アンソニー・ギデンズ『社会の構成』(門田健一訳、勁草書房、2015年)。
第五章「変動、進化、権力」、pp.263-318。

まず、従来の社会変動論は、変動を規定する普遍的原理があってそれを特定できるという発想のもとにあるが、それは不可能である。それは、進化論に関しても同じである。

適応という概念は、進化論にとって重要である。しかし、社会的なコンテキストでは、適応の概念には価値がない。適応の概念は曖昧になりがちである。ハーディングは「環境に対する管理と保持と保護」と述べるが、それに「社会の相互調整」という意味も加えてしまう。かといって、社会変動に関しては前者だけに絞るわけにもいかない。人間には、物質的環境にいっそう効果的に「適応」していく衝動が存在するというわけでもない。スペンサーは「適者生存」の概念のもとに戦争を通した社会の規模の拡大を進化論的に解釈したが、軍事力を持続的な進化過程のメカニズムとするのは無理があり、進化論者の間でも否定されている。そうすると、適応の意味内容にいろいろなものを含めなければならなくなり、適応の概念自体が意味をもたなくなってしまう。

進化は、時間の経過と種の前進をモデルとしているが、それは不適切である。まず、人間の社会生活は反省的な特性をもつため、社会変動の説明を転覆させてしまい、生物学的な進化過程のモデルに合致しなくなる。また、生物学における進化論は種の起源が独立しており、突然変異がなければ種の変化も起こらないと前提しているが、この条件は人間社会にはあてはまらない(273)。社会科学の領域では進化の単位は、論者によって違ってしまうようなものでしかない。

人間の歴史は、連続性のもとにある「世界成長の物語」として描けるようなものではない。それは、安定的にあった状態にあった伝統的世界から、近代世界の不連続性を有した登場として描かれるべきである。

したがって、従来の社会進化論・社会変動論は次の諸点で誤っている。社会変動は、複数段階を順番に経て進むものではない(マルクス主義)。次に、社会進化の諸段階と、個人のパーソソナリティの発達とのあいだに相同性を想定するのは誤っている(フロイト、エリアス)。そしてまた、権力の優位性であるものを、進化論的な優位性と取り違える誤りがある。適応はしばしば能力の同義語とされてしまう。さらに、歴史を社会変動の記述と同一視することも誤りである。人間の社会生活は日常生活の慣習的な行動のなかで形成・再形成されるものである(構造化理論)。

では、社会変動はどのように記述されるのだろうか。社会生活はすべてエピソード的である(281)。社会変動は、反省的モニタリングをその一要素としたコンテクストの変動に応じて性質を変えていく環境や出来事の接合に依拠している。エピソード性のもとに社会を記述するとは、数多くの概念的決断を下すことである[Mのメモ:宗教概念の用法にも適用可能な発想か。つまり、社会を記述する概念の意味は既定のものでも一義的なものでもなく、コンテキストに照らした概念的決断のもとに行うべきものという点。それは経験的な問題である以上に概念的な問題であると]。

[このあと、しばらく国家の記述の問題を論じている。]

構造化理論の立場からすると、歴史の記述のキーとなるのは、権力である。権力とは結果を達成する能力のことで、かならずしも党派的な利害と結びついているわけではない。支配の諸構造を構成する資源には、配分的資源と権威的資源の二種類がある。配分的資源は物質的な権力源を含んでいて、マルクス主義も進化論もこちらに優先性を与えてきたが、権威的資源も歴史を突き動かす上で同様の重要性をもつ資源であり基盤である。権威的資源は、社会時間-空間の組織化、身体の生産/再生産、生活機会の組織化を含んでいる。配分的資源が発展するためには、権威的資源の変容や「蓄積」が不可欠である。

■批判的注解:パーソンズの進化論
[パーソンズ社会進化論の手際のよい解説にもなっている]
社会進化を生物学的進化の拡張であるとするパーソンズの理論は、進化論的考察の典型であって、本章で述べた進化論的説明の弱点を示している。50万年に及ぶ人類の歴史が合衆国のシステムにおいて頂点を極めたという彼の「世界の成長物語」は、少々的外れというだけではすまない規範的幻視である。

[J0637/260121]