Category: Japanese Articles

戸田山和久・唐沢かおり編『〈概念工学〉宣言!』

副題「哲学×心理学による知のエンジニアリング」、名古屋大学出版会、2019年。けっこう早い段階で読むのを諦めてしまったので、以下は感想以下のメモ。

概念工学という概念ないし発想はおもしろいが、それを哲学と心理学のコラボで進めるというところであまり興味がもてず。また、実践編で取り扱っているのが「心」「自由意志」「自己」というので、概念工学なるものを一般を語るには実際に扱っている概念の種類が偏りすぎている印象。いずれも、個人主体が知覚(というか内観というか)できるとされている種類の対象なわけで。

概念工学という言葉は、次のような書にも用いられているという。
Cappelen, H, 2018, Fixing Language: An Essay on Conceptual Engineering.
Blackburn, S, 1999, Think: A Compelling Introduction to Philosophy.

というわけで、概念工学の構想の記述よりも、むしろ責任概念に基づくシステムの解体という具体的構想の方がおもしろい。

「筆者〔戸田山〕は、いずれにせよ道徳的責任を中核とする倫理システムは消費期限が過ぎており、大規模な概念システムの再構築は避けられないと考えている。その理由は以下の通りだ。第一に、神経科学・心理学・進化学のなどの発展により、責任を中心概念とする倫理システムが前提していた「自由で反省的で自律的な行為主体としてのわれわれ」という人間像が科学的人間像と不整合になりつつある。かつて自ら想定していたほど、われわれは自分の行為をコントロールできていないし、自由に選択できていないし、自分の心を反省するのも下手だし、それほど合理的に熟慮の末に行為するわけでもない。第二に、責任を強調する倫理システムは、間違いながら前進する科学・技術の本質にそぐわない。科学・技術の複雑化と巨大化により、社会的意思決定は専門家ですら責任が負いきれないものになりつつある。しかし、いまだに事故原因の究明は責任追及と並行して行われている。再発防止が目的なら、両者を同時に行うシステムは適していない。第三に、これが最も重要なポイントだが、過度に責任を重視する倫理システムが人々を現に苦しめているように思われる。ネオリベラリズムとも相俟って「弱いものがさらに弱いものを叩く」構図を生み出し、自己責任に耐えきれない人々の自罰的傾向を助長している。というわけで、責任概念を弱化・消去する方向で概念工学を試みることには、実践的な重要性がある」(24-25)。

責任なき倫理システムの設計作業に着手している哲学者。
Pereboom, 2001, Living without Free Will.
Waller, 2011, Against Moral Responsibility.
「いずれの論者も、基本的な論拠は同じである。つまり、道徳的責任概念(自由意志概念)を支えている人間観・世界観は自然科学的な人間観・世界観と矛盾する、というものだ」(25)。


はじめに
第1章 哲学の側から Let’s 概念工学!
    1 概念工学とは何か
    2 カッペレンの「概念工学」と本書の「概念工学」
    3 哲学と概念分析 —— いつの間にか始まってしまう概念工学
    4 概念工学の実践的重要性 —— 工学とのアナロジーをさらに深める
    5 われわれの目指す概念工学はどのように進められるべきか
第2章 心理学の側から Let’s 概念工学!
    1 概念工学への協同のお誘いを受けて
    2 心理学と概念
    3 概念と測定の関係
    4 素朴理解への依存がもたらすもの
    5 あらためて概念工学に向けて
第3章 心の概念を工学する
 3-1 心理学の側からの問題提起
    1 社会心理学と「心の知覚」
    2 心の知覚に関する基本的なモデル ——「する心」と「感じる心」
    3 心を知覚するとき・しないとき
    4 心の知覚と道徳性の関わり
    5 おわりに
 3-2 哲学の側からの応答
    1 心の知覚に関する社会心理学研究 —— 成果と課題
    2 心概念に関する概念工学の必要性
    3 記述的な概念工学と実践的な概念工学
    4 概念工学を実現する2つの方法
    5 概念工学的介入の有効性
    6 おわりに
第4章 自由意志の概念を工学する
 4-1 心理学の側からの問題提起
    1 はじめに
    2 人々の自由意志概念を捉える
    3 哲学者の議論との接点
    4 「自由意志が存在する」という信念の影響
    5 人々の自由意志概念に関するモデル化
    6 新たな自由意志概念に向けて
 4-2 哲学の側からの応答
    1 自由意志論の係争点 ——「求めるに値する自由」
    2 「求めるに値する自由」の心理学的記述
    3 記述から指令へ —— 4つのプロジェクト
    4 自由意志論の概念工学的性格
    5 自由意志の概念工学 —— 超越論 vs 自然主義
    6 おわりに
第5章 自己の概念を工学する
 5-1 心理学の側からの問題提起
    1 「自己」をめぐる2つの現実
    2 心理学黎明期の自己研究
    3 自己の実証的心理学研究 —— 内観から定量的測定へ
    4 自己という概念を構築すること
    5 おわりに
 5-2 哲学の側からの応答
    1 自己の概念工学を始めるために
    2 自己という概念を調べる
    3 自己という概念をいじってみる
    4 自己という概念のポイントを特定する
    5 自己という概念のエンジニアリングに向けて
第6章 心理学者によるまとめと今後に向けて
    1 はじめに
    2 生活実践と概念工学 —— 心の議論から
    3 求めるに値する概念 —— 自由意志の議論から
    4 認知対象としての概念と機能を果たす概念 —— 自己の議論から
    5 概念工学と心理学、残された課題
第7章 哲学者によるまとめと今後に向けて
    1 はじめに
    2 「心あるもの」の概念をめぐって
    3 自由意志および責任の概念をめぐって
    4 自己の概念が概念工学に投げかける問題
    5 「概念」概念の概念工学の必要性(何のこっちゃ?)
    6 おわりに

[J0641/260210]

N. ウィーナー『サイバネティックス』

ノーバート・ウィーナー、副題「動物と機械における制御と通信」、池原止戈夫・彌永昌吉・室賀三郎・戸田 巌訳、岩波文庫、2011年、原著初版は1948年、第二版は1962年。この文庫版には、大澤真幸氏が10ページ以上の解説を寄せている。

分からないながらも読んでいると、あちこちどこかで聞いたような話が。昔、工作舎の本でふれたような。当時ウィーナーがもたらしたイマジネーションの、影響力の大きさを感じる。

日本語版のまえがき/第2版への序文
第I部
序章
第1章 ニュートンの時間とベルグソンの時間
第2章 群と統計力学
第3章 時系列、情報および通言
第4章 フィードバックと振動
第5章 計算機と神経系
第6章 ゲシュタルトと普遍的概念
第7章 サイバネティックスと精神病理学
第8章 情報,言語および社会
第II部
第9章 学習する機械,増殖する機械
第10章 脳波と自己組織系
訳註/訳者あとがき/第2版への訳者あとがき/文庫版あとがき
解説「サイバネティックス:20世紀のエピステーメーの中心に」(大澤真幸)

フィードバックと恒常性=ホメオスタシスの問題。

「力学の概念は、物理学から生物学や心理学にまでは、まだ浸透していなかった。18世紀の代表的な生物学者であるリンネは収集家で分類家であり、その見解は今日の進化論者・生理学者・遺伝学者・実験発生学者とはまったく対立するものであった。・・・・・・同様に心理学においても心の内容という観念が精神の作用という考えを圧倒していた。これは、名詞が本質と考えられ、動詞がほとんどまったく重要性をもたなかった世界のことで、実体を重視したスコラ学の態度の名残ともいえよう」(244-245)。

「機械的または電気的装置によるものであっても、あるいは脳そのものであっても、大型の計算機というものは相当の電力を要し、そのすべてが消費され、熱として散らされてしまうのである」(253)。いまのAIの電力消費の問題に触れているね。ただし、エネルギー消費量と情報処理の性能が比例するわけでもないとも述べている。

社会に関するウィーナーの見方は、けっこう慎重。「共同社会の有効な情報量に関連して、国家に関するもっとも驚くべき事実の一つは、有効な恒常作業が極度の欠けていることである」(299)。そして、アメリカの自由競争市場に対する「信仰」を否定している。

報道手段の締めつけと、それによる情報の歪み。利益の多いものの優越、富裕階級への偏り、権力的野心との結びつき。「報道の体制は他の何にまして社会の向上作用に貢献しなければならないのに、権力や金のゲームに最大の関係をもっている人たちの手にそのまま引き渡されることになる。そしてこのゲームは、すでに見たように、共同社会の恒常作用に反する主たる要素の一つなのである」(305)。

サイバネティックスの社会への応用にも否定的。「精密科学におけるすべての偉大な成功は、現象が観察者からある程度以上に離れている分野で得られたのである」(306)。巨大な天体を扱う天文学、微細な粒子を扱う原子物理学。「観察者と観察される現象との結合を最小にすることが最も困難になるのは社会科学においてである。観察者の側からいえば、社会科学における観察者は彼の注意をひく現象に大きな影響を与えることができる」(307-308)。時間的にも、データが集められる期間がかぎられる。「社会科学では短い期間の統計を取り扱わなければならないし、また、観察結果の相当な部分が、観察者自身の影響によって加工されたものでないと確信をもつことができない」(309)。

「〔社会科学では〕要するに自然科学でいつも得られるものと比較しうるほど確実で意味のある情報は得られないのである。われわれはそれらを無視することはできないが、その可能性を過大に期待することもできない。好むと好まざるとにかかわらず、専門的な歴史家に用いられている〝非科学的〟な、説話的な方法にたよらざるを得ないものが、そこには多く残されているのである」(309)。
 なるほどなあ、観察の問題だ。

「生物組織を特徴づけるものとわれわれが考えている現象に、つぎの二つのものがある。学習する能力と、増殖する能力である。この二つは、一見異なっているようだが、互に密接に関連している」(314)。「個体の個体発生的な学習」に対し、生殖による自然選択は「種属的、または系統発生的な学習」(314)ということができる。「種属的、個体的学習はともに、動物が自分自身を環境に適応させていく手段である」(314)。同趣旨、「学習は、個体の経験による環境への適応、すなわちいわゆる個体的学習の基礎であるのに対し、増殖は、種属的学習の基礎をなす。後者は変異や自然淘汰がはたらく対象である」(335)。
 おもしろ。

「ヒトにおいて、またそれほどではないが他の哺乳類において、この個体的学習と、個人的な適応性は最高に発達している」(315)。人工の機械にとっても、学習の方が簡単で、技術的発展もずっと進んでいる。ただし、学習機会の動きは杓子定規で問題を生じうるという。増殖機械の理論についても、非線形変換器の標準形による表現を基礎に考察している。

第二版に加えられた第十章では、自己組織するシステムを、脳波の自己構成を引きあいに出して論じている。「周波数のひきこみを生じる非線型の相互作用は自己組織系を作りうることがわかった」(368)。ウィルスやがんの増殖に対する応用可能性も。

全体を通して、出してくる事例がいろいろおもしろい。

たしかにウィーナーの議論には、フィードバック機構を備えた自己組織的システムのイメージをすでに含んでいる。ただ「制御と通信」というサブタイトルもそうだし、上記の個体発生的学習の側だけをとってしまうと、ハードウェアに対するソフトウェアだけを更新していくイメージになるかもしれない。

[J0640/260126]

加藤喜之『福音派』

副題「終末論に引き裂かれるアメリカ社会」、中公新書、2025年。評判にたがわぬおもしろさ。すごいなあ(語彙)。福音派の動向を通して「アメリカ的なるもの」をこう見事に突きつけられると、おのずとこちら側、日本社会の性質にも関心が向く。

序章 起源としての原理主義
第1章 「福音派の年」という転換点――一九五〇年代から七〇年代
 1 原理主義者と福音派のはざまで
 2「福音派の年」とカーター大統領
 3 終末に生きる選ばれし者たち
第2章 目覚めた人々とレーガンの保守革命――一九八〇年代
 1 政治的な目覚め
 2 モラル・マジョリティの誕生
 3 レーガン政権と福音派のせめぎ合い――保守革命の裏で
第3章 キリスト教連合と郊外への影響――一九九〇年代
 1 パット・ロバートソンの政治戦略
 2 フォーカス・オン・ザ・ファミリーと伝統的家族観
 3 クリントンの信仰と六〇年代の精神
 4 ウォルマートとメガチャーチの止まらぬ拡大
第4章 福音派の指導者としてのブッシュ――二〇〇〇年代
 1 ボーン・アゲイン大統領とネオコンの思惑
 2 九・一一と小説のなかの終末論
 3 信仰の公共性
 4 スキャンダラスな福音派と右派の失速
第5章 オバマ・ケアvs.ティーパーティー――二〇一〇年代前半
 1 初の黒人大統領と福音派左派
 2 オバマ・ケアと中絶問題
 3 ティーパーティー運動
 4 アメリカ建国偽史
 5 高まる人種間の緊張
第6章 トランプとキリスト教ナショナリズム――二〇一〇年代後半から
 1 白人とイスラエルの味方として
 2 保守化する司法と中絶・同性婚問題
 3 キリスト教国家と非宗教者
終章 アメリカ社会と福音派のゆくえ

本当は、各章ごとにまとめをしたいところだが、まずは抜き書きだけ。

アメリカの「市民宗教の大祭司」とみなされたビリー・グラハム。若いカトリックのジョン・F・ケネディは、伝統的で白人プロテスタントにとっては「脅威でしかなかった」。「ここにチャンスを見出したのがグラハムだった」(35)。・・・・・・「新しい時代になり、グラハムの「アメリカの牧師」としての権威を揺さぶる出来事が二つあった。人種問題とベトナム戦争である」(36)。

「クリントンも福音派も、キリスト教を市民宗教と見なす点では同じである。その点で、両者ともグラハムの思想的な子供たちだ。が、1960年代の精神革命への評価において両者の意見は真っ向からぶつかる」(127)。

208頁あたりでロバート・ベラーの市民宗教論があらためて引きあいに出されているが、本書に描かれているのは、アメリカの市民宗教をどう定義するかという争いの様子だ。それを、キリスト教と同一視するか、民主主義と同一視するか、福音主義と同一視するか、あるいは白人の宗教と同一視するか等。

2000年代、「ネオコンと福音派のあいだに、思想的な共通点はほとんどない。両者に共通する思想として、明確な善悪の基準や歴史観などが挙げられもするが、それらは表層的なものだ。むしろ両者の関係は、利害の一致と言えるだろう。ネオコンの軍事覇権と中東における権益の確保という目的には、福音派の支援が有益であった。反対に福音派の世界宣教やイスラエル保護という目的には、ネオコンの軍事政策が役に立つ」。そして「両者を結びつける最大の架け橋として機能した」のが「ブッシュ大統領の存在」であった(147)。

「福音派の歴史は、アメリカの歴史と同様に人種主義の歴史でもある」(214)。2010年代、「年配の福音派にとって、オバマの存在は白人のナショナリスティックなキリスト教への脅威以外のなにものでもなかったのだろう。恐れは暴力を生む」(215)。

近年における「ノンズ」すなわち「非宗教者」の急増。「米国には非宗教者が増えている。だが同時に、非宗教はただちに無神論を意味しない。・・・・・・重要なのは信仰の内容――つまりは無神論にみられるような神の否定――ではなく、信仰の形態――つまりは教団への所属の否定――なのだ」(262)。

「非宗教者の増加は米国社会の単純な世俗化を意味しない。むしろ、社会は両極化しており、一方では非宗教者たちが既成の宗教や教団を否定し、もう一方で福音派はキリスト教ナショナリズムに代表されるように、その攻撃性を強めている。つまり、米国社会は世俗化ではなく、分極化の道を進んでいると言えるだろう」(265)。

「一つ言えるのは、福音派の活動を単純な意味での宗教復興運動とはみなせないことだ。・・・・・・より重要なのは、特に南部や南西部を基盤とする文化的な復興運動としての側面である。福音派が懸念したのは、アメリカ文化がキリスト教的な土台から離れていくことだった」(282-283)。つまり、反・カウンターカルチャーみたいなことか。

「半世紀の間に、60年代の精神は強まっている。非宗教者に見られる世俗化、文化的多元主義、BLMやウォークはその代表的なものだ。したがって、米国文化のキリスト教化を目指す福音派と、リベラルで進歩主義的なカウンターカルチャー勢との対立は先鋭化し、結果、米国社会の分断や分極化は深まるばかりだ」(284)。

[J0639/260124]