岩波現代文庫、2022年、原著は2013年。なるほど、これはたいへん大胆な仏教解釈で、仏教界や仏教研究者の方々から反発がくるだろうことも分かる(たとえば、下田正弘氏による書評)。それでも、見失われてきた仏教の社会倫理の次元を評価しなおそうとする、著者の意図のポジティブさが本書の意義を保証している。また、それ自体が広大な「島薗学」の中心線が見えてくる書でもある。

序章 日本仏教を捉え返す
第1章 出家と在家―近代的な仏教理解を超えて
第2章 仏教と国家―正法を具現する社会
第3章 正法と慈悲―仏教倫理の基礎概念
第4章 正法と末法―日本仏教の形成
第5章 正法復興運動の系譜―中世から近世へ
第6章 在家主義仏教と社会性の自覚―近代から現代へ
終章 東日本大震災と仏教の力
補章 近代日本仏教の社会倫理―伝統仏教教団を中心に

僕としては、歴史理解の問題として、日本仏教史に存在してきた「社会倫理」の次元に目を向かせ、見通しを与えてくれる書として受けとりたい。逆に、以下の点については留保をする。(1)仏教の本質に社会倫理思想が含まれているとして、それが「正法(サッダルマ)」という概念に集約されているものとして整理できるかどうか。(2)近代や現代における仏教的諸運動の評価や可能性について。これらを歴史上の仏教諸運動の連続線上に理解することができるかどうか。やはり、近代社会における宗教の位置づけを考えると、とりわけ社会倫理という主題について、前近代と近代のあいだには大きな断絶を認めざるをえないのではないか。

本書に言う「正法」の理念とは、「出家者集団が正しい「真理=法」を具現し、権威をもって存在することによって、国家社会において平和と反映が実現するものと信じられている」(61)という種類のもので、仏教の重要な構成要素を成してきたものとされる。著者による正法理念の説明、「①正しい法。法の混乱に対して、正しい方に従うことが希望となる。②正法の流布は国家社会を平安にする。③正法を打ち立て護ることは国王の責務である。④正法は真正なサンガ(僧伽・僧団)によってこそ効力を示す。⑤サンガは王に護られつつ、正法を広める。⑥真正なサンガが崩壊することと、統治が乱れることは不可分。⑦末法とは、真正なサンガが成り立たず、正法の流布が困難になった時代」(173)。

正法の理念が重要なことは日本でも同様であったが、正法復興をあきらめる浄土思想の末法概念や、法然以降の鎌倉仏教の宗派主義のなかでしだいに変容し、西洋近代的宗教観の影響下のもと、過小評価されるにいたっているのだという。逆に、鎌倉仏教優越史観は修正されるべきであり、また和辻哲郎や中村元にみられる「慈悲」を仏教思想の中心に置く見方も相対化されねばならないとする。

たしかにこのように指摘されてみると、古代・中世と、仏教が国家鎮護の役割を期待されていたことに、十分な説明がこれまでされてこなかったこと、実際には歴史上、そうした役割がきわめて大きかったことに気づかされる。本書の観点からしてポイントとなるのは、統一サンガの成立をさまたげる、宗派主義の展開である。

さて、以下は著者の思想をうかがうことができる箇所。
近代の展開について。「もともと王国に良き秩序を打ち立て、平穏な社会生活を行き渡らせることを展望していた正法理念であるが、近代国民国家の形成に伴い宗教性をはらんだナショナリズムが展開したとき、それに対してどのような位置取りができただろうか。日本の場合、正法理念を掲げながら、強く仏教教団の自律性を打ち出すような方向に進むことができなかったのは確かだ。概括的に言えば、諸宗派教団にそのような思想的準備はなかった。正法運動には組織的な基礎が脆弱だった上に、思想的な基礎もあったとはいっても、国家神道を掲げる国家に対する自律性を保持するだけの骨格をもつまでには育っていなかった」(255)。

創価学会と立正佼成会を比較しながら。「立正佼成会の場合は1960年代以降、法華=日蓮仏教の宗派主義を脱し通仏教的なものに引き寄せていく動きが目立つようになる。そうすることによって、日本仏教が古代以来受け継いできた「正法」の本流に近づいていったと見てよい。法華=日蓮系の宗派主義的な背景をもつ大衆運動に根ざしながらも、「正法」理念に基づき社会参加的、社会倫理的な要素をもつ仏道実践を目指すもので、日本仏教史において、行基、空海、栄西、明恵、叡尊、忍性、慈雲等の系譜を通して展開した正法仏教の様態だ」(280)。

仏教内の宗派主義の克服は、著者自身の目指すところでもありそうである。ただ、ここまで仏教の「可能性」を強調しているところをみると、著者の国家神道に対する批判にも仏教への傾倒が関わっているのかもと思う。また、統一サンガという理想の話になれば、創価学会の政治進出も話題に入ってくると思うが、そのあたりはどうか。

なお、本書における仏教の社会倫理に関する議論は、中村元『宗教の社会倫理』に啓発されたものだという。もっとも、著者によれば、中村元はしだいにこの主題から離れていったしまったという。正法理念に関しては、タイ研究者である石井米雄の『世界の宗教8』と『上座部仏教の政治社会学』がアイディアのもとになっているとのこと。

石井米雄『上座部仏教の政治社会学』(創文社、1975年)

[J0494/240802]

〈メモ〉さて、著者による正法理念の強調は、日本の歴史における仏教思想の社会的次元を考えなおす上で興味ぶかい。しかし一方で気になるのは、儒教的な徳治主義などとの関連である。つまり、正しい政治と正しい宗教が一致するという諸理念である。[240804]