Category: Japanese Articles

頼住光子『さとりと日本人』

ぷねうま舎、2017年。著者の専門は日本倫理思想史で、道元について複数の著書を著している。思想史の記述として、勉強になる箇所は多い。

一方、本書は、学問のなかでは批判の対象になることの多い「日本人論」「日本文化論」という体裁を取っていて、それは完全に「あえて」試みているわけだけども、だからといって入念な反批判を用意しているわけでもなく、たとえば、論じる対象についてただ好きなものを取り上げている、といった指摘に対抗するのは難しいという印象。また、それはそれで別に良いとも言えなくもない。

第1章 食と仏教
第2章 武士の思想と仏教
第3章 和とは何か―「和を以て貴しと為」と「和敬清寂」
第4章 徳という思想
第5章 「修行」から「修養」へ―日本仏教の中世と近世
終章 共生の根拠―仏教・儒教・神道

[J0481/240710]

宮内泰介『社会学をはじめる』

ちくまプリマー新書、2024年。副題「複雑さを生きる技法」。

第1章 世界は意味に満ちあふれている―やっかいな問題としての社会
第2章 社会学って何だ?―みんなで規範の物語を作るいとなみ
第3章 聞くことこそが社会学さ―対話的な社会認識としての調査
第4章 社会学は泥臭い分析技法を手放さない―圧縮して考える
第5章 なんのための理論?―表現の技法としての理論と物語
第6章 みんなソシオロジストになればいいのに―人びとの共同のいとなみとしての社会学

「合意形成の技法としての社会学」という対話的な社会学像を提示、そのポイントは、多元的である「人びとが大事だと考えること」について認識を深めていくということ。この点、岸政彦さんの「他者の合理性」論と近い見方といってよさそうだ。

著者は、自分が取り組んでいる「社会学」に社会的意義があることを実感として感じていて、それをなんとか表現しようとして本書のような表現にたどりついたのだろうと思う。ただこれは誰でもそう指摘すると思うが(また、ご本人も認識していると思うが)、こういう種類の社会学だけが社会学ではなく、数多くある社会学理解のひとつにすぎないことも事実。多様な自己理解を許すこういう学問のありかた自体が、もっと「かっちり」した諸分野や、一般の方からすると、共感しにくいのだろうなとも思う。

細かな「なるほど」ポイント。社会学における多様な研究方法のひとつとしてのアンケート調査について。「とくに、社会的に安定したカテゴリーについて扱う場合に、アンケート調査は有効に働きます」(101)。こう説明すればいいのか。なるほど。

[J0480/240710]

本多真隆『「家庭」の誕生』

ちくま新書、2023年。副題「理想と現実の歴史を追う」。「家」「家庭」「家族」といった観念の社会史を、まめに先行研究にあたりながら堅実にまとめた、後学にも益するところの大きいだろう労作。もともと「家庭」とは、「家」の伝統的観念や因習に対抗する革新的な理想として謳われはじめたものであり、子どもに対する主婦の権利向上とも結びついていた。それが国家政策との関わりをはじめとする歴史的経過ののち、現在では保守的な思想と結びつくようになったというあらすじ。

序章 イデオロギーとしての「家庭」
第1章 「家庭」の誕生―「ホーム」の啓蒙
第2章 サラリーマンと主婦―「家庭」と国家統制
第3章 「明るい民主的な家庭」の困難―「家」から「家庭」へ
第4章 企業・団地・マイホーム―一億総中流と「家庭」
第5章 理念と実態の乖離―むき出しになる「家庭」
終章 「家庭」を超えて

拾い書き。

「戦後は家制度の廃止にともない、戸籍法も改正された。現在の戸籍法では、夫婦と未婚の子を単位とし、結婚によって新たな戸籍が作られる。戦前の戸籍との大きな違いのひとつは、三代以上の戸籍が作られないことである。とはいえ、戸籍が親族単位で編成されるという点は継続していた。この点は当時から批判があり、たとえば法学者の川島武宜は、家制度を廃止するなら個人単位の身分登録制度にするべきであると主張していた。しかし保守派への配慮と、敗戦直後の紙不足により個人単位で書き改めることは難しいという現実的な判断から、親族単位の編成は継続することになった」(154)。紙不足!そしていまだに継続しているという。

「戦後日本においては核家族化が進行したといわれる。これは、核家族世帯が増加し、全普通世帯におけるその割合が高くなったという意味ではその通りである。しかし、それは三世代同居の生活習慣が衰退したことを意味するわけでは必ずしもない。じつは1960年代から2000年にかけて、「その他の親族世帯」(実質的には拡大家族世帯)の実数は大きく変わらなかった。・・・・・・こうした現象の背後にあるのが、「多産少子」世代のきょうだいの多さである。たとえば長男が地方で両親と同居し、ほかのきょうだいが都市部で核家族を営むようなケースがあげられる。・・・・・・実際には、高度経済成長期においては、結婚時に親と同居するような「家」的な生活スタイルを営む人びとの割合は下がっている。とはいえその場合でも、親の近くに住んだり、親の高齢期には同居したりするなどの選択が取られることが少なくなかった。これは、ひとつの家族が都市部と地方にまたがって展開されたことでもあった」(256-257)。――「確かに」感のある分析。この分析は、三浦展さんの団塊世代論の正しさを示してもいるように思う(『団塊世代の戦後史』)。つまり、団塊世代は「主体的に」従来の行動パターンをがらっと変えたというよりも、その人口の多さが、社会や文化の大変動という結果をもたらすことになったという立論。この場合に核家族化というトレンドを生んだのも、従来の他世代同居からはみでるきょうだい数の多さによって(意識の変化はむしろそれを追って)、というわけである。

「現在では、「近代家族」を営むことが困難な人びとが増えた。・・・・・・こうした状況で「家庭」は、実態から遊離したイデオロギー性の強い言葉になってきている。従来のような「家庭」を営みたくてもできない人びと、従来の「家庭」とは異なる生活を実現したい人びとが増えるなかで、特定の「家庭」像のみがひとり歩きしているというのが現状ではないだろうか」(326)。

[J0479/240710]