松沢裕作『町村合併から生まれた日本近代』(講談社選書メチエ、2013年)。
江戸時代の藩・村・町というものが、現在における、国や県に対して「同心円」をかたちづくるような、空間的領域によってくぎられた単位ではなく、職能的な身分制に即した社会秩序の単位であるという、しごくもっともな指摘から、明治の町村合併への移行過程を問題にする。それまで村役人が担っていた村人の救済機能をめぐる変化がおもしろい。
本書における整理を引くと、市町村数の変遷は次の通りである。
1874年 78280
1888年 71314
1889年 15859
1945年 10520
1956年 3975
1985年 3253
2004年 3100
2006年 1831
2013年 1719
今井照『地方自治講義』(ちくま新書、2017年)は、原理的なことも含め、幅広く地方自治を論じる。
市町村合併に関しては恐ろしいことが言われていて、「明治・昭和など、国策としての市町村合併運動は、少なくとも自治体側には必要性や必然性がないまま国が推し進めたのですが、平成の大合併においては国の側にも何らの必要性や必然性がなかった」(90頁)。平成の大合併は、国から強制されたというわけでもなく、実質的な決定権のあった自治体の「自傷的とも言える行動」であり(94頁)、よく語られた合併による経済的効率性の向上も、思いちがいか雀の涙ていどのものであったと。日本社会って、こういう動き方をすることあるから恐ろしい。
時代的変遷について、「地域と生産力が分離する近代化が進展するにつれ、多くの人たちは会社などの法人に属することになります」(159頁)。「会社に属した人たちに対して、会社はかつての「村」の機能を果たしていた側面があります」。「ところが現在、会社は「第二の村」であることをやめ始めている。経済成長が高度成長から低成長へ、さらにゼロ成長に移行し、会社にその余力がなくなっているのかもしれない」。
ほかにも面白い論点として、地方自治に関する現行憲法の制定過程をていねいにたどっていて、GHQの押しつけ論が事実ではないことも傍証しているところ。また、人口減少や東京への一極集中化についても検証をして、問題は東京への人口集中ではなくて「むしろ東京圏人口の固定化」であると、一般的な言説を批判している。
[J0017/171204]
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