副題「メタ倫理学から考える」、光文社新書、2021年。広い目配せにリーダブルな文章、さまざまな研究動向の紹介が丁寧で、ありがたい入門書、ありがたいありがたい。

序章
第1章 倫理の問題って何?「そもそも倫理って何のこと?」
第2章 倫理の問題に正解はあるか「二つの思い込みについて」
第3章 倫理の問題と真理「正解を求めることはそんなに大事?」
第4章 倫理の問題と規範的な言葉「『良い』ってどういう意味?」
第5章 日常とかかわりあいの倫理「結局、倫理って何だったの?」
補章 メタ倫理学をもっと勉強したい人へ―文献リスト

「倫理とは何か」をめぐる四つの見解(46-47)。
① 重要性基準:私たちの生にとって重要で深刻なものを示すものが倫理・道徳。
② 理想像基準:私たちにとっての理想像を示すものが倫理・道徳。
③ 行為基準:意図に基づいた振る舞いを示すものが倫理・道徳。良い意図へ。
④ 見方基準:倫理・道徳とは世界の見方そのもの。世界の良い見方へ。

「日本の倫理学者の平尾昌宏は、『ふだんづかいの倫理学』(2019)という著作の中で、倫理を守りの倫理、攻めの倫理という二つに区別しています。平尾の考えでは、「悪いことをしてはいけない、もし悪いことをしたら正すぞ(罰するぞ)」という防御的な思考をとるのが守りの倫理です。そして、「倫理とか道徳というのは何か善いことをする、善を目指すものだ」というプラスを増やそうとするのが攻めの倫理です」(67)。

倫理の問題における「問いの強さ」(103-104)。(一)「動物の肉を食べてもいいか」、(二)「動物の肉を食べることは良いことか」、(三)「動物の肉を食べるべきか」、(四)動物の肉を食べねばならないか」。

倫理の問題を明確化するポイント(108-109)。
① 問われている倫理はどんんな理解に基づいているか:重要性理解、人間性理解、行為理解、見方理解
② 具体的にそれ[重要なもの/人間にとって良いもの/良い行為/良い見方]は何か
③ 目指しているものは何か:それらの保護/より良い在り方
④ どの強さで問われているか:「~してもいいか」「~することは良いことか」「~するべきか」「~しなければならないか」
⑤ 使われている言葉、表現は不当に歪められたものになっていないか
⑥ 発言を封じられているもの、立場を声にできないものはいないか

「レイチェルズが考えている以上に、心理学や生物学の力は道徳における客観的な正解にとって破壊的であり得ます。私たちが違った仕方で進化していれば、違った仕方でできあがった生物であったとすれば、私たちが道徳的事実と理解するものも、まったく違ったものになってしまうでしょう」(159)。

「ローティに言わせれば、真理にこだわる人々は、真理に到達すること、正解にたどりつくことを対話の最終目的としています。すなわち、彼らは「それ以上の対話を不必要にするためにこそ対話をする」のです。他方で、そのような真理などないのだ、と考えたとき、私たちに残るもの、それは「人間同士の間の誠実さ」だとローティは言います。真理をあてにできない私たちが互いに誠実であるとは、まさに自分の弱さを認め、常に、そしていつまでも相手の言葉に耳を傾け続けることなのです」(218)。文章中の引用部は、「プラグマティズム・相対主義・非合理主義」(『プラグマティズムの帰結』)より。

「フリッカーは、認識的不正義について、本人に義務違反があった、悪意があったとは言い切れない、運が悪かったとしか言い切れない場合があるとしています。たとえば、時代状況からして、自分の見方が偏見に基づいていると気づきようがない場合、というものがあります。このときには、その人は義務違反を犯したとしてその責任を非難するというのは適切とは言えません。しかしながら、それでもまったく無罪放免というのではなく、「失望する、がっかりする」というのがその人に向ける適切な態度である、と彼女は論じています」(274-275)。典拠はFricker, 2009, Epistemic Injustice かな。フリッカーはまた、日常の「ひっかかり」の意義に注目しているらしい。

[J0642/260210]