿をとって出現したものとみなす思想だったのである」(101)。本地垂迹とはたんに仏と神を結びつけたのではなく、「人間が容易に認知しえない彼岸世界の仏と、この現実世界にある神や仏との結合の論理」なのであった(104)。

後世の神仏区分に囚われないよう、さらに進んで、「私たちは、〈神〉という言葉を神・仏・諸天・聖霊など人間を超えた存在するすべてを包摂するものと解釈した上で、以後、他界にあって来世・次生の救済を事とする仏を〈救う神〉、此土にあって賞罰を司る神仏を〈怒る神〉と定義することにしたい。神-仏という区分よりは、救済を使命とする彼岸の神=〈救う神〉と、賞罰を行使する此土の神仏=〈怒る神〉という分類の方が、当時の人々の実感に即した冥界の区分だったのである」(103)

「機能分化に基づく諸仏諸神の共存という理念は、国土のここかしこに神社仏閣があって、無数の神仏が並存していた日本中世の現実に対応し、そうした状況を追認する論理であったことは明らかである。神仏の選択を人間の側の主体的な判断に委ねるこのような理念のもとでは、個々の神仏の権威は著しく相対化されることは必至だった。それゆえ、こうしたコスモロジーからは、世俗のあらゆる権威を超越する神仏の至高性を強調するような主張は、生まれるべくもなかったのである」(132-133)。

中世におけるアマテラスの位置も、こうしたコスモロジー全体の中で理解されなくてはならない。「天照大神は確かに「日本」という限定された空間では「国主」であったかも知れない。だが、中世的なコスモス総体の中でみれば、所詮は日本の神々の筆頭でしかなかった。その外側と上下方向には、さらに広大な神仏の世界が広がっていたのである」(190)。しかもその「日本国主」の主張すら、他の多くの神々とその地位を争っていた。「いわば神々の戦国時代ともいうべきものが、神をめぐる中世の思想状況だったのである」(196)。

こうした中で、日蓮や親鸞の思想はやはり異彩を放っているが、次の指摘はおもしろい。「しかしここで重要なことは、神祇不拝という基本的立場を取る一方、鎌倉仏教の祖師たちはだれひとりとして神々の存在自体を否定しなかったことである」(213)。

日蓮にみられ、実はさらに時代を遡るという、国土守護の神が日本を見捨てて去るという「善神捨国」の理念。たまたま、島薗進『日本仏教の社会倫理』を読了したばかりなので、この「善神捨国」理念や、あるいは儒教的な徳治主義と、正法理念との関係が気になる。そういえば、『日本仏教の社会倫理』でも、「妙法蓮華経」の「妙法」とは「正法」の別訳であるとしつつ、日蓮の思想が取り上げられていたはず。

文庫版に付された、著者自身による解説も有益。とくに、黒田俊雄の顕密体制論を、「国家の存立と支配に果たす超越的存在の役割を的確に認識し」(297)、従来の鎌倉新仏教中心史観を(結果として)塗り替えた点で画期的と評価する一方、それは神仏の権威の利用を述べるだけで、「中世人がいだいていた神仏世界のリアリティの深層にまで踏み込むことはなかった」(298)と、著者自身の問題意識を説明している。

「前近代の人々の認識では、この世界の構成者は人間だけでなかった。・・・・・・中世以前の時代にまで遡れば、社会をもっとも根源的なレベルで突き動かしているのは人間ではなく、神仏の意志だったのである」(304)。「わたしたちが前近代の国家や社会を考察しようとする場合、その構成要素として人間を視野に入れるだけでは不十分である」(305)。

[J0495/240804]