中央公論新社、2025年。よい社会史・文化史の本は、研究としても価値があるし、読み物としてもおもしろい。これはそんな一冊で、広い層にお薦めできる。丹念にTシャツの歴史、とくにタックイン・タックアウトの流行の変遷をたどっていくのだが、たんに冷静にというのではなく、なぜかそこに著者の熱い怨恨の情がこめられているところがまたおもしろい。

序章 ぼくらがTシャツで旅に出る理由
第1章 誕生 1868-1955
第2章 思春期 1956-1979
第3章 失踪 1980-1988
第4章 反抗期 1989-2004
第5章 黒歴史 2005-2010
第6章 輪廻転生 2011-2024
終章 2075年のナード・ファッション 2025-2075


抜き書きメモ。
「太陽族や六本木族は、特殊な少数の人たちによって形成されていた集団だった。みゆき族では、中学生が参加できるほど、ファッションへの敷居が下がったのだ」(88)。

1980年代、雑誌の時代。「まわりに「あいつ遅れている」と思われたくない。気がつけば日本中で、かつてないほどの同調圧力が生まれていたのだ。雑誌の時代というのは、呪いの時代の始まりでもある」(109)。

「渋カジによって雑誌と路上の関係がひっくり返った」(134)。「リアルタイムというのは油断している」という、半田健人氏の言葉が思いだされる。

「若者立ちの間で、ファッションに対する初期衝動が「何らかの逸脱」ではなくなったこと。ここがポイントだ。一つ上の世代へのアンチテーゼの意味合いが消えたのである。渋カジ族までは、服を着る行為のなかに、前の世代が「ナシ」だと思っていたファッションを「アリ」にする文脈のハッキング、攻撃的な意図が含まれていた。渋谷系以降は、そのような文脈の書き換えは主題にならず、文脈の再発見と共有へと若者たちの気持ちがうつっていく」(158)。

「ファッションの流行は、制服化していく。みんなと同じ制服を着ていないことは一目でわかる。だから暴力的なのだ」(170)。

「洋服が日本に導入されて150年。Tシャツを主軸にしながら若者たちのファッション観をたどっていくうちに発見できるのは、服を選ぶときの動機が三つしかないことだ。1.街を挑発したい 2.モテたい 3.バカにされたくない。ここにさらに4番目としてノームコア的な「服を選びたくない」を入れてもいい。ポイントは、1番と4番は商売にならないことである」(205)。

「Tシャツの日本史は、不良とおたくの二本柱による螺旋階段だ」(234)。

「いまは歴史にいつでもアクセスできてしまう。アニバーサリーが意味をなさない。若者たちは、○○コーデと称して気軽にいろんなスタイルを取り込んでいく。尾崎豊コーデ、吉田栄作コーデといったハッシュタグに、消費期限はないのである。忘れられることがなくなると、ファッションの時刻表は狂ってしまう」(239)。インターネットのアーカイブによって、ファッションの時代的遷移のありかた自体が根本的に変化したと。

[J0630/260104]