Month: October 2024

横井軍平・牧野武文『横井軍平ゲーム館』

副題「「世界の任天堂」を築いた発想力」、ちくま文庫、2015年、原著1997年。任天堂の快進撃を牽引した稀代のゲームクリエイター、横井軍平の仕事と人を盛り込んだ一冊、そのクリエイティビティにあてられる。横井さんの仕事がすごいのは、アナログ玩具とデジタル玩具、ハードとソフトの両方で画期的な商品を開発していることだ。
 玩具史としておもしろい、横井さんの人となりがおもしろい、それから横井さんの「反・職人」の仕事哲学がまた抜群におもしろいというので、少なくとも三種類の読み方ができる本。

第1章 アイデア玩具の時代 1966-1980
第2章 光線銃とそのファミリー 1970-1985
第3章 ゲーム&ウオッチの発明 1980-1983
第4章 ゲームボーイ以降 1989-1996
第5章 横井軍平の哲学 1997-20XX

話のはじまりは、横井が仕事中にさぼりながら作った「ウルトラハンド」について、山内溥社長が商品化を命じたこと。ずっと後のことになるが、アーケードゲーム「ドンキーコング」を開発するときに横井が「引っ張り込んだ」のが、宮本茂で、このときにポパイの翻意としてマリオが誕生することになる。

ファミコン世代としては、「ワイルドガンマン」や「ダックハント」は、ファミコンが売れて新たに開発したソフトだとおもっていたが、むしろそれらの方が先で、そこにある種の本質があったという話。ファミコンロボットも「流行のあだ花」のように受け止められていたとおもうが、すでにテレビゲームに食傷気味だったアメリカ市場にNintendoのファミコンが受け入れられる、その導火線になった存在であるらしい。

それから、ファミコンに先立つ「ゲーム&ウオッチ」が偶然から、電卓技術をもつシャープと連携することになり、実現した話。

任天堂がもともと花札やトランプのメーカーであったこととも結びつけたくなるが、横井軍平はゲームの本質をアイディアに求めていて、「だから、テレビゲームが何万色とかそういうことを追いかけだしたとき、これはゲーム本来の世界とは違う方向に動いているな、感じたんですね」と述べている(157)。「ゲームの本質はアイデアなんで、「アイデアが出てこない」というのは単なるアイデアの不足なんですね。ところが、テレビゲームにはそのアイデア不足の逃げ道があった。それがCPU戦争であり、色競争なんです」(158-159)。

いや、たしかにファミコン、とくに任天堂のソフトは、余計なものを削ぎ落とした感覚があったし、その哲学はこの会社に受け継がれている気がする。「ファミコンが一番おもしろい」という印象は、たんに世代的なノスタルジーだけでもないのかもしれない。

[J0520/241005]

平雅行「中世宗教の成立と社会」

高埜利彦・安田次郎編『新体系日本史15 宗教社会史』、山川出版社、2012年、pp.28-56。中世宗教の概説であるが、顕密仏教と鎌倉新仏教の意義を改めて捉え直して、小篇ながら含意に富む。

 1 古代宗教の中世化
 2 顕密仏教と中世国家
 3 鎌倉仏教の展開
 4 中世宗教と社会

平安浄土教の「現世主義的来世観」。「かつて井上光貞氏は、平安浄土教を前世否定の宗教ととらえたが、それは妥当ではない。「現世安穏、現世善処」の語が流布したように、人びとは現世と来世の安楽を求めていた。「厭離穢土・欣求浄土」は建前にすぎない。現世を祈る密教と、来世を祈る浄土教は同じ軌跡をたどりながら発展しており、①鎮護国家の祈り、②自己の現世の祈り、③自己の来世の祈り、④死後の冥福の祈りの四要素は矛盾なく併存していた。中世は基本的に宗教の力によって現世の安楽を獲得しようという宗教的現世主義の時代であり、浄土教とてこの世の安楽が来世にも続くよう望んだものである。いわば現世主義的来世観とでもいうべきものが、平安浄土教の基本的性格であった」(30)。

「出家には、寿命延長と極楽往生の両機能が備わっていた。事実、『平家物語』には平清盛が「存命のために忽に出家入道」したおかげで、病が治って天寿をまっとうしたと、と述べている。・・・・・・現世と来世にわたる両義的機能をもっていたゆえに、出家も、浄土教も、中世社会に広汎に定着することができたのである」(32)。

また著者は、鎌倉新仏教中心史観批判の一環として、旧仏教の鎮護国家や五穀豊穣の祈りが、民衆の生活にとっても重要な意義を有していたことを強調する。「顕密仏教は中世の支配イデオロギーであったが、こうした民衆的基盤があったればこそ、それは支配イデオロギーとして機能しえたのである」(36)。

さらに著者は、悪人往生や悪人正機、易行としての口承念仏の観念が、法然・親鸞以前にあったことを『中右記』や『梁塵秘抄』などを参照しながら示している。「仏教の民衆開放は法然・親鸞たち鎌倉新仏教がはじめて行ったのではない。すでにそれは顕密仏教の手によって達成されていた」(37)。

改めて、「異端」としての鎌倉新仏教の意味について。「顕密仏教はたしかに民衆の世界にまで仏教を広めた。しかしそれは、民衆の内面を呪縛することでもあった。・・・・・・その原因は領主による神仏の独占にある」(41)。「顕密仏教や改革派が仏法を王権に奉仕するものととらえたのに対し、異端派は仏法至上主義の立場から社会の矛盾を厳しく批判した。その点で彼らの思想には、中世の支配秩序を崩壊させかねない危険性があった」(43)。

「宗教的暴力」という視点。中世における暴力と宗教の未分離、さらには戦争と宗教の未分離(45)。「顕密仏教の真の強さは、その文化的影響力の巨大さにあった。良きにつけ、悪しきにつけ、顕密仏教は中世社会のあらゆる領域に大きな影響をあたえている。彼らの強靱さをその軍事力や経済力に求めるのでは、事の本質を見失うことになるだろう」(46)。

[J0519/241004]

『新体系日本史15 宗教社会史』

高埜利彦・安田次郎編、山川出版社、2012年。この『新体系日本史』はなかなか野心的な構成で、「宗教社会史」という括りも珍しいし、「ジェンダー史」や「土地所有史」みたいな巻もある。・・・・・・が、どうやら既刊になっているのは13冊までで、当初の出版計画は頓挫している様子。

第Ⅰ部
1章 日本宗教の形成と社会(曾根正人)
 1 古代日本宗教史の問題点
 2 日本宗教の黎明
 3 古代国家祭祀の創出
 4 信仰の展開
 5 古代仏教と古代宗教の成立

第Ⅰ部1~6章は「時代概説」となっている。1章は古代。

2章 中世宗教の成立と社会(平雅行)
 1 古代宗教の中世化
 2 顕密仏教と中世国家
 3 鎌倉仏教の展開
 4 中世宗教と社会

2章については、別途記事を書きます。こちら。→ http://moroosocio.e2.valueserver.jp/wordpress/archives/2883

3章 中世宗教の展開と社会(安田次郎)
 1 室町時代の顕密寺社
 2 禅律の活動
 3 戦国期の権力と宗教
 4 地域の社会と寺社
 5 民衆の熱狂

「禅律僧は葬儀にも従事する存在であった。葬儀と寺や僧をセットでとらえることに慣れた現代では、葬送にタッチしない僧というもののほうがイメージしにくいが、中世の顕密僧は死の穢れを避けて、遺体と接触することはもちろん、一回忌までの法要に参加することも可能なかぎりしなかったのである。それに対して、禅律僧は死穢の観念に拘束されない存在であった」(67)。

戦国武将の信仰の二層、「一つは、一人の生身の人間としての武将たちがもっていた信仰、二つは、領国・領域の支配者、多くの家臣の主人としての信仰である」(68)。

4章 近世社会と宗教(髙埜利彦)
 1 織豊政権期の宗教
 2 江戸幕府と宗教制度
 3 幕藩社会と宗教

5章 琉球の宗教(赤嶺政信)
 1 琉球の宗教と女性
 2 王府の宗教政策
 3 外来の宗教
 4 おわりに

現在にまで生きる生霊信仰の事例など。

6章 アイヌの宗教(佐々木利和)
 1 イオマンテ、そしてクマ
 2 アイヌの宗教儀礼
 3 アイヌの世界観

1章 古代・中世の寺院修造と社会:興福寺を中心に(安田次郎)
 1 興福寺の創建
 2 永承の再建
 3 土打役の登場
 4 料国としての大和

第Ⅱ部「宗教と社会」は各論。

2章 近世の寺社造営:公儀普請と勧化(杣田善雄)
 1 近世寺社造営の諸形態
 2 公儀普請 - 北野天満宮
 3 勧化の展開 - 東大寺大仏殿
 4 寺社造営と権力・社会

3章 中世の寺社金融(中島圭一)
 1 仏神物の特質
 2 祠堂銭とその利用実態
 3 祠堂銭に対する社会的認識

4章 寺社・御三家名目金と近世社会(三浦俊明)
 1 寺社名目金の特徴
 2 門跡寺院の名目金
 3 御三家名目金
 4 名目金の貸付規制と返弁反対運動

5章 古代・中世の社会事業と仏教(勝浦令子)
 1 古代社会事業の成立
 2 古代社会事業の発展
 3 古代の社会事業の構造と変質
 4 中世社会事業への転換

「悲田院は東西二所の悲田が左右京の九条にそれぞれ施薬院別所としておかれており、預(僧)・乳母・養母・雑使などが、とくに孤児や窮乏の人びとの収養にあたっていた。・・・・・・842(承和9)年には、京職とともに嶋田・鴨河原などで、5500余頭の髑髏を集めて焼いており〔『続日本後紀』〕、そして845(同12)年に、鴨河悲田の預僧賢儀に養育された孤児清継ら18人は、新生連と賜姓され左京九条三坊に編戸されている。この時期の悲田院の孤児は良民の扱いであったが、孤児らの名に、おそらくキヨメ=清目と関連する「清」の通字がみえはじめている。しだいに、悲田院の孤児らは、死穢にかかわる活動を行うようになっていった」(284-285)。

6章 女性と宗教:西大寺叡尊と女性の事例を中心に(細川涼一)
 1 叡尊と女性
 2 母と養母(醍醐寺の巫女)
 3 尼と尼寺(法華寺)
 4 檀越の女性 - 公家社会・寺社権門の女性
 5 檀越の女性 - 武家社会の女性

7章 中世の葬送と墓制(高田陽介)
 1 貴族社会の葬送
 2 葬送の社会的規制
 3 中世的葬送の展開
 4 二十一世紀の福音  

最新の先行研究を渉猟して、このテーマの導入・概観にとても良い論文。

8章 近世の葬祭と寺院:社会集団論の視点から(澤博勝)
 1 福井城下周辺の三昧をめぐる諸集団
 2 近世民衆と檀那寺と葬祭儀礼 - 村落部の検討

9章 中世の宗教的アジール(神田千里)
 1 宗教的アジールとは
 2 中世寺院のアジール
 3 僧侶の救解活動
 4 アジールと「世俗化」 

アジールとしての寺院の力は、ある程度、近世にも生きていたという話。「戦国時代は脱呪術化の進行した時代だった。アジールにもその影響がおよんだことは想像にかたくない。ただしこのことによりただちにアジールが衰退したわけではなく、僧侶による救解活動は相変わらず盛んであり、降参の意思表示として剃髪も普通にみられた。このような世俗化が、アジールの根をたつほどに庶民の世界に浸透していくのはもっともっとのちの時代を想定する必要があるではないかと思われる」(388)。

10章 普化宗廃止と近世アジールの一特質(保坂裕興)
 1 問題の所在
 2 幕府寺社奉行による普化宗流幣改革
 3 幕末・維新期における普化宗 - 廃止への過程
 4 まとめにかえて - 近世アジールの一特質

11章 都市という場の宗教性(榎原雅治)
 1 連雀商人と修験
 2 都市空間の計画性
 3 平等の場としての都市空間

修験、香具師、富山の売薬商人との深い関係。遍歴する商人の宿泊施設「旦過」。

12章 地域社会と宗教者(西田かほる)
 1 笠之者をめぐる諸関係
 2 筰をめぐる諸関係  

[J0518/241003]