副題「タイ研究の50年」、めこん、2003年。タイに魅了されて、外務省に勤務、大使館勤務中にタイでは出家をしたり、大学に通ったり。後には、創設直後の京都大学東南アジア研究センターに招聘される。まさに夢とロマンの学問だなあ。途中、若き梅棹忠夫がフィールドワークにやってきて、これと合流する話も。

第1章 中退また中退
受験生のころ
言語学へのあこがれ
小林英夫先生との出会い
外務省暮らし

第2章 ノンキャリ、タイへ
タイ留学時代
チュラーの思い出
稲作民族文化総合調査団
梅棹さんとの出会い
出家志願
得度式の思い出
大使館勤め
「ナンスーチェーク」蒐集のこと

第3章 再スタート
二度目の本省勤務
四面楚歌の東南アジア研究センター
地域研究ということ
学位取得のこと
ロンドンへの研究留学

第4章 旅、終わらず
上智大学へ移る
雲南旅行の経験から
学長業と研究と
学問は面白い

純粋な伝記ないし見聞録として刺激的な読み物。たとえば、商業出版が乏しい時代の貴重な出版物であった、葬式本といわれる「ナンスーチェーク」の収集の話とか。「そもそも「ナンスーチェーク」は、前世紀の末に始められた制度で、芸術局に保管されている手写本を印刷して普及させることにより文献の散逸を防ぐことができることから、それを功徳を生む行為であると考えたことに始まるタイ独特の習慣である」(116)。

「勉強が、申し訳ないくらい面白い。面白いなんて学問の冒瀆だ!と、怒られるかもしれない。だけど、面白いんだからしかたがない。だからやめられない。ただそれだけだ」(188)。なんと幸せな。

[J0501/240822]