歴史人類学者アラン・マクファーレンの著作は、出世作『イギリス個人主義の起源』のほか、『再生産の歴史人類学』などいくつかの邦訳があるが、2冊ほど読んでみたのでそのメモを。

『資本主義の文化』(抄訳、常行敏夫・堀江洋文訳、岩波書店、1992年、原著1987年)

『イギリスと日本』(船曳建夫監訳、新曜社、2001年、原著1997年)

理論的な野心に満ちているのは、圧倒的に『資本主義の文化』の方である。近代資本主義と産業化のルーツが、ときに一括りに西洋ヨーロッパにあったとされる中、マクファーレンはイングランドの社会状況の特異性を強調する。その際、批判対象に掲げられるのが「18世紀まで小農社会であったイングランド」という一般的な理解で、それを生殖・暴力・法・道徳・愛など、さまざまな角度から論駁していく。

マクファーレンは近代資本主義の発生は特定の原因によるものとは考えず、さまざまな特殊な社会条件が必要だったとするが、その条件の一部は、むしろいわゆる封建社会の成熟以前に遡るものであるとする。島国たるイングランドでは、その古い時代の慣習や制度が保存され、封建社会の解体に与したのである。

個人的におもしろかったところは、イングランドでは魔女への恐怖が薄かったことなど、信仰に関わる箇所。マクファーレン自身が編集して出版もしている、17世紀中頃の一教区牧師の日記について、苦痛と不幸が悪からではなく、神からやってくるというヨブ記的原則が現れていると指摘。まさにマックス・ヴェーバーの神義論分析を思わせるが、単純で固定的な善悪二元論の克服は、貨幣経済を肯定する資本主義の精神の基盤を成すものであったという。

『イギリスと日本』では、イングランドと日本がともに、産業革命的な社会発展に適合した人口変動パターンを示した要因を探っている。マルサスに帰せられるところの一般的な図式では、人口の増加はつねに生産の増大を上回るため、社会はじきに貧困と停滞へと行きつく。産業化以前の農業社会は、高出生率かつ高死亡率のそうした種類の社会であることがふふつうである。しかし、イングランドと日本は例外的に、産業化以前より低死亡率かつ低出生率の社会を実現しており、それが両地域(とりわけイングランド)をして産業化の先導役としたのだという。

本書では、戦争・飢饉・食物・伝染病・飲料・排泄物処理・公共空間・住居・身体衛生・中絶・後継者戦略といった諸場面をひとつずつ取り上げて、産業化以前のイングランドと日本が低死亡・低出生の社会となっていた条件を辿っている。英語圏の人には、近世日本社会の様子がよく分かる記述になっている。

これらの記述を読んでいて改めて感じるのは、いかに近世におけるイエの形成が大きかったかということである。大家族制や複合家族制ではこれほど厳密な人口調整は行われえなかっただろうし、またマクファーレンが強調しているように、日本独特の養子制度が人口抑制に適合的であったという点についてもそうである。ちなみに、イングランドにおける人口抑制と後継者確保の問題を折り合わせる仕方は、「後継者がいなくても気にしない」なのだそうである。

[J0003/170413]